エッセイ


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今日もロック・ステディ 発行(単行本) 1981年7月10日(金) 出版社 冬樹社
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1989年2月15日(水) 出版社 講談社文庫
共著
今日もロック・ステディ 今日もロック・ステディ 備考

音楽にまつわるエッセイ、そして音楽雑誌に掲載されたモノをまとめたモノで、ロック評論集と銘打たれている。この本の結びで健さん自身が書いているように、音楽とは語るものではなく、自分が熱くなるための重要なアイテムで、特に文字から仕入れる情報は二の次なのだ。もちろん、その言葉に踊らされるのもきっかけとして間違ってはいないのだけど、例えばこのアルバムは最低、とか、最高とかいう言葉だけを信用するのはいかがなモノかと思う。

一時期、いわゆる日本版のCDに着いているライナーノート、というヤツを全く読まなかった時期がある。それはストーンズでもそうで、どんなアルバムでもなるべく情報を仕入れずに、耳で聴いた時の自分の感情や印象を大事にすることにしていた。だから未だに曲名をハッキリと知らない曲も多い()。気になった曲があって、もっと情報が知りたかったらやっとライナーを読むとか、今ならネットで調べるとかする。そのスパンが詰まってきているとはいえ、音楽でも映画でもマンガや小説でも、なるべく事前情報は仕入れないというのが、私の中のちょっとした矜持。まぁ、でも最近は、ちゃんとライナーも楽しめるようにはなってきたけど。

ちょうどこの本を読んだ頃は、音楽とは少しずつ距離が開き始めていた頃で、自分には音楽以外に何かあるんじゃないか、ってなんとなく思い始めていた頃。だから、CD買うよりもずっと音楽雑誌を読んでいた頃()。まぁ、言い訳するなら、だってあの頃ネットとか情報を仕入れる方法が雑誌以外になかったんだもの。

それなのに、というか、この中に「サン・シティ」についてのレビューがあって、初めて読んだ時、アアこれどこかで読んだことがある、って思った。なんの雑誌だったかは結局思い出せなかったけど、当時健さんが書いてそうで、読んでいた音楽雑誌というと、ロッキング・オンぐらいしかなかったから、おそらくそこで読んだんじゃ無いかと思う。その当時、働いていた楽器メーカーの先輩が、ロッキング・オンと渋谷陽一が音楽をダメにした、って云っていたのを今でも良く覚えている。

(単行本再読)

全くの偏見だが、ネットでこの単行本を旧本で手に入れて、届いた表紙を見て、コレはちょっと違うだろ?と思った。騒乱の時代から、快楽の時代へと移った八十年代を象徴する表紙ではあるけれど、単行本として切り取ると、どうも違和感がある。しかし、当時のロックはやっとカウンター・カルチャーとして日本で認められ、そして当時の日本のカウンター・カルチャーとはこんな感じだったのだ。

そして、内容もそれに準ずる、と云ったところで、パンクの台頭から終焉へと続く音楽を俯瞰している。正確には、この単行本から、十年経って文庫版が出る。ポスト・パンクを通り過ぎていく十年を、単行本から文庫版で、という流れで知ることができるようになっている。それをもっとも良く著しているのが渋谷陽一氏との対談で、コレも単行本が出て、後に文庫版でまた対談している。その間、十年で渋谷陽一氏との認識も多少変わっている。それは、そちらの方を参照してほしい()

健さんがポスト・パンク、というものをどれくらい欲していたか、というのはわからないけれど、やはり歴史として注意深く見守っていたのは確か。しかし、なぜかテクノだけはスルーしてしまっている。そう思っていたら、この単行本で、坂本龍一氏と対談している。これがまた、結構なもので、内なるモノの発露としてロックを確信している健さんと、道具といいきる坂本龍一、という対比は読み応えがある。

共通項としてビートルズ、ジョン・レノン、というもので結びつけようとしても、その溝は埋まらなかった。それは真逆の意味で、渋谷陽一とも対立する。ただし、それは十年後のことだけど。

健さんに注目すれば、この単行本は「天使が浮かんでいた」から始まる。文庫版には入っておらず、別の文庫に収録されることになる。そして、最後のテーマもストーンズ。安直な言い方だが、ストーンズに始まり、ストーンズに終わる作りになっている。その間に、ビートルズ、パンク、プログレ、ハードロック、と云い方は悪いけれど終わってしまったロックの残骸を丁寧に紐解いている。それは常に次の新しい未来を健さんが求めている、それを確認する作業なのだが、やっぱりストーンズという土台は揺らがない、ということに気づいて終わる、という風に解釈するのは穿ち過ぎだろうか。

ちなみに、健さんがテクノをスルーしたのは、結局テクノが、YMOとクラフトワークという二大巨頭で完結してしまったからで、別に健さんに限らず、ロックの某かを仮託することが出来ないからだ。その後テクノを冠したバンドはたくさん出て来たけれど、結局シンセサイザーミュージックで終わってしまった(ている)

それでもビートは確実に存在していて、リズムの確信だけは未だ綿々とあがきながらも続いている。で、それもまた、ミック・ジャガーやストーンズが担ってしまっているので、敢えて他に眼移りしなくても大丈夫、というわけだ。

それを確認する作業が、いわばロックの流儀、といったところなのかもしれない。



バイクフリークたちの午後 発行 1983年7月31日(日) 出版社  三推社・講談社
      バイクフリークたちの午後 共著
備考

有名人のバイク乗りに健さんがインタビューしたものをまとめたもの。今となっては貴重な人選、そして健さんとの意外な接点も見えてくる。中に、先日惜しくも亡くなられた冨田勲さんが登場している。知る人ぞ知るハーレー乗りの冨田さんの姿は、追悼のNHKの映像などでもチラリと映っていた。もちろん、世界の冨田は作曲家として名を馳せた方で、私もその印象で統一されていたはずなのに、あの映像を見た時、そうそうハーレーだよね、と思ったのはなぜだろう?

この本は最近になって手に入れた。これと「時には、ツイン・トリップ」はさすがに定価以上の値が付いていたよ。読んだのは最近だったはずだけど、なんとなく既視感があったのはなぜだろう?どこかで読んだことがあったのかな?全く記憶には残ってないけれど。



みんな十九歳だった 発行(単行本) 1984年2月3日(金) 出版社 PHP研究所
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1986年10月15日(水) 出版社 講談社文庫
共著
みんな十九歳だった みんな十九歳だった 備考

エッセイ集、それもかなり細々としたモノを集めた感じ。文庫版しか持っていないので正確ではないかも知れないけれど、雑誌の連載とか、アルバム・レビューみたいなモノを集めたのではないか?少なくとも私はそう思って読んでいた。

あの頃は若者向け雑誌が結構たくさんあって、イカ天ブームが来るとそれがカウンターカルチャー誌に取って代わる。週刊プレイボーイで健さんを見かけたことはあるけれど、宝島では見かけなくなった。アア、やはり健さんは作家なんだな、と思った。

楽器メーカーに就職するために岐阜に赴く日、新幹線のホームで週刊プレイボーイを買った。グラビアには松下由樹さんがデビュー直後で水着を着て微笑んでいた。バンドの夢破れ、女の子にも愛想を尽かされて流れ着いた場所だったから、その眩しいグラビアを見る度に、アアひとりぼっちなんだな、と思い知った。

その後紆余曲折あり、松下由樹さんによく似た女の子と知り合い、お互いいろいろあったのでこっそり付き合っていた。結局岐阜からも離れて香川に戻ってくるのだけど、その時は不思議とすがすがしい気持ちで離れてきた。いや、いろいろ擦った揉んだはあったんだけど。とにかくスッキリした気分で都落ちできた、その大きな理由は、結局その松下由樹さん似の彼女のおかげだった。

もちろんその彼女を口説く時、オレは山川健一という作家が好きでね、とちゃんと目的は果たしたのだった。彼女は中型のバイクに乗っていて、一度後ろに乗せてもらったことがある。その時のことは一度ブログに書いたそういう意味でも、健さんに縋り、音楽に距離を置きながらもチャプチャプ浸っていた日々を象徴するような存在だったな。

香川に帰ってきてしばらくして、彼女が結婚するというハガキをもらった時、私には別の彼女がいて、エレクラがあって、ストーンズにどっぷり浸かっていた。ショックというか、なんだか良く分からない喪失感に包まれて、ずっとキースの歌う「スリッピン・アウェイ」を繰り返し聴いていた。その時やっと、私の岐阜時代が終わった気がしたよ。

(単行本再読)

音楽、美術、そしてもちろん文学について、健さんのエッセイを掻き集めたエッセイ集。この度(2018)単行本を手に入れたのだけど、いわゆる新書サイズでなんだかコレじゃ、文庫本と変わりないじゃない、と少し残念に思った。イヤ別に、新書でも好いんだけど、もうちょっと重厚な手応え、みたいなものを想像していたので。

健さんのエッセイの特徴は、言ってみれば最終的には健さんに帰結する、という作家性にあると思う。それは、例えば音楽雑誌に批評を書いたりするような時には、逆にマイナスになる気がする。客観的か、或いは最近ならスポンサーの意向に添う形での結論を導き出せねば、結果それは失敗なのだ。

作家性とは、詰まるところオレはこう思うんだよね、という部分が前面に出てこそ輝くものだと思う。それは、客観性とは真反対で、つまりレビューというようなものには向かない、と私は思っている。ちなみにこういう私の文章が、レビューではなく思い出話です、というのはそういう認識から来ているし、つまり、健さんに最も影響を受けた部分なのだ()

もうひとつ、作品を通して現代や、社会や、世情を見る、という視点が必ずある。その部分が、大いに批評的であるのだけど、やはりそこでも、オレはこう思うんだよね、ということに帰結する。

私が、特に音楽のレビューめいたものや、その手の雑誌を読まないのは、結局、作品って詰まるところ好きか、嫌いか、でしかなく、好いも悪いもないだろ?と思うからだ。加えて、その基準があまりにも歌詞に引っ張られすぎていて、それはわかりやすさではあるのだろうけれど、音楽の半分を見失っている気がする。特に尾崎豊に関する話は、あまりにも歌詞のみが先行していて、音楽的にはそう目立ったものはない気がする。

同様に、文学は音楽と密接に関係しあっているけれど、やはり文字に引っ張られて安易に結びつけられている気がしてならない。それよりはもっと、音そのものを表現する事への努力をすべきだと、私は思っている。まだまだ拙いけれど、ファミレスBe-BOPシリーズの完結編になる作品では、そこを一番突っ込んで書いてみた。上手くできたかどうかは判らないけど、そのシーンを書いている時、得も言われぬ興奮とハイな感情に包まれた。きっとそれこそが、文学と音楽の蜜月だ、と私は思ったのだ。

健さん自身、きっと同じ様な感覚で、音楽批評からは足を洗った、とこのエッセイでも言っている。それでも多少、歌詞に引っ張られすぎている感覚が滲むエッセイも幾つかある。

しかし、これを読んだ当時、健さんの感性や、ライフスタイルや、評論できる知性に本当に憧れていたのを、この度思い出した。私が表現作品に触れるのは、そのセンスを磨くためであり、そのテキストとして、こういったエッセイが常に頭の中にあったのだ。

全く、オレ山川健一が好きなんだよね、といって女の子を口説く、という論理と同じ感覚で、健さんのような知性やセンスを身につけたくて仕方がなかったのだ。

そしてそれは、今でも続いている。その中の最も大きなものはきっと、「やりたくないことはやらない」なんだと思う。私はそれを実現するために、未だに四苦八苦している()



マギー・メイによろしく 発行(単行本) 1985年9月10日(火) 出版社 勁文社
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1988年1月15日(金) 出版社 講談社文庫
共著
マギー・メイによろしく マギー・メイによろしく 備考

エッセイ集。「みんな十九歳だった」と同じ体裁。角川書店の方の健さんのエッセイは、ほぼストーンズに集約されているけれど、講談社の場合はそれ以外、というか多岐にわたっている。その中で、なぜだかデペッシュ・モードのレビューがずっと頭に離れず残っている。理由は今もって謎。おそらく、健さんとは最も遠いアーティスト、という偏見が自分の中にあるのだと思う。

それでも、当時の自分はストーンズよりもどちらかというと、デペッシュ・モードの方がずっと近かったので、その辺も影響しているのかな、と思う。

(単行本再読)

読書の遅い私がほぼ二日間、実質四時間弱で読み終えてしまった。一度読んだことがある、というアドバンテージを考慮に入れたとしても、コレはかなりハイ・ペースだ。その理由の一つは、こういう表現は多少語弊があるが、軽い健さん、が前面に出ているからだ。

それが時代の要請だったのか、或いはまだまだ途上だったのかのその辺の事情はわからないが、あまり見たことのない、言ってみれば作家生活初期だからこそ垣間見える、健さんの姿なのだ。特に、健さんのスイッチが入るキラーワードである、ストーンズがあまり出てこない。そういうものを集めたからなのかもしれない。

私は一向に上手くはならないが、一応毎日ギターの練習をしている。目的は、短絡的に言えば早弾きをこなせるようになることだ。ストーンズを信奉している者に早弾きは必要ない、と思えるかもしれないが、ある練習テキストに「早弾きは余裕をもたらす」と書いてあって、ああ確かにそうだよな、と思ったのだ。なので、齢五十を超えるのに、せっせとキピキピピックを動かし続ける毎日なのだ。

それと同様に、シリアスで奥深い健さんの作品も、こういう滑らかなテイストのエッセイがあってこそなのかもしれないと思う。つまり、コレは健さんの余裕の表れなのだ。昔はSNSなどというものがなかったから、こうやって軽めのエッセイを重ねて、そのエッセンスを壮大な小説へとフィードバックさせる、という意味合いもあったのだろう。

さてその二日間、まず読み始めた横のテレビで世界初の米朝首脳会談をやっていた。先の南北会談よりはどこか形式的で、ただ、進んでいく線路のポイントを変えただけで、自分達で未来を作っていくという気概に欠けた、言葉だけが踊る会談に見えた。そのテレビの前の机にはノートパソコンが置いてあり、上野動物園のライブカメラが写っていた。公開されてからほぼ毎日見ているシャンシャンだが、この日めでたく一歳の誕生日を迎えた。相変わらず、ゴロゴロしているだけだが。

そして読み終わる直前、おそらくコレほど一ヶ月集中して書いた小説はないんじゃないか、という長編を書き上げた。ある方に頼まれて書いたものだが、だからといって日の目を見るかどうかは未だ不確定だ。しかし、書いている途中、コレは面白い、と確信出来る小説を書いたのは初めてのことだった。しかも、自分の書いた場面で涙ぐむ、なんて芸当まで披露してしまった。小説を書くのが本当に面白い、と改めて思った作品だった。

それはこれから手直しをして、校正をし、ある方に届ける手配になっているが、返す返すそれが日の目を見るかどうかはまったくわからない。しかし、やったな、やり遂げたな、という満足感が先行していて、今は充実している。

それがこの作品を読むスピードに拍車をかけたのかも、なんていうのはこじつけだろうか。



時には、ツイン・トリップ 発行 1985年10月5日(土) 出版社  冬樹社
      時には、ツイン・トリップ 共著 香咲弥須子
備考

香咲弥須子さんとの共著で、その名の通り二台のバイクでの旅行記。こういうことはあまりにも下世話で申し訳ないけど、健さんは香咲さんとは何もなかったのだろうか()?それはさておき、以前ブログでもちょっと喋ったとおり、私の中でバイク小説と言えば健さんと並んで香咲さんは外せない。

健さんのバイクに関するエッセイや小説は、バイクに乗る前に読んでいて、いよいよバイクの免許を取ってゼロハンで走り回っている頃は、香咲さんの方をリアルタイムで読んでいた。まぁ、リアルタムと言っても旧本屋で見つけたのと、文庫だからタイムラグはあるけど。

ゼロハンはコーナーを攻めるよりもより遠くへ原付で赴く、という方に軸足を置いていて、尼崎に住んでいる頃に一度難波のデパートか何かでドゥカティのイベントがあって、所属の日本人エンジニアの方と話す機会があった。その時に、いつか原付で日本一周したいんです、と話したら、イイねやったら好いよ、その時はシリンダーを一本用意していくとイイ、というようなアドバイスをしてくれた。結局二本一周は幻と消えたけど、そのイベントでもらったTシャツは長いこと着ていた。

その頃帰省はもっぱらゼロハンで、一度淡路島を回って徳島経由で香川に帰ろうとした。まだ明石大橋が出来る前で、フェリーで淡路島に渡り、鳴門へもフェリーで、と乗り場に着いたら強風のために欠航になっていた。目の前に橋があって、直ぐそこに鳴門は見えているのに、そこからぐるっと引き返し、本州(もとす)から西宮へ行くフェリーに乗って満員のジャンボフェリーで帰省することになった。えらく遠回りしてやっぱりジャンボフェリーかよ、と泣きたくなった。

その西宮へ向かうフェリーでのこと。二時間ぐらいの航海だったのだけど、強風で波は高くて結構揺れていた。それが何かの拍子に、ゴツン、と大きな音がして船底から突き上げられるような揺れが来る。一度きりなら錯覚かとも思うけれど、何度も何度も、それが続く。同じ二等客室のトラックの運ちゃんも、音がして揺れる度に不思議そうな顔をしている。後日、同じバイト先に船員の方がいて、何が原因だろうか尋ねたけれど結局わからずじまい。今になるまで、何があったのか謎のママなのね。まさか紀伊水道に鯨がいた、なんてことはないだろうけど。



ナッティ・ジャマイカ 発行 1985年10月10日(木) 出版社  求龍堂
      ナッティ・ジャマイカ 共著 熊谷嘉尚・写真
備考

ジャマイカ本というより写真集。いわゆる原色のラスタカラーに彩られている。私が洋楽を聴き始めた頃、サード・ワールドというバンドが流行っていて、ヒットしていたのが「トライ・ジャー・ラブ」という曲だった。ジャーに愛を捧げる、というような意味だったのだが英語は苦手。でも、ジャーというものの意味を知ったのは、健さんのおかげ。日本ではレゲエ、というと浮浪者の代名詞、みたいな捉え方を直ぐされてしまうけれど、あの音楽を含めて、ラスタファライ、という宗教観に満ちていることは、健さんに教えてもらったのだ。

健さんの関わった本の中で、今最も入手困難なのがドラッグ関係の書籍で、中古でもなかなか出てこないのは、やはりご時世なのだろうか。健さんを読み始めてから、今に至るまでに日本の社会というものは随分変貌した。あの頃タブーだったものが露わになってきたはずのなのに、息苦しくなるばかりの不寛容さが幅をきかせている。ドラッグに関しては、こんなにエッセイとかで匂わせているのに、結構表沙汰にしないで、と健さんは気にしている。



ローリング・キッズ 発行 1986年1月10日(金) 出版社  角川文庫
      ローリング・キッズ 共著
備考

ミック・ジャガーへのインタビューと、健さんが最初に世に出した小説をまとめたもの。おそらく、健さんの最初のストーンズ本。初出を見ると、私が18歳の時に出版されているので、ギリギリ高校生の頃に読んだはず。学校にまだ行っていたかどうかは定かではないけれど、もうその頃からバンドと女の子のオッパイのことしか考えていなかったので、こういう本ばかり読んでいた。

この頃はまだ、ストーンズは嵌まってなくて、ジャマイカと一緒で、ストーンズへの愛というか、音楽への敢えてこういう言い方をするなら「偏愛」の姿を、ちょっと俯瞰して眺めていた、という気がする。ただ、その後、自分からストーンズの世界へ足を踏み出した時に、ものすごくしっくりいった気がしたのは、おそらく二十歳ぐらいの時にこの本を初めとする、健さんのストーンズ愛が刷り込まれていたからかも知れない。そういう意味で、エヴァンジェリストとしての健さんに、私もまんまと嵌まってしまったのかも知れない。



ぼくは小さな赤い鶏 発行 1986年3月15日(土) 出版社  三推社・講談社
      ぼくは小さな赤い鶏 共著
備考

デビュー前後の短編やノートを集めた、いわば健さんの原点を網羅したような作品集。例えば、健さんといえばストーンズだけど、普通それは直接文学とは接点が希薄に思える。ストーンズに突き動かされてペンを取るよりまずギターを持て、というのがまぁ常識的な思考だろうと思う。

ただ当たり前だけど、ストーンズだけが健さんではない。その衝動と、実際の行動、というようなものの接点が、この初期ノート、と敢えて言ってしまうけれど、なのだと思う。健さんを知る上で、欠かせない作品集だと思う。

健さんは自伝的小説として「僕らは嵐の中で生まれた」シリーズを刊行しているけれど、フィクションの体裁のあちらよりもずっと、こちらの言葉の方が、健さんの奥底からの叫びように聞こえて生々しく感じる。アプローチの違いは横に置いても、切実さが全く違う気がするのだ。

手に入れたのはつい最近で、タイトルがストーンズの曲名と一緒で、だからストーンズに嵌まる前の私にはちょっと食傷気味で、手が出せなかったのだ。でも、若い頃にこの本を手にしていたら、自分が小説を書こうとか、そういうことは思わなかっただろうと思う。かなわないよ、と早々と白旗を揚げて、私は一読者としての領分を弁えて一生を終わっただろう。大変おこがましい言い方であるけれど、健さんの奥深さに気づかずに単純に、健さんみたいにいろいろ書いてみたい、と思えたのは、この本を読まなかったからだ。

無知は罪だが、知らなくて好いこともたまにはあるのかも知れない。



ロックンロール・ゲームス 発行 1986年11月25日(火) 出版社  角川文庫
      ロックンロール・ゲームス 共著
備考

キース・リチャーズへのインタビューと、健さんのバンド日記。理由は忘れたけど、今となっては「ローリング・キッズ」とこの本とは双子のようなものだけど、私が読んだのは随分と期間が空いている。尼崎に住んでいた頃はあまり本を読んだ記憶がないので、おそらく岐阜時代に思い立って集めたものだと思う。尼崎時代は、本当にもうバンドばっかりやっていて、それから夢破れて岐阜へと流れ着いていく。そこで読んだ健さんのバンド日記。岐阜でも楽器メーカーに就職していたし、会社のスタジオに自分のドラムを組んでガンガンやっていたから、バンドは継続していたはずなんだけど、一方で随分と醒めた目で見ていた。「ローリング・キッズ」の頃は音楽雑誌とか、一杯読んでいたけれど、今度は逆にそこから距離を置くようになってしまった。そして、最終的には、自分はバンド以外に何もないのだろうか、という風に考えるようになる。そこにもちゃんと健さんの影響があるのだけど、それはまた別の所で。



僕のハッピー・デイズ 発行(単行本) 1987年4月24日(金) 出版社 東京書籍
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1991年4月25日(木) 出版社 角川文庫
共著
僕のハッピー・デイズ 僕のハッピー・デイズ 備考

この頃の健さんのエッセイは、優しくポジティブな気概に溢れている。ハッピー・デイズという何気ない言葉に、憧れのようなモノを抱いた記憶がある。内容は相変わらずのロック、モーターサイクル、ジャマイカ、それにまつわるエトセトラ、だ。

健さんと初めて対面した時、いろんな話を聞かせてもらったのだけど、なぜかそのほとんどを横で体験していたような気になって、まるで一緒に思い出話を語っているような不思議な感覚になった。というのも、こういったエッセイの中にほぼ、健さんに生活が詰め込まれていたせいだと思う。つまり、わりと赤裸々に日々の出来事、思いを吐露していたんだな、とその時になってやっとわかったってワケ。まぁもちろん、エッセイに書けるぐらいの話、だからそういう席でも笑い話のように語ることが出来たんだろうけど。もちろん、それ以上の裏話的なものもその時はたくさん聞かせてもらった。

(単行本再読)

改めて読み返してみると、ハッピー・デイズというにはなんというか、悩み事に溢れているというか。それでも前向き、という立ち位置が曾ての自分には、共感出来たし、それから幾趨勢、人生経験を重ねた果てには、どこか懐かしさと一緒に憂いを感じるのだろうか。とにかく、わたしが若かりし頃の健さんの印象は、まさしく「ハッピー」の代名詞だった。その言葉を口にすると、なんだか脳天気な何かを想像してしまうけれど、そうではなく、自分にとって必要な「ハッピー」だったのだ。

最近よく思うのだけど、例えば、コレはちょうど2018年初めて読み終えた本なのだけど、松の内はずっと、新しい年こそは善い年に、なんていうフレーズが溢れていて、その後にどうしても「しかし」が付け加わる。それが当たり前になっていて、今の時代はどうしようもない、かつてないほどに最悪だ、という世相が蔓延している。

本当にそうだろうか、と私などはちょっと思うのだ。実は、最悪最低の方が、住み心地が良いのではないか、なんていう風に。例えばこの本だって、意外に悩み事に溢れている。何十年ぶりかに読み返しても、古くささは感じない。つまり、悩み事や、憂いのある世の中こそが普遍的で、いくら科学が進歩し、平和な世の中が訪れても、きっと人の生きざまは愁いに満ちているのかもしれない、と。

すると、案外今の世の中のように、目に見えて眉をひそめたくなるようなモノが存在していて、そしてまたそれに足してアーダコーダ言える世の中の方が、ずっと幸せなのではないか、と。そういうことを確認することが、こういうエッセイを読み返す意味なのかもしれないと思う。或いは、今の方がずっといいじゃん、と言えるわたしは希有な存在で、今こそが「僕のハッピー・デイズ」なのかもしれない。

つい今し方、気がついたことだけど、初版の日付が私の19歳の誕生日だった。不思議な縁を感じるね。



恋愛真空パック 発行(単行本) 1988年3月3日(木) 出版社 PHP研究所
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1991年10月10日(木) 出版社 角川文庫
共著
恋愛真空パック 恋愛真空パック 備考

健さんがテープレコーダーに吹き込んだものを文字に起こしたエッセイ。テープレコーダーは私たちの世代ではマストアイテムで、今ならICレコーダーとかそういうものになるのだろうか?昔、小学生の頃、従兄弟がDJ風に近況を語りながら合間に好きな曲を掛ける、というテープを送ってきたことがある。斯様に、人は誰でも語りたい物語があるモノなのだ。

もし、私が中学生の頃に、ブログというものがあったらもっとストレスのない毎日が送れただろうし、もっと違った未来を思い描けたはずだ。そんな物無かったから代わりに、日記を書いていた。最後に今日の一曲、みたいなものを添えたり、毎日一曲ずつアルバム解説をしたり。結局、自分の思いを誰かに聞かせたかったのだと思う。

ただ、私は自分の手書きの文字が当時は嫌いだった。日記とか、走り書きのようなモノは別にかまわないけれど、例えばちゃんとした物語を書こうとすると、そのへなちょこな字面が私のやる気を大いに削いだモノだ。だから、ワープロが登場した時には涙が出るほど嬉しかった。ちゃんとしたフォントで打ち出されてくると、それだけで何か意味がありそうな、そんな気がしていっぱしの物書きになったような気分になれたモノだ。それが講じて、大枚叩いて自費出版までしてしまうのだから困ったモノだ。

今でも書くことは好き、と公言できるのはつまり私に書くことを教えてくれた健さんの存在と、それをちゃんとした形に整えてくれるワープロの存在の賜物なのだ。

(単行本再読)

誰かに向けて語ることと、文字を書くことが同義になったのは、目に見える事象としてはやはりブログの登場が際立っている。エッセイとしてそれは昔から存在していたけれど、誰もがその恩恵に浴することが出来るようになったという意味で、エポックメイキングだと思う。改めて、単行本で再読してみたら、そのことばかりを思い、ここを読み返したら同じ事をすで書いていて、今面食らったばかりだ()

つまりそれはどういうことか?願いはいつか叶う、ということなのかもしれない、と思うのだ。

余りに脳天気だと思われるかもしれないけど、例えばこのエッセイの中に登場するファンの女の子からの手紙。健さんに愚痴っているからこそ引っかかる。それはその後、バブルという世相や、崩壊後の空白を埋めるように登場したネットの世界が、意図せずその不満をすくい上げ、いつの間にか解消してしまった。昭和四十年代生まれという私たちの世代は、健さん達の世代の後継者であるのだけど、そのハシゴを面倒くさい、の一言で取っ払ってしまった世代だ。それが、まさしく個を突出させて社会と切り離し、望むべくしがらみから解放した。けれど、同時に伝統や守るべきルールのようなモノからも切り離してしまった。

しかし、重要なのは、漠然とはしていたけれど、ネットという新しい技術の登場により、その曖昧模糊としたモノに言葉が与えられ、それによって平等に流通し、不特定多数と結びつくことによって肥大化し、そして駆逐してしまった。そこに残ったモノに批判や悔恨はあっても、少なくともそれは誰かが望んだモノだったはずなのだ。

つまり良かれ悪しかれ、望むことは無駄ではない、ということなのだ。一面的ではあっても、だ。

それはこのエッセイに込めた健さんの思いとも、意図せず繋がっている。長い目で諦めないで、と健さんは最後の方で語りかけているけれど、まさしく、時間が経つことによって実現した世界が今、ここにあるって事なのだ。

ただ、自分でも時々見間違うことがあるけれど、エッセイとブログの違いは、誰が語っているか、という前提があるという事だ。昔エレクラの初代ボーカルと、歌詞の話をしていた時、「一介のアマチュアミュージシャンに励まされたくはないでしょ」と言われたことがある。リアリティとか説得力の問題だけど、不満に言葉が与えられるように、話し手にも名札が必要だということだ。その点をはき違えると、たいそうにブログで世相を語ったり、まるで自分が書いたかの如く、健さんの著作をエサに自分語りをするようになってしまうのだ()



初台R&R物語 発行(単行本) 1988年7月2日(土) 出版社 ビクター音楽産業株式会社
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1990年6月10日(日) 出版社 角川文庫
共著
初台R&R物語 初台R&R物語 備考

イカしたタイトルだなぁ、と思った。私は東京という場所に全く土地勘がないので、未だに街の姿をイメージするのが酷く困難なままでいる。テレビやそれこそ小説の舞台でいくらでも東京の姿は描かれているのにも関わらず、だ。

しかし全く思い描くことが出来ないということは、逆に先入観がないということなので、例えばこの本で描かれている健さんが拠点にする場所、というイメージを全く偏見無しで受け入れてしまうことが出来る気がする。それはそのまま、かっこいいのフラグメントになったり、勝手に解釈して架空の街を作り上げてみたり。

健さんのエッセイは常に、ロックと共にありそれがアートやモーターサイクルや、ありとあらゆるものを内包している、というスタンスに立っている気がする。その考え方に私は最もシンパシーを感じていて、音楽をやる時やモノの見方、捉え方の指標にしている。

その原点がこの本かな、と思ったりする。

(単行本再読)

些細なことで申し訳ないが、表紙の話。本当の表紙は画像の通り、白をベースに文字だけのシンプルなものなのだが、裏表紙にはしっかり健さんがシャウトしている写真が使われている。私はこの単行本をネットで購入したのだが、そちらではこの裏表紙の方の画像が堂々と表に出ていた。そりゃ、タイトルからすると、こっちの方だよな、と思わなくもない。

敢えて、二十代の健さんのエッセイ「マギー・メイによろしく」と比べると、人は三十歳を超えるとこんなにも落ち着くものなのだろうか、と思う。「マギー・メイによろしく」の方の感想にも書いたけれど、おそらく表裏一体なのだろう。ただ、後半のミック・ジャガーへのインタビューなどを読むと、スピリットは変わっていないのだな、と思う。まぁ、当たり前の話なんだろうけれど。

そういう意味で、今の健さんのエッセイを読んでみたいな、と思う。特に、今の音楽、そしてストーンズについて。実はブログもかなり期間が空いてしまっているし、健さんのエッセイとはずいぶんご無沙汰のような気がするのだ。

作中、六十年代から七十年代にかけての青春を三つのタイプに分けて考える、という部分があって、健さんはその時代に限定していたけれど、ある意味普遍的にそれは当てはまるな、と思って読んでいた。それによると、私は間違いなくビートルズ・タイプだ。正しく健さんに言われたとおり、ロマンチストなのだから仕方がない()

しかし、私はビートルズよりもストーンズの方にシンパシーを感じる。それはひとえに、憧れだからだ。おそらく健さんはもっと親密なのだろう。私の場合は、ギャップがあるからこそ惹かれるのだ。そこに私は、「好き」の形、というようなものの本質に気付いた。

詳しくは端折るが、ストーンズ・タイプはそうであろうと心がけるが為に、自分に対して非常にストイックだ。だが、ビートルズ・タイプは、憧れはするが、結局は自分が好きという結論を導いてしまって途方に暮れる。それが健さんの言う悲劇なのではないか、と。

いまさらそのことに気がついてもな、と思わなくもないのだけど、今だからわかる健さんの言葉、というのもあるわけで、それが特に顕著に思い起こされた、一冊だったな。



印象派の冒険 発行 1989年9月28日(木) 出版社  講談社
      印象派の冒険 共著
備考

健さんとは長い付き合い、といっても、まぁ作家と読者という関係を維持したままだけど、だからこそ、新刊が出てもある程度、雰囲気のようなものを事前にわかった上で手に取ることが出来る。それはそうなってしまったものを今更変えられないからに他ならない。

斯様に、CDでも小説でも映画でも、なるべく事前情報に触れないで、最初の衝動だけを頼りに作品に触れるように心がけている。絵画ももちろんそうで、最近は少なくなったけれど、近くのミモカとかに行く時も、最初にパッと見た時のその衝動を大切にしたい。ただし、心に深く刻まれたものは事後、これでもかと調べ回る時もある。特に対象がカワイイお嬢さんだったりした時とかは。

それはさておき、だからなのか、私は表現に纏わる歴史、というものに疎い。何々派、とか、なんとか・ムーブメントとか、最近は音楽のジャンルまで疎くなってEDMとか何?って感じになっている。別にそれは悪いことではないとは思うけど、決して通にはなれない。そういう時に、チラッとこういう本があると便利。健さんの言葉を、例えばお嬢さんを口説く時にそれとなく混ぜることが出来る。まぁ、私の場合、だいたいがその為にあるんだけど。



ロックンロール日和 発行 1990年11月15日(木) 出版社  八曜社
      ロックンロール日和 共著
備考

ルーディーズ・クラブを始めてから、健さんの音楽に関するエッセイはほぼ、ルーディーズ・クラブ選書、という形で世に放たれる。ロック・スピリットの体現者から、エヴァンジェリストへと軸足を移した形がルーディーズ・クラブで、ネットが一般的になる前の読者との繋がりの場でもあった。

ルーディーズ・クラブは、キースのソロアルバムと時を同じくしてスタートしている。それはストーンズが一回り大きなロックバンドとして再生し、こういう言い方はあれだけど、平成ストーンズとして来日もし、スタジアム級のライブを次々にこなして世界中を席巻していく、その過程の初期と重なっている。

健さんの著作も音楽に関する単行本は、ここからグッと減っていく。ルーディーズ・クラブの方に音楽に関しては活動の場を移したというより、限定したような感じ。その最後期に当たるこのエッセイは、他紙に掲載されていた音楽エッセイをまとめたもの。こう言ってはなんだけど、ちょっとその熱が冷めているような気もしないでもない。確かに、ミュージックシーンがバブルの頃の熱を失い、ニューカマーにも突出したヒーローが見当たらない時代でもあった。衰退、という言葉は悲しいけれど、そう言わざるを得ない冬の時代がやってきたのだ。その端境期にパッと咲いた向日葵のようなエッセイ集、という感じかな。



セイブ・ミー 発行 1991年2月28日(木) 出版社  立風書房
      セイブ・ミー 共著
備考

健さんが抱える問題意識、そのスタートは環境問題だった。自身の拒食症体験から、地球というモノへの憂いが生じ、やがてそれを最も破壊するモノとして原発反対へと繋がっていく。このリストの冒頭、健さんは扉のようなモノだ、という話をしたけれど、バンバン新しい扉を提示するのではなく、同じ長屋の様々な部屋のように、一貫性というか地続きにはなっているのだ。突拍子もないような変遷はあまりない。

年を追う毎にゲリラ豪雨やら、大規模な自然災害やら、その度に地球温暖化が矢面に立たされる。この本の中にあるような、ガイヤ理論をざっくりと引っ張ってくるなら、その温暖化ももしかすると地球が望んだことかも知れない、と思う。温暖化は二酸化炭素や、メタンが原因、ということで規制に走るけれど、もしかすると、もっと別の要因、温暖化しなければならない理由があるのかも知れない。地球の自律神経が、自浄作用で温暖化しているとするならば、人間本位の対策は、全く的外れになってしまう可能性がある。地球が人の淘汰に動いている、という風にだって考えられるのだ。

言葉を獲得した人間が、地球上の生物の中で最も高等、というのは思い上がりかも知れないと思う。言葉を使わずに意思の疎通が出来る、あるいは単純な音でコミュニケーション出来る方が、ずっと合理的でスマートで優れているはずだ。究極のGUIとさえ言えるのだ。

そういう意味で、地球の環境に関する視点も、幾らか方向性を変える時期に来ているような気がする。



ライオンの昼寝 発行 1991年8月15日(木) 出版社  実業之日本社
      ライオンの昼寝 共著
備考

アフリカ本、というか、動物をテーマにしたエッセイ集。ライオンやシマウマが出てくるので、「ママ・アフリカ」のようなアフリカ本と同じように読んでいたけど、例えば利己的な遺伝子とか、十数年後の「ジーンリッチの復讐」なんかのネタ本のようにもなっている。その頃から、健さんの中にあるテーマというか発想があったということなのだろう。同時にスピリチャルな体験から、地球外知的生物まで、分け隔てなく純粋に網羅されている。

「ママ・アフリカ」の項でも話したように、動物と人間と、どちらが進化の進んだ形なのか、多少疑問に思うという私の個人的な考えを、裏打ちするというか煽るように、コールドプレイのAdventure Of A LifetimePVが秀逸で、久しぶりに何度も見返している。2016年初頭はスーパーボウルからずっとコールドプレイで、それもすべてAdventure Of A Lifetimeから始まっている。音楽は、人間が獲得した至上の表現というような考えも、案外動物から教わった伝達手段なのかも知れない、とちょっと思ったりする。



僕らがポルシェを愛する理由 発行(単行本) 1991年9月25日(水) 出版社 東京書籍
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1996年2月3日(土) 出版社 中公文庫
共著
僕らがポルシェを愛する理由 僕らがポルシェを愛する理由 備考

健さんのクルマ本の中では、ごく最近に読んだ方。ブログにその時のことを書いている。私にとってクルマは、移動手段以外の何物でもないのだけど、それでもミッション車じゃなくちゃ乗らない、という矜持だけは未だに保っている。現在のクルマを買った時に、次に買い換えるとしたらもうクラッチ踏むのがつらいから、ミッション車は最後、だってカタログからも消えていっているし、エコじゃないし、って話していたんだけど、どうももう十年ほど延長しそうな感じ。

クルマもモノである以上、キズは付くし老いてもくる。それで、ハイ新しいの、とはならないのが、面白い所。車を選ぶ価値基準は、それぞれで、私も家族とか持てばまた変わるのかも知れないけど、ミッションという拘りと同時に、この車でどんな土地を踏むことが出来るか、というのが目下の所の課題。というほど外に出かけていないんだけど。買ったばかりの頃に不祥事で一年以上乗らなくて、車の運転そのものにもブランクが出来てしまって、その反動のように当時持っていた金を使い切るほど使って、二週間ほどの旅をした。その前のクルマで赴いた経験を、その2週間でほぼ追い抜いてしまった。それでもなかなか、トモダチ、になれずに苦心した。まぁ、穀潰し生活のせいなんだけど。

結局クルマそのものではなく、付き合い方なんだな、とこの本を読むと改めて感じる。それはモーターサイクルへの偏愛の頃とも変わらない価値観なんだな。

(単行本再読)

健さんのエッセイは愛に溢れている。私は健さん以外の作者に触れることが少ないので、当然あまたのエッセイと比べたわけではないけれど、愛情一辺倒でもなく、拘り一辺倒でもないところがとても好きなのだ。多少逆説的な言い方になるかもしれないけれど、偏愛が過ぎるところがちょうど良いのだ。

他のエッセイの感想で書いたけれど、そういう部分に憧れ、成長のある種の目標にしてきたところがある。気がつくと生活の中の善し悪しの基準や、スタイルと様々なニュースとを秤にかけてみたり、良い悪いの感覚よりも、好きか嫌いかで判断するようになった。それはおそらく褒められたことでは無いのだろうけれど、ただ、愛がなくてはそれは成り立たないのだ。

そういう意味で言うと、文庫本の感想に書いたように、クルマに対する愛情は薄い。しかしそれでも拘りはある。それで好いのだ、と思っている。

再読中、ふとあることを思い出した。私は高校を中退するまで田圃しか周りにない田舎に住んでいたのだが、小学校のクラスも一組しかなく、私が小学六年生の時に初めて、一年生が一組と二組に別れた。それだけ人が少なかったのだ。

ある時ひとつ上の上級生が、おかしなフレーズを発しているのに気がついた。どうやらそれは渾名らしい。良く覚えているのは「ロータス」と呼ばれていた子供がいたということだ。

時折しも、スーパーカーブームの頃。もう忘れてしまったが、その上級生は、スーパーカーの名前を渾名に付けて呼び合っていたのだ。彼等は今でも同窓会をすると、ロータスとか呼んでいるのだろうか。他にどの車種を渾名にしていたのか忘れたのは、つくづく残念だ。

そして改めて思う。そうだ、あれはスーパーカーブームで、スポーツカーではなかった。重なってはいるのだろうけれど、おそらくこの本出てくる意味とは少しニュアンスが違う。私はあまりのめり込んだ思い出はないのだけど、それでもお城の広場に集められたスーパーカーを見に行った写真が残っている。正面は人がいっぱいだったので、ほぼすべてテール側からの写真ばかりだった()

当たり前だが、スポーツカーよりもスーパーカーの方がなんだか凄そうな気がするが、時代を経てそれだけクルマというものが一般大衆化したということだろう。誰も軽自動車のめちゃくちゃ速いヤツを、スーパーカーとは呼ばないものな。

そしていつか、クルマは自動運転の時代が来て、それは路上を走るベルトコンベアーになる。文化や楽しみがひとつまた消えるのだ。それを進化と捉えるか、衰退と捉えるかは、きっと時代が決めることなのだろう。



いつもそばに仲間がいた 発行 1992年2月21日(金) 出版社  講談社
      いつもそばに仲間がいた 共著
備考

バブル後期、いわゆるホイチョイモノ、と呼ばれる一群の映画があった。それは決まって、この本のタイトルが裏テーマのように貼り付いていた。単純にそれを信じられる幸福な時代だったのだ。いつの時代も裏切りや、人間関係の齟齬はあったはずなんだけど、エンターテイメントはそこを踏み外せなかったのかな。

そういう感じだとがっかりだな、と読んだのはつい最近なんだけど、そう思いながら読んだら、そうじゃなかったのでホッとした。どちらかというと、友達の中には裏切るヤツも親身になってくれるヤツも両方いたけど、とりあえず近くには居た、という感じだろうか。私はそういう内容でホッとして読んだけど、果たして今の若い人にはどう写るだろう。そう考えると、やはり人身は殺伐としていると思い知らされるね。



ローリング・ストーンズが大好きな僕たち 発行 1992年4月30日(木) 出版社  八曜社
      ローリング・ストーンズが大好きな僕たち 共著 鮎川誠
備考

ストーンズに嵌まったのが、二度目の来日以降、というのは何とも私らしいなと思うのだけど、それはやはり、初来日を体験していない、という負い目のようなものを背負ってしまう所にある。しかもストーンズには年季の入った強者ファンが大勢いるのだ。私如きぺーぺーが、と幾らか卑屈になってしまうような所がつい出てしまう。

二度目の来日の時、東京ドームでライブを見た時はまだ、ストーンズの全ての曲を聴いたわけでもなかった。だから曲目も曖昧で、ちょうど直前に発売された「Jamp Back」というベスト盤で補完する、という感じだった。

ストーンズのライブというものは見るものではなく、体験するものだ。そういう経験自体が初めてだったし、その衝撃の深さは、三十前にしてなぜ?と思うぐらいに無邪気にはしゃいでしまうほどだったのだ。

ライブが終わって香川に帰ってから一ヶ月後に放映されるNHKでのライブを心待ちにし、次に給料が入ったらどのアルバムから買おうか、と毎日ウキウキしていた。そんな時にガイドにしたのが、この本の巻末にあるアルバム・ガイドだった。ちょうど来日に合わせて旧譜がまとめて再発されていて、先ずはライブで聴いた曲が入っているヤツから、なんていう風に、カタログと照らし合わせながら。これは健さんがあまり良くない、といっているから後回しでイイか、という風に。

更に、これはシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんと共著だ。鮎川さんは、後に「DOS/Vブルース」でもお世話になるのだが、ストーンズの時もこの本をもうボロボロになるまで読んだ。つまり、鮎川さんは健さんと並んで今の私を形作る良き先生だったわけだ。高校生の頃は何曲かコピーもしたしね。

ストーンズの名を冠した本は巷にたくさんあるけれど、なぜか私はもうほとんどこの一冊だけを頼りに何度も何度も読んではまた繰り返してCDを聴き、という毎日をしばらく過ごす。オリジナルアルバムを全て集めるのはその後、三度目の来日の時になるのだが、その時私は悲しい事件に遭遇する。ストーンズ熱と共に、その辺のことはブログで長々と喋ったことがあるので、興味がある方はそちらもどうぞ。



ワン・ラブ・ジャマイカ 発行 1993年11月20日(土) 出版社  TOKYO FM出版
      ワン・ラブ・ジャマイカ 共著
備考

あの頃熱狂したジャマイカに十年ぶりに訪れた、というジャマイカ本。ここから徐々に精神世界というか、スピリチャルなものへと健さんは下りていく。そのきっかけのような体験にも触れている。

ジャマイカは遠すぎて、というより、元々海外への羨望が私にはあまりない。観光的に見たいモノはあるけれど、それよりも日本にまだ見ていない素晴らしいものが溢れている、という思いが強いからだ。そもそも日本語が通じない場所というのが心許ない。健さんのように英語が喋れればいいけど。

確かどれかのジャマイカ本で、健さんが言ってたと思うんだけど、オレは仏教徒だ、と言い放った、という話と一緒に「オレの英語はストーンズで勉強したんだぜ」という名言がある。これを、私は宮崎の高千穂神社の夜神楽を見に行った時に拝借させてもらったことがある。その頃私はまだ喫煙者で、当時の彼女も喫煙者だった。二人して神楽が始まる前に喫煙所に向かった。彼女は旅館でレンタルした浴衣を着ていた。その喫煙所にふらりと外国人が現れた。タバコターイム、とか陽気な方で、その雰囲気に乗せられて、ウェアー・アー・ユー・フロム?なんて調子に乗って尋ねたのだ。その外国人の方はフロム・カナダ、と応えたあとに、今は日本で英語を教えています、とハッキリとした日本語で仰った。横で、彼女は私が外国人に、しかも英語で話しかけたことに驚き、且つ羨望の眼差しで私を見ていた。

その後二言、三言何か喋って、するとその外国人の方がお世辞で、発音お上手ですね、と仰った。調子に乗った私は、アイ・スタディ・イングリッシュ・フロム・ローリング・ストーンと言い放ったのだ。フロムにすべきか、トゥーが好いのか、一瞬迷ったが、この際どうでもいいやと、どうせ健さんのパクリだし、と思って堂々と言ってのけたら、外国人の方も、オーッ、という感じでニコリと笑ったのだった。

もちろんその彼女には、健さんのパクリだとは言ってない。ちなみにその後夜神楽を見て、宿の方の計らいで真名井の滝がライトアップしていたので見に行ったけれど、暗くて何が何だかわからず、今はその写真もなくなったのでどんな所だったかさっぱり記憶がない。



劇薬ストーンズ ポジティブな意志 発行 1994年11月20日(日) 出版社  シンコーミュージック
      劇薬ストーンズ ポジティブな意志 共著
備考

健さん責任編集によるニュー・ルーディーズ・クラブの別冊。ルーディーズクラブ時代から、ストーンズの来日に合わせて特集を組んできたけれど、ついに別冊を作ってしまった、っていう感じ。ちょうど二度目の来日の直前で、それまでに単行本に収録されたり雑誌に掲載されたストーンズ関連のエッセイや小説をひとまとめにした特別版。「ローリング・キッズ」や「ロックンロール・ゲームス」を持っていると半分くらいはすでに読んだことになるけれど、集大成という意味では非常にお得でありがたい一冊。

私がストーンズを初めて見たのはその二度目の来日、ヴードゥー・ラウンジ・ツアーの時の東京ドームだった。京都の友人と東京で待ち合わせて、二階席の端っこの方で豆粒ほどのストーンズを見た。ライブ終盤、Start Me Upが始まった時、私の隣にキースがやってきて、「おまえ、なんちゃ間違っとらんで」と言われて以来、今に至るまでストーンズにずっぽり嵌まっているのだ。

きっかけは、そのヴードゥー・ラウンジが発売され、ツアーがアナウンスされるという特番をNHKでやっていて、それを見て初めて、ストーンズをかっこいいなぁ、と思ったのだ。もちろんその前にストーンズの存在は知っていたし、健さんの本も読んでいた。ただ、実感としてかっこいい、と思ったのはその時が初めてだった。その衝動に突き動かされて、アルバムを買い、すると京都の友達から電話が入ってライブのチケットを取ることになり、一緒に東京に行くことになり、とトントン拍子に話が進んでいくのだ。

東京へ赴くのに、行きは深夜バスを利用することにしていた。本当は新幹線にしたかったのだけど、その年の初頭阪神大震災が起こり、来日した三月にはまだ復旧していなかったのだ。それで、バスにしたのだけど、行き帰り退屈するだろうから、と本を持っていくことにした、その時チョイするしたのが、本屋に並んでいたルーディーズ・クラブだった。それが健さんの責任編集であることはもちろん知っていたし、ストーンズの特集がされているものを片っ端からゴソッと、買っておいたのだ。本当はこの別冊だけにしようかと思ったのだけど、ストーンズ、という名の持つ熱に魘されて、何でもかんでも手に入れておきたい、という衝動に負けたのだ、ちなみにアルバムが発売された時に、ギターマガジンが特集をしていて、それももちろん、買っておいたさ。そしてギターの六弦も切った。オープンGにして、低くギターを構えて、と。

そのヴードゥー・ラウンジの日本版には、ライナー冒頭、健さんの小説が添えられている。それを見た時、健さんはどんなに嬉しかっただろうか、と一緒になって震えたものだ。その小説も、ここにしっかり収められている。

本格的にストーンズに没頭するのは、ライブを見てからで、その時ガイドにしたのは「ローリング・ストーンズが大好きな僕たち」なのだが、その巻末のアルバム・ガイドが健さんの分だけここに転載されている。それにプラス、ヴードゥー・ラウンジの分も追加されている。

ストーンズが来日するということは、日本のファンにとっては祭りのようなもので、彼等が滞在している期間は、足元がソワソワして落ち着かない。ちょっとギターの音でも聞こえようものなら、直ぐに踊り出してしまいそうになる。そんな熱狂具合というか、健さん自身も熱に魘されているような感覚が感じられる、そんな一冊。



快楽のアルファロメオ 発行(単行本) 1995年11月7日(火) 出版社 中央公論社
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1998年6月18日(木) 出版社 中公文庫
共著
快楽のアルファロメオ 快楽のアルファロメオ 備考

この本を最初に読んだ頃は、新刊はさておき、旧いラインナップも探さないと、と思い立った頃で、旧本屋やネットでみつける度に買っていた。だから、これまではどちらかというと文庫本ばかり買っていたのが、俄然単行本を先に読む、という機会が増えてきた。

その頃はもうエレクラをやっていて日々曲作りに熱中していたんだけど、その代わりに長く彼女が出来なくて、という日々を送っていた。何度かデートをしたりはしていたんだけど、そんな中で一度徳島へドライブへ出かけていったことがあった。高松から吉野川の三好の辺りへ抜けて、その土手沿いの道に出る交差点で、左折してきた車が真っ赤なアルファロメオだった。その車を眺めながら、アア憧れのアルファロメオ、と口走ったら、助手席の女の子に、なんですかそれ、って云われた。そこから怒濤の健さんの本を餌にした、この一群のコメントみたいな話が続いたわけだ()

元々女の子を口説く時に、山川健一が好きなんだよね、と言いたいが為に健さんの本ばかり読むようになった、というきっかけからすると、ウン十年経っても初心忘れず、正しく忠実に私は若い頃の宣言を守っているのだ。でも結局、その女の子とはそれまでだった。



ヒーリング・ハイ 発行(単行本) 1995年12月10日(日) 出版社 早川書房
単行本 文庫本 発行(文庫本) 2009年6月10日(水) 出版社 幻冬舎文庫
共著
ヒーリング・ハイ ヒーリング・ハイ 備考

健さんの著作、特に文庫の方は、講談社や角川文庫から縁遠くなってからはほぼ、幻冬舎に限られてくる。ただ、幻冬舎になってからのラインナップは、ほぼ新刊で読んでいるのでなかなか文庫までは手を出そうとは思わない。そんな時にポロッと出てきた、絶版になっていた単行本の文庫化。

健さんの中ではおそらく二度目に襲ってきたニューエイジ体験というか、その波の中でいわば再発された感じ。スピリチャルなモノは私の世代ではちょっとオカルトめいていて、ノストラダムス以降、熱狂した分だけ懐疑的にもなった。元々の単行本も、発売されているのは知っていたけど、いやぁさすがにオカルトモノはね、って感じで避けていたのだ。正直言うと、その辺から一度、健さんばかりに執着するのから離れた。

文庫になった時は、もっと下世話な感じで宗教をわかろうとしていた時期で、お遍路をした後、わからないことばかりで難しいお経の解説本なんかを、読んでいた。ちょうどその過渡期で、高野山で教わった阿字観とかやりながら、なんだろうな、ってな感じで模索し続けていた。

それでもこの中に書かれてある幾つかのエピソードは、他のエッセイでも披露されていて、健さんが胡散臭い自己啓発セミナーに走ったというような偏見とは、かろうじて無縁でいられた。今はある程度、宗教観のようなモノに私の中でケリが付いているので、今もう一度読むと、また違った感覚で読むことが出来るのかも知れない。

(単行本再読)

文庫本を読んだのはつい最近、と思っていたらもう十年近い年月が経っている(現在2018)。その間に、ピンク・フロイドのCDを全部集め、仏教や神道についての本を読み、戦争について考え、そして未だに穀潰しをやっている()。私の中の歴史的タームで言えば、同じ時代に二度読んだという感覚なのだけど、意外に色んな事をやっているな、と思う。

健さんの著作はこと、エッセイに関しては、必ず何かをしたくなる。車の本ならハンドルを握りたくなるし、音楽に関することなら私ならこういう曲をやってみたいとか、そして、スピリチャル本ならやっぱり瞑想である。最近はマインドフルネス、とか云って、瞑想もずいぶんと偏見がなくなってきた今日この頃である。

文庫本を読んだ当時は、女風呂を除くために体外離脱を試してみたり、神秘体験を求めて阿字観をやっていたけれど、結局、この生活そのものが長い長い修行、或いはメディテーションみたいなものなんだな、という気がして、敢えて何かをすることを辞めた。入れ替わるように、今は熱心に小説を書いている。

現在ある事情により、長い作品に取りかかっているけれど、どうも本を読むとそっちに引っ張られる感覚があって、健さんの小説なら特にそうなので、敢えて避けていたけれど、ついエッセイなら大丈夫だろうと、手を出してしまう。案の定、今回はずいぶんとインスピレーションをもらいました。それが日の目を見るかどうかは定かではないですか、自分では面白いものが出来ている、と自負していますし、生涯おそらく唯一の体験でしょうが、自分で書いていて泣きそうになりました()

つまり、特にエッセイというのは何かというと、それは作者との長い長い旅なのだろうな、という気がした。今回は健さんと魂の海を一緒に彷徨い、道中じっくり話を聞く、といった感覚。そして、あっ、と思う。思うとやはり身近なところへフィードバックする。それが今は、小説という形に表れてくる、ということだろうと思う。

そしてスピリチュアル、という言葉に触れると必ず思い出すのが、阿字観をやっていて、一瞬よぎったある風景、というか写真みたいなもの。ヒマラヤ山脈が青い空にぽっかり浮かんでいる姿なんだけど、それはなぜかずっと私の脳裏に焼き付いていて、瞑想とかそういう感覚を思い出す時に浮かんでくるのだ。半分眠っているような時に、ふっと浮かんだので、夢を見たんだろう、と思うのだけど、最近その夢と現実の間に、微妙な隙間が空いている気がする。そこに、落ち込むのは、正しく本を読んでいる最中。

私が読書が遅いのは、すぐ眠くなるからなのだが、読んでいる文章の途中で寝落ちすると、一瞬、続きを読んでいるようで全く違う文章を読んでいる。それがどこか本文中をジャンプしているかと思えば、覚えている単語がどこにも見当たらない。まるで別のストーリーが始まっているのだ。ただそれは現実と地続きで、妙にリアルに見える。眠りそう、という自覚はあるけれど、まだ眠っていない、という感覚もある。不思議な隙間を、結構頻繁に垣間見ている。

ということは、結構寝落ちしているということだが()、それも本を読む時は、リラックスしているということで納めておこう。



マッキントッシュ・ハイ 発行(単行本) 1997年1月6日(月) 出版社 幻冬舎
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1997年11月25日(火) 出版社 幻冬舎文庫
共著
マッキントッシュ・ハイ マッキントッシュ・ハイ 備考

健さんのマック本。私は窓使いなので、健さんの中にあるようなマックへの偏愛、というモノは、わかるようでわからない。というか私の場合、道具だから、という突き放し方があるので、ギャップを感じてしまう。その辺は、ブログでも語ったことがあるけれど、でもネットに向かう姿勢なんかは共感する部分が多い。

ただ、この本の双子のように出た鮎川誠さんの「DOS/Vブルース」は、ちょうどパソコンを始めたばかりの頃に読んだのもあって、熱狂して読んだ。実はそちらの方は、一度手放していて、もう一度買い直してまた読み直した。この「マッキントッシュ・ハイ」を読むなら、「DOS/Vブルース」もちゃんと持っていないとどうもバランスが悪いような気がしたのだ。何しろ私は、窓使いなのだから(笑)。鮎川さんの方は、今のご時世では必ずしもおすすめ、とは言えないような使い方もあるのだけど、しかし、Windows草創期の最も熱に溢れていた時代を知っているのと、知らないとでは今のスマホや生活の中に入る込んでいるITとの付き合い方がまるで違うはず。

一時期流行ったゲーム脳、というのはよくわからないけれど、確かにパソコン脳、というか、パソコンをやっていると染みついた作法が生活まで及ぶ体験は、DOS/Vという言葉を知っている人なら誰でも経験があるはず。断捨離、とか云わず、Windows98辺りを弄っていればモノを捨てて整理する感覚は、自ずと身につくはずなのに、と思う。

(単行本再読)

月日の過ぎゆくのは早いもので、この本が刊行されてから二十年以上経っている。二十年経って思うのは、あの頃はコレが究極のツールだったと思い込んでいた、ということ。パソコンが正しく、パーソナルな存在なって、確かに二十年前は最新だった。しかし、当時でも、コレが当たり前になる時代が来るんだろうな、という予感はあった。それはつまり、わたしたちが思い描いていた未来に、現実が追いついたということだ。その夢のような体験を、リアルタイムで経験出来たのだから、それはまさしく幸福だろう。

現代(2018)若い人の間で、パソコンを扱える者が少なくなっているらしい。パソコンよりも、スマホやケータイ、ゲーム機の方が身近で、なんでも出来るからだ。二十年前に、ゲームはともかく、インターネットに繋ぐのも音楽や動画を楽しむのも、パソコンが一番最適だった。そういう優越感のようなものがあったにも拘わらず、今はどこかレガシーな存在になっているというのだから驚きだ。

それはあの頃思い描いた夢が、確かに叶ったのではあるけれど、それを突き抜けて行ってしまった、ということに他ならない。夢に現実が追いついて、あっという間に追い越してしまったのだ。夢を創造する事が困難になった次代とは、こんな原因があったのか()

村上龍の「希望の国のエクソダス」にいわゆるヤンキーとかDQNとか呼ばれる連中は、パソコンが扱えないので、引きこもりのオタクの方が支配者の方に廻る、みたいな描写があったけれど、それも今は、スマホが台頭することによってある意味、解消されている。おかげで、ネットには変な連中がわんさかと増えたのだ、私を含めて。

その残照のように、今ネットの世界は作りかけのまま放置されたブログやホームページの類いが瓦礫のように散乱している。実は、健さんのホームページの方も、かなりリンクやら色んなものが失われて、漂流している。そのデータベースの部分を代替する意味で、このホームページを立ち上げたのだけど、私自身、ブログの方はもう不定期更新で放置している。そのつもりはなくてもそうなってしまっている。

その昔、この本で描かれているように、フリーズなんていう厄介ごとも今は昔、CD-ROMドライブが付いているのが最新型だったのが、今はそれもすべてネットが肩代わりしている。フロッピーやMOなんてもう存在すら忘れている。

あの頃、わたしたちが熱狂したのは一体何だったのだろうか、ということを考えると、それはちゃんとこの本に描かれてあった。それが自由の感覚だ。パソコンは便利な道具ではなく、自由を体現するツールだったのだ。

そして今は、なぜか受け入れる時代から、排除の時代に移っている。ネットがその先頭を走っている。自由が先鋭化して、個が突出し、その結果、意見の合わないヤツを排除する方向に進んでいるのだ。それがボクらが望んでいた「夢」の世界だろうか?

そういう時にやはり、こういうスピリットに溢れた本を読み返すと好いのだと思う。

最近マックに、Core i7が搭載されているのを知って、驚いた。今はもう、マックだなんだという時代でさえなくなっているのだ。

ちなみに、健さんの近くにマック使いが多かったのは、きっと当時安定性を求められる現場ではマックの方がダントツで、それがいわゆるエンターテイメント系、映像や音楽の現場に於いては特に重要視されていたからだと思う。

それも今は、Windowsネイティブというものでも充分使えるようになっている。そこもまた垣根が低くなってきたんだろうけど、ただ、私個人は、未だにスマホでDTMというのが理解出来ないでいる、レガシーな存在なのだ。



おはよう、ブルースマン。 発行 1997年12月25日(木) 出版社  TOKYO FM出版
      おはよう、ブルースマン。 共著
備考

初心者向けブルース講座、というような感じ。ブルースマンの恋、よりはもっと噛み砕いて誘っている感じがする。当時まだ現役、というより在命だった二人のブルースマンへのインタビューが含まれているように、もっとポピュラリティーに比重が置かれている。

私の中のブルースは未だ、そのものよりも、ストーンズやクラプトンを通して触れる原点、という域をまだ超えられずにいる。クルマの中や、部屋で何かをしながら聴いたりはするけど、ちゃんと正面から向かって聴くようなことはない。逆に不図耳に付いたフレーズが、誰かのフレーズに似ていたり、カバーかも知れないと現役アーティストの方を漁ったりと、ブルースから現代へと流れてしまう。

最近になってやっと、あの音の質感を許容できるようなったのだけど、それまではストーンズでさえ初期のモノラル時代などは、音がクリアでないことに苛立っていたのだ。それがすんなり耳に入ってくるようになったきっかけは、ほんの些細なことだけど、やっと入り口に立ったばかりなのだ。

その時思ったのだけど、年齢と共に寄り添う音楽というものがあるのだな、とそんな気がする。若い頃はやれヘビメタだパンクだ、と元気で激しく破滅的なものに心惹かれていたけれど、俺ももうそんなに若くないし、と聴いているのがクラプトンの枯れたブルースだったりする。ガチャガチャ云う五月蠅いのも時には好いけど、部屋でのんびりする時はこの本に出てくるような、ブルースがちょうどよいものだ。そういう聴き方に反発もあるだろうけれど、私はそういう奥の深さが、ちょうど好い、と思っていたりする。



ブリティッシュ・ロックへの旅 発行 1998年9月11日(金) 出版社  東京書籍
      ブリティッシュ・ロックへの旅 共著 小川義文・写真
備考

穀潰し生活を始めて他人の財布で呑気に暮らすようになって、なぜか私はギターの練習を始めた。理由はいろいろあるけれど、一番大きいのはパソコンと連動してギターを弾けるようになったことだ。難しい曲でも、テンポを落としてなぞることが容易になった。一通り弾けるようになってから徐々に元のテンポへとステップアップしていく。元のテンポに届かなくても、ちょっと遅めでも弾くことが出来れば、なんとなく上手くなったような気になれたのだ。

その手始めがクラプトンだった。ギターの世界の神だよ()。神のフレーズに手が届いた、という感覚は、私を必然的にギターに向かわせたのだ。

そうなって始めて、ギタリストに特化したアルバムを毎月買うようになった。それにも実はもうひとつの理由があって、ちょうどその頃煙草を止めたのだ。煙草代をそのままCD代に充てることにして、禁煙に成功したのだ。その時チョイスしたのが、例えばギターマガジンにスコアが載っているアルバムとか、そういう感じでギター・アルバムをよく聴くようになったのだ。

今でもあまり自覚はないけれど、幾らかギタリストと自分を規定するようになってからこの本を読んだ。この本に限らないけれど、ブルースを始め、ブリティッシュロックや、健さんの本に登場するアーティストの、健さんが聴いてきたアルバムを自分も聴くようになって、やっとなるほど、と分かることがたくさんあった。今更、と言われそうだが、貧乏な私に出来ることはロックバンドで歌うことと、ネットのエッチな無料画像をダウンロードすることだけ、だったのだ()

それはさておき、小川義文さんと組んだ本は車に関するものが多いけれど、そちらよりはずっと私には距離が近い。それにしても、イギリスが醸し出す色というものがあるのだな、と感じる。どこか哀しみの滲む、くすんだ色。健さんの文章と相まって、そういう色彩に沈んでいる印象の一冊。



日曜日のiMac 発行 1999年5月28日(金) 出版社  星雲社
      日曜日のiMac 共著 名前
備考 特記事項を

エレクラを始める前、バンドスタイルにあまり希望を見いだせなかった頃に、パソコン・ミュージックが出来ないかな、と悩んだことがある。当時、サンレコとか読むと、ミュージシャンはみんなマックを使っていたので、私も電気店にパソコンを見に行った時、PCよりはマックばかり見ていた。正確にはその前、尼崎にいる頃に最初のパソコン・ミュージックへの願望が芽生えて、ちなみに当時はMSXだったけど()

結局パソコンは諦めて、音楽専用の機材を集めて、それが最終的にエレクラの活動のベースになり、やがてはたいそうなスタジオに発展していく。いわゆるDAWを導入するのは、二十一世紀になってからになる。

今はWindows派、ではあるけれど、最初はマックも選択肢に入っていた、ということです。マック・スタートとかいう雑誌も一時期買ってたし。結局それがWindowsになったのは、たまたま最初にパソコンを譲ってくれた友人がWindowsユーザーだったというだけで、特に拘りがあったわけではない。ただ、そのパソコンもNEC製、つまりPC-98だぜ()。システムドライブがAドライブになるんだぜ。

グラフィックは専門外なので分からないけど、音楽はもうマックが安定していて最適、というのはもう過去の話になっている。業界標準プロ・ツールズもマック専用ではなくなった。そもそも、ソフトが必要とするスペックは、マック、Windowsに限らず、もうハードの方が先に行きすぎている。無理矢理ハードに合わせてハイレゾだの、とソフトの方がオーバースペックになってしまっている。

健さんは完全にマック派だけれど、これはマックの入門編、というか価格的にも小慣れているし、スペックも満足のいくものになったiMacで、ようこそデジタル・ワールドへ、という趣の本。おそらくそれは意図的なんだろうけれど、明らかにパソコンのワードプロセッサで打ち間違えたような誤字がそのまま残っていたりする。しかも横書きで、通常の書籍とは開きが逆。その体裁自体が、新しいサイバー世界を体現しているのだ。だから、幾らか変換は必要だけど、窓使いにも充分楽しめる一冊。いかんせん、時代の流れはもうすっかり走り去ってしまっているのが、難点。



自転車散歩の達人 発行 1999年9月15日(水) 出版社  講談社
      自転車散歩の達人 共著
備考

バイクにも車にも乗るけど、ママチャリにも乗るぜ、という健さんの幅の広さ()。いや、笑っちゃいけない。エコロジーが叫ばれる時代、内燃機関よりは人力、という文化の移行も、あながち悪い話ではないのだ。

ただ、この本の中にエコだから自転車に乗ろうぜ、というのは微塵も出てこない。自転車ってイイよ、という話に終始している。最後に首都圏でのサイクリングコースなんかが出てくるのは、香川在住の私には全くチンプンカンプンだが、確かに香川はクルマ社会で、近くのコンビニに行くのもうどん屋に行くのもクルマだ。そういう田舎ほど、クルマという文明の利器には慣れ親しんでいないので、使い方がめちゃくちゃで荒っぽい。

エレクラの相棒である姫の上の子が交通事故に遭って以来、制限速度を超えないことを頑なに守っているが、自転車はさておき、それはそれで健さんに鼻白まれるかも知れないと思ったりする。時々、健さんを助手席に乗せて、なんてことを想像したりするけど、もっとガンガンスピード出せよ、と云われるかな、とか。でも、そんな時はこう返そうと思っている。

「世界の巨匠に何かあったら大変でしょう。だから安全運転で」

もちろん巨匠の部分は、美人、に交換してお嬢さんにも使えるようにしている。



オーラが見える毎日 発行 1999年12月10日(金) 出版社  大和出版
      オーラが見える毎日 共著
備考

「ヒーリング・ハイ」の頃、一度健さんから離れたのは、ロックの先生だった健さんが胡散臭い宗教にかぶれた、という偏見を持ったからだ。どんなこと云っても好いけど、オーラとかそういうのはちょっと、という感じで、距離をとってしまったのだ。

宗教に偏見があるのは、戦後教育の賜物か、あるいはオウム真理教の影響か。とにかく、四十を前にするまで、宗教やスピリチャルな世界は、胡散臭いオカルトであってUFOや心霊写真と変わらない、という風に思っていた。無宗教だと本気で信じられた時代。

これを読んだのは一応、そういう偏見を取り除いてからだったので、ああそうか健さんはそういう物が見えるのか、と受け止めた。受け止めて、敢えて結論は出さない。そういう捉え方。見えない物を見えるというのもいかがわしいし、見えている物を見えないと決めつけるのも危険。宗教は精神世界の一助であって、また、神々のシステムの中に自分がいるという感覚は、もっとリアリスティックなスピリットの世界を私に見せているから、こういう言い方は変だけど、大丈夫なのだ。

ただ、こういう精神世界を肯定的に捉えようとすると、ついあのオウム真理教のようなモノまで、一緒くたにシンパシーを感じてしまう危険があるような気がする。そこら辺の線引きを曖昧にしているのが、おそらくいけないのだと思う。オウム真理教について一言言っておくと、彼等の中を支配していたのは、破壊願望と云うよりは、リセット願望のような気がする。ハルマゲドンやら、核戦争やらというモノに、私たちの世代は散々脅されてきた。このままでは世界がダメになる、日本はダメになる。そうやって脅されて、結局今になるまで、世界はダメになったようには見えないし、日本も相変わらずプカプカと浮かんでいる。誰も今はダメになっている最中とも、ダメになった後でもう何やってもしょうがない、とも云わない。そうするとあの頃、散々脅されていたのはなんだったんだ、ということになる。

ノストラダムスの大予言は結局、バチッとアソコでリセットボタンが押されて、積み重ねてきてしまった大小様々な思い出したくない過去が消えて無くなり、ついで借金も消えて無くなり、新たな気持ちで再出発、とは行かないまでも、そこで全部何もかも終わるなら下手に生き残るよりはイイか、という願望だったのではないか、と思う。

でも結局何も起こらずがっかりした。ならば、自分で起こそうとする輩が出てきても、おかしくはない。あのような犯罪集団に惹かれる心、という心理に社会の歪みや競争社会、なんてモノを無理矢理当てはめて論じているけれど、それは全て間違っている。私たちは散々脅されて、正しく生きることを強要されて続けてきたのだ。その過程で様々な悪を背負い込んでしまう。それに我慢ならない者は、自らをリセットしようと志すモノも出てくるのは当然のこと。

そしてその精神は、未だに根強く残っている。オウムはなくなったけれど、同じようにリセット願望を抱き続けて、社会はうねり続けている。新安保法案に賛成する、あるいは安倍政権に対する支持の半分は、イデオロギーや思想ではなく、そういうリセット願望に裏打ちされているんではないか、なんてことを最近考えている。



不良少年の文学 発行 2000年7月7日(金) 出版社  中央公論新社
      不良少年の文学 共著
備考

健さんが影響を受けた作家に関するエッセイ。海外作家に限られているのは、敢えてそうなのか、あるいは健さんの琴線触れる作家をこの分量でまとめると、海外作家しかいなかったのか。読んだ当初、ブログで喋ったように、私は個人的に原書が読めない時点で、翻訳物に手を出すことに対する躊躇があった。翻訳者によってその信用が変わるのではないか、という懸念があるからだ。

そう言ってたはずが、例の詩集だと読書数稼げるんじゃね?という不埒な思惑から、ほなら誰から読も?と考えた時、結局健さんがスゴいと言っていた、ランボーやヴォードレールから読み始めたのだ。とりあえず現時点で新潮文庫の詩集と着いているモノは、一通り読んだ。一通り読んでも、よく分からなかった。もう少し現代語訳なら分かるのかも、と思いながら読み、だったら健さんが翻訳してくれたらいいのに、という結論に達した。まぁ、それは無理な話としても、出来れば健さんが触れた翻訳者、あるいはおすすめの翻訳者を推してもらうだけで、幾らかハードルは下がるのかも知れない、と思う。



僕らに魔法をかけにやってきた自動車 発行 2001年9月20日(木) 出版社  講談社
      僕らに魔法をかけにやってきた自動車 共著
備考

ドライヴ・プレビューという言葉があるのかどうか知らないけれど、試乗した感想を自動車雑誌に連載したものをまとめたもの。表紙は真っ赤なフェラーリのエンブレム。燃えるような赤、というのはフェラーリをはじめ、クルマのカラーリングに最もよく似合う表現だと思う。かといって、シャアのアイリスはあれは燃えるような赤ではなく、三倍割り増しの赤だ。

アルファロメオや、フェラーリ、クルマに赤はよく似合う。だが、私の車は黒、と決めている(笑)。そして必ず「シュワルツランツェンレイター」と名付けるようにしている。それは全くの余談だけど、車の免許を取ってから読むクルマのレビューというものは、実感がこもる代わりになんだかちょっと、距離を感じる。車種に拘りがないし、外車への憧れも希薄だからなのかも知れない。だから逆にこの中で、ヴィッツとか乗ってくれているので、その辺は面白かったりする。車に乗り慣れた人ほど、軽自動車や、大衆車に乗ってみて驚くというか、こんなに性能イイの?という話を良く聞く。

これも全く余談だが、私の相棒がつい先日新しいクルマを買った。姫と呼ばれているヤツだが、そいつは私と初めて会った時にカローラIIに乗っていて、エレクラを始めてから直ぐに、SM-Xに乗り換えた。スキーとか行くのに便利だからそうだ。もちろんその頃は独身で、まだ二十世紀だった。奈乃で、てっきり買い換えたのはそっちの方だと思ったら、旦那の軽自動車の方だった。ハイブリットの新車にグレードを上げていた。車載のプレイヤーでDVDの見方がわからん、と私にメールをよこしてくるが、そんなどこで焼いたか忘れているようなものしりまへんがな。さてその、私の愛車よりも年季の入ったSM-Xは子供の送り迎えやらなんやらで、まだまだ航続距離を伸ばしそうだ。



ジャガーに逢った日 発行 2001年10月25日(木) 出版社  二玄社
      ジャガーに逢った日 共著 小川義文・写真
備考

フォトグラファーの小川義文さんと組んだクルマもので、まずはジャガー。私と最も縁遠いのが高級車、と呼ばれるもの。スーパーカーはやはり世代的に憧れはあるし、ハイブリッドはミッションのラインナップがなく性能的にもオートマしか無理というのがあって嫌いだけどこのご時世仕方がないと思っている。奈乃で、メルセデスや、トヨタの何とかいうような、常にぴかぴか光らせていないと笑われるような車には、めんどくささも含めて出来れば避けて通りたい、と思っている。第一、今の家では間口が狭すぎて、車庫に入らない可能性がある。

昔ソープの送り迎えで一度だけメルセデスに乗ったことがあるけど、あまりイイ女の子ではなかったので、その送り迎えの思い出もくすんでしまい、あまりいい思い出がない。運転すれば快適な車なんだろうけど。

ただ、この本を見る限り、ジャガーは高級車、という捉え方なんだけど、通はもっとスポーツカー的な評価の方を重要視しているかも知れない。私もなんとなく、そっちのイメージがあるのはもしかしてマンガのせい?



レンジ・ローバーの大地 発行 2002年7月10日(水) 出版社  二玄社
      レンジ・ローバーの大地 共著 小川義文・写真
備考

フォトグラファーの小川義文さんと組んだクルマもので、軍用車も作っているレンジローバー。堅牢さでは右に出るものは居ないだろうけれど、トヨタのハイラックスの方がどんな条件下でもエンジンが復活する、と証明したのはイギリスBBCの人気番組「トップギア」だった。

健さんのクルマの本は、その実際の性能や乗り心地といったものより、歴史やテクニカルな方が面白く読める。健さんの歴史語りは、どんなものでもものすごく分かりやすく、且つ面白いと思う。



死ぬな、生きろ。 発行 2002年7月20日(土) 出版社  小学館
      死ぬな、生きろ。 共著
備考

勝手にカテゴリーを設定するなら、健さんの優しさ本。健さんのエッセイにはにじみ出る優しさ、のような物がそこここに見えてくるのだけど、それだけ純粋なんだろうな、という気がする。その健さんが、死を入り口に生きづらさを感じている人々に向けて放つ言葉。

そうやって振り返ってみると、確かにこの前後生命科学や、遺伝子に纏わる話が多く、小説も登場人物が死ぬ、あるいは病んでいる作品が立て続けに出ている。世界全体の潮流、みたいにまとめてしまうと問題の本質が見えにくくなる気はするけれど、確かにバブル崩壊後の長い長いトンネルから抜け出せずに、疲弊がべっとりと背中に貼り付いて重くて仕方がない時代ではあった。変な言い方だけど、中途半端にショッキングな戦争やテロが相次ぎ、何かが終わることはないが大きく壊れて元に戻そうという労力が、更に負担となってのしかかる、という事件がニュースを賑わせていたのだ。

身勝手、といわれても仕方がないけれど、自分が起こした不祥事から帰ってきて、真っ先にこの本を読んだ。自分が望んだ、というわけではなくとも、結果は朧に見えていたしある程度追いやられたという言い分もある。それがもたらしたモノは、相当にヘビィで、それは想像を遥かに超えて抱えきれないほどの重圧だった。

結局真相は自分の中にあって、それだけはどんなに自分を偽ろうとしても偽りきれない。そこに逃げ道がないから、自分で何とかするしかない。なんだかんだ云っても、最後の敵はやはり自分自身だったんだ、という敗北感が酷く私を苛み続けた。一時期保釈で出てきた時、ここに現れている言葉を求めて、貪るように読んだ。それはもちろん、私がいろんな意味の死を意識していたからに他ならない。

言葉では上手く言い表せないけれど、酷く輪郭のハッキリした毎日が、不思議と現実感を希薄にしていて、厭世的とも違うおかしな感覚がずっと付きまとっていた。それは晴れて自由の身になって以降も、ずっと引きずっていて、それからなんとなく解けたと感じたのはつい最近のことだ。

東北の震災の時に原発事故が起こって、これから日本は喉に刺さった骨のように、どんなに明るい未来を思い描こうとしても、その事故を避けては通れず、コツンと何かにぶつかる感覚で何をしても躓くようになるんだろう、と思った。それがその、おかしな感覚と同種のモノだった。

私の場合それから逃れることは出来ないし、だからと云って破滅的な最後を望んでいるわけではない。おかしな話だが、それ以前よりもずっと死は身近にあるはずなのに、希求は薄れている。そしてつい最近、どうしようもなくなってのたれ死ぬ、という未来を優しく受け止めるようになっていた。諦めとも違うのだけど、何かやり遂げたような感覚に近い。多少早めのリタイヤ、のような残りの人生が待っているんだろうな、って感じ。

それでもその後の「イージー・ゴーイング」で全開になる健さんの優しさよりは、ずっとこちらの方が心に響く。もちろん、それは人それぞれだろうけれど、少なくとも私には、そう感じた。ここから徐々に心の問題を取り扱うようになり、やがてスピリチャルな世界への探求へと繋がっていく。ただ、まだここでは健さんは、欲望に塗れたロックの端っこに立っている。



復活のZ 発行 2002年11月5日(火) 出版社  二玄社
      復活のZ 共著 小川義文・写真
備考

フォトグラファーの小川義文さんと組んだクルマもの。今回は日産のフェアレディ。昔エレクラ恒例の「星に願いを」の歌詞で、ベンツというより、メルセデス、といった方がかっこいい、という話を初代としたが、Zもフェアレディと言った方が優雅な感じがして、21世紀になって復活した方は、こちらの呼び方の方がしっくりくる。

私は長く免許を持っていなかったけれど、世代的に昭和のZ世代で、もちろんこの復活劇もニュースなどで取り上げられてよく知っている。それをもっと深い所まで知ることのできる一冊。

Zと言えば、私の拙いくせに長い話Forty-Fourでも出てきた、緑色の初期型Zは、実際に友人が乗っていた。妹の友達の彼氏が私と同い年で、パンクバンドのベースをやっていた。そのZに乗っているを見たのが一度きりで、今度逢った時は、別の車に乗っていた。短い期間に、事故を起こして車体を真っ二つにしたらしい。自損で云々、という話はそのままForty-Fourで使わせてもらった。

もうひとつ、ちょうど初代と付き合っている頃。仕事場に真っ赤なZに乗っている女子社員がいた。受付にいる、唇の特徴的な髪の長い昭和の美人で、もちろん私好みだった()。彼女は、現場の男性社員と付き合っていたのだが、その彼氏がある日突然姿をくらました。詳細は一部の者は知っているようだけど、私は全く知らない。でも、なんとなく、彼氏のいない間に・・・。実際は漫画の話で盛り上がって、初代から借りている「動物のお医者さん」を又貸ししただけだけど、後日そのことが初代にバレてこっぴどく叱られた。こんぴら歌舞伎のお茶子もやったことがあるお嬢様が、毎朝真っ赤なZをブロロローンと唸らせて出勤していた。その仕事場はその一年後ぐらいに、倒産してしまったけど。



希望のマッキントッシュ 発行 2004年1月9日(金) 出版社  太田出版
      希望のマッキントッシュ 共著
備考

「日曜日のiMacから五年、世界にインターネットが浸透し、そろそろパソコン第二世代が登場しようとしている頃の話。Windowsでいえば、とりあえずパソコンってこんなに安定出来るんだ、と驚かされた超優れものOSXPが世間の標準になっていた時代。世は静止画の時代から、すっかり動画の時代へと移行していて、P2Pソフトが台頭してこようとしていた。まだ光回線は少なかったけれど、ADSLというものが急速に広まって常時接続パケット定額制が、主流になっていた。

単純に、市場独占率からいってマックは少数派になっていた。ただ、健さんをそのままマックユーザーのデフォルト、と見做すのは危険かも知れないけれど、マックユーザーが戦々恐々とするほど、Windowsユーザーはマックを敵視も疎外もしていなかったはず。今でもそうだけど、筐体がどんなものであれ、インターネットの世界に入り込めば、みな平等だし、せいぜい機種依存の文字化けが起こるぐらいで、それほど何か違いが目に見える、というわけでもないのだ。

と思っていても、やはり、健さんの紡ぐサイバーワールドの中に入り込もうとすると、窓使いは肩身が狭い気がする。明らかに、Windowsなんか使ってんの?という目で見られる、という気がするのもまた、思い過ごしだろうか?

話は戻るが、ウチはどこのだれよりも早く、私にパソコンを譲ってくれた友人よりも早く、光回線を引っ張ってきた。NTTがサービスを開始して直ぐに予約し、一ヶ月ぐらいで回線を通した。もちろんP2Pに手を染めていて、その日を境に落ちてくるファイルの量が数倍に跳ね上がってびっくりした。こりゃハードディスクがいくらあっても堪りませんわ、と思い、その頃から複数台のパソコンを使い分けるようになっていった。

今はもうP2Pは卒業し、ノートとデスクトップ、ぐらいの使い分けで十分だけど、モニターがマルチにはなった。かといってそれを使いこなしているかどうかは自分でも疑問で、結局オーバースペックの感はいつまで経っても拭えないのだった。



幕末武士道、若きサムライ達 発行 2004年8月19日(木) 出版社  ダイヤモンド社
      幕末武士道、若きサムライ達 共著
備考

この本を買った当初、人生で最も多忙の時期で、健さんの新刊情報もたまに逃避のようにホームページを覗いて知る、という状況だった。あ、出てる、と思って買っても、読む時間は全く取れるような状況ではなかった。それで、結局読んだのは、不祥事を働いて幽閉された留置場の中だった。それまでの数年間が嘘のような退屈な日々が訪れたが、私は本が読めることが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

私は部屋の中に何がどこにあるというのを詳細に覚えていて、取り調べの時に必要な書類も刑事さんにどの棚のどこのファイルを、という風に言って取ってきてもらったりした。この本も、両親にどこそこにある本棚の何番目の棚、という風に云って差し入れてもらった。

そんな状況で読んだせいか、読んでいる時は面白く、スイスイ読んだのに、あっという間に忘れてしまった。こういうリストを作るのだから、そういうものはもう一度読み返し、というのが常道だろうけれど、そう云ってたらいつまで経っても始まらないので、見切り発車はご容赦願いたい。もちろん、読み直したらアップデートはする。

「新撰組、敗れざる武士道」と対になる幕末歴史書、同時発売。健さんが歴史書?と思ったのは確かで、常に前を見据えている姿しかイメージになかったのでこういう言い方は変だけど、後ろを振り返って何か価値観を据える、というのは健さんらしくないな、と思ったのだった。

NHKの大河ドラマでも、この本が発行されて以降、幕末が舞台になっているのが三作もある。おそらく私たちぐらいの世代から、時代劇というと戦国時代よりも、幕末の方が惹かれるのかも知れない。たかが百数十年前のことだけど、もう歴史の中に押しやってしまっているのだ。そのうち戦前、戦中の話も時代劇、という範疇に収まってしまう時が来るのだろう。果たしてその時、日本はどういう姿になっているのだろうか。



新撰組、敗れざる武士道 発行 2004年8月19日(木) 出版社  ダイヤモンド社
      新撰組、敗れざる武士道 共著
備考

「幕末武士道、若きサムライ達」と同時発売の姉妹書。古代史はSFを読むように、親しみを覚えるけれど、幕末~昭和初期というとまだまだ生々しくて、歴史の上っ面だけを掬って私は終わってしまっていた。元々それほど歴史に興味があるわけではないのだけど。

「幕末武士道、若きサムライ達」の時にも話したように、読んだけれど、あまり内容は覚えていない。読み返そうと思っても、特にこの本は長く家にはなかったのだ。というのも、珍しくエレクラの相棒である姫の手元に渡っていたのだ。

私以上に歴史に興味のないエレクラの相棒、姫が珍しく、何か新撰組の本もってないん?と尋ねてきたので、健さんのこの本を奨めたのだ。しかしなぜ新撰組?と尋ねると、どうもゲームがあるらしく、その登場人物について興味が湧いたらしい。その後世の中には歴女、と呼ばれるお嬢さんが湧いて出てくるが、皆さんその大半はゲームから流れ着いてきたんですよ。

全く同じ動機で、当時京都に住む姪っ子がこの本に興味を抱いていた。大学生だった彼女の家に遊びに行った時、何でも興味を持って好きや好きや、と言い続けていたら、いつか望みは叶うもんやで、と健さんと逢って話をした時のことを喋った。健さんってどういう本書いてんの、と聞くが早いか自分のスマホでサラサラと検索、たまたま出てきたのがこの本のタイトルと表紙だった。ウチも読んでみたい、と言ったが、その動機を聞くと、全く姫と同じだった、と言うわけ。

とりあえず、健さんが女性の心を掴む術には舌を巻く()



イージー・ゴーイング 発行 2005年7月7日(木) 出版社  アメーバブックス
      イージー・ゴーイング 共著
備考

自由の身になってからもしばらくネットに繋げない日々が続いた。やっと繋がって、その時一番したかったことは、ブログを開設することだ。それ以前も、一度開いたけれど、結局ブログがきっかけとなって当時の自分にあった世界が潰されて、壊し、崩れていく。それでも言葉は私に残された唯一の力だ、という変な自信があって、結局それは間違っていなかった。

ブログを開設する時に、どこにしようか迷うことはなかった。健さんと同じアメブロなら、同じ長屋に軒を並べることが出来る。一度閉鎖になったアカウントを取得し直して、復活の狼煙を上げたのだ。

その健さんのブログのタイトルが、そのままこの本のタイトルになっている。そういう意味ではブログをまとめたモノ、と言えなくもないけれど、微妙に修正が加わっている。ならば、今アーカイブを辿ればこの本を読んだことになるんじゃないか、というとそうではない、ってコト。

一部アンソロジー「君へ。」にも流用されている。私が勝手に名付けた「優しさ本」の最たるモノだけど、こういう心の問題を扱うとともすれば自己啓発本のようになって、個人的にはそういうことを言う人も、そういうものに頼る人も、あまり近づきたくないと思うのだけど、少なくとも健さんはそうなってはいない。もっと親身になって、寄り添ってくれる感覚。案外健さんは読者を思い描く時、女性の姿を想像しているのだろうか。だとしたら、この時期、それが一番大きな変化かも知れない。ストーンズを熱く語っている時は、半分諦めもあって、どうせ野郎どもしか読んでいねぇんだろ?という開き直りが感じられることもある。



五木寛之を読む 発行 2005年9月5日(月) 出版社  KKベストセラーズ
      五木寛之を読む 共著
備考

私はブログで健さんの名前を出す時、必ず心の師、というフレーズを前に着けるようにしている。これは勝手に私が師匠と呼んでまっせ、という言い訳のようなものだけど、この本は健さんにとっての正真正銘の師匠、五木寛之氏のガイドブック。

悲しいかな、いつか健さんの著作も全制覇、という時が来る。後は新刊を待つだけ、という状態の日が近いウチに来るわけだ。もちろん、その時になっても健さんへのリスペクトは変わることはないのだけど、現実的に追いかけるという行為は希薄になる。そこで、思いついたのが「今度は五木寛之かな」。

不祥事で幽閉されている頃、文学は私以上に分からない両親が差し入れしてくれたのが、なぜか五木さんの「青春の門」でしかも、旧い方の上・下巻に別れた方の上巻だった。ちなみに同時に差し入れされたのが、渡辺淳一「夜の出帆」と東野圭吾の「手紙」でした。結局中にいる時には読むことなく、最近になって読むことにしたんだけど、家に一冊あるし、続編がある以上、そこから入っていくのが順当だろう、と。

ただ、では五木寛之を全制覇する頃には、私は年金をもらっているのではないか、と思う。年金が出れば、の話だが。出ても覚束ないかも知れない。

昔、ストーンズが四度目の来日をした頃、健さんのホームページに掲示板があって、そこである女の子がストーンズのアルバムは、何枚かしか持っていません、という書き込みがあった。そこに健さんが返したのが、「まだ聴いていないストーンズのアルバムがあるなんて羨ましいよ」という名言だった。アア、確かにそうだな、と思い、ストーンズのアルバムをコンピレーションも含めて全て集めようとした手が止まった。いや、それはいつかは全部集めることが前提なんだけど、まぁ、デモ版とかバージョン違いとかどうでも好いか、とその時は思った。結局、未だにストーンズは全部集めきっていないけど、健さんの著作は何とかなりそうな気配。



ローリング・ストーンズ伝説の目撃者たち 発行 2006年3月3日(金) 出版社  アメーバブックス
      ローリング・ストーンズ伝説の目撃者たち 共著
備考

三度目に見るストーンズのライブは、再び東京ドーム。その前の大阪ドームで、まさかのBステージ最前列、ミックが五メートルない所まで近づいてきた、という夢のような経験をした後なので、今回はストーンズ以外の所にいくつものイベントが待ち構えていた。その最大のものが、ライブ後の健さん主催のオフ会に参加することだ。その辺のことも、ブログで長々と書いたので、そちらを参照してもらうとして、ここではもう少し、健さんに纏わる話をまとめておきたい。

その時のストーンズのライブのスポンサーのひとつに、マイクロソフトが着いていて、チケットはネット申し込みのなんだかよく分からない会社だったし、ネットでライブ中継をやったりしていた。ライブ会場ではMSNのロゴを付けた黄色い飛行船がぷかぷかと浮かんでいたりした。その頃はもう、エンターテイメントはネットを切り離せないほど密接になっていて、ストーンズも例外ではなかった。

見ているこちら側も同様で、その健さんのオフ会への遣り取りも、メールで確認したり、掲示板で様子を募ったり。余談だが、エレクラも一応ホームページを持っていて、そこに前回のBステージ最前列の時のライブ観戦記を載せていた。それを健さんに伝えたら、掲示板で紹介してくれたりした。その時以来エレクラの掲示板にコメントを寄せてくれるようになってくれた女の子と、そのオフ会で顔を合わせたことを、後になって知ることになる()

ブログは始まったばかりで、健さんもまだごくごく初期的な、ホームページの補助、みたいな格好で手を付けた、といった段階だった。しかし、そのブログがなかなかスゴかった。まず、健さんが行ったキースやミックへのインタビューを、そのブログに載せたのだ。もちろん、会員制とか有料で、なんてものではなく誰でも閲覧できる状態で。インタビューはストーンズファン共通の財産だから、というのが健さんの言い分で、もちろんその頃だって著作権だなんだとうるさく言う人は言ってたわけだから、太っ腹だなぁ、と思った。

更に、オープンにブログにアクセスできるように、IDとパスワードを公開して、誰もがストーンズやロック、ブルースに関しての記事を投稿できるようにしていた。もうその頃はスパムだって登場していたわけで、そのリスクを考えると管理は大変だったはず。

インターネットというものの草創期は過ぎ、かなり世の中に広まって小慣れてきた時代で、そこからネットに繋がっていることを意識せず、手軽に情報発信が出来るというフェーズに移行し始めた時代だった。その中で、健さんは可能な限りオープンでフリーなインターネットという海の間口を、私たちに開放してくれていたのだ。その思想は大いに共感できたし、スゴいことをやるなと尊敬をの念を新たにした。

ちょうどその年の後半から、私はぷっつりとネットにアクセスどころか世間からも身を隠さざるを得なくなる。次にネットに繋いだ時には、全てが何かのビジネスモデルに納まっていて、あの自由闊達な世界はどこかに身を潜めてしまっていた。

健さんもホームページからブログに拠点を移し、今のエレクラのように倉庫と本店、というような使い分けになっていた。ちなみに健さんのビジネスモデルとしてアメーバブックスというものを立ち上げる。

つまりこの本はストーンズが巻き起こす嵐を、ネットに宿った熱が更に煽って混沌とする、スリリングで面白い時代の、最盛期を彩った一冊だったのだ。

ところでこの本が発売された頃、私は今まで生きてきた人生の中でもっと多忙を極めていた。仕事は朝八時前から夜の九時を過ぎるのは当たり前で、オマケに休日は全くなし。家に帰っても図面の整理やらNCのプログラミングやらやって、合間で彼女へ近況報告のメール、週末は彼女のご機嫌取り、その合間を縫ってエレクラ、ともう目が回る忙しさ。健さんの本は、手に入れても全く読む時間が取れず。そんな中にあってこの本だけは唯一、買って直ぐ読んだ。オフ会が迫っている、という状況のせいもあったのだけど、よくあの忙しさの中読めたモノだ、と今思い出しても驚く。そして、その多忙な三年ほどの間に唯一読んだのが、この本だった。単行本は、間違いなくこの本しか読んでない。何しろCDだってほとんど買った記憶がないんだから。

ちなみにそのオフ会の時、この本を持ってきてくれた方には健さんがサインをしてくれることになっていた。もちろん私もホテルまでは持って行っていた。しかし、いざ東京ドームへ、という時になって一緒に来ていた彼女が、それ持っていくの?邪魔になるでしょ?ってな具合でイヤな顔を見せたのだ。私はそれに気圧されて、結局持っていかず、サインももちろんもらえなかった。今になって見れば無理してでも本は持っていくべきだったし、彼女に気兼ねしてアリーナのチケットを取らなかったことも後悔している。

でも、そのオフ会はストーンズのライブよりもずっと、私の心の中に深く刻まれていて、それが今こうしてこういうモノを作っていることに繋がっているのだ。



「書ける人」になるブログ文章教室 発行 2006年11月28日(火) 出版社  ソフトバンク新書
      「書ける人」になるブログ文章教室 共著
備考

ブログにも書いたようにこういうHow toものはどうも、敬遠がちになる。こういう類いのものも、健さんでなければ読まなかった。思い上がりといわれるかも知れないけれど、健さんに褒められた私のブログの語り口に、僅かながら自信を持っていて必要ない、と思っているのだ。

ブログと、小説はまたちょっと違うけれど、ブログが長い話を紡ぐ時のトレーニングになるのは確か。そのブログを書く時の視点や、着眼点は、ツイッターが鍛えてくれる、とある方に健さんが直接仰っていたと、ウチのブログにコメントがあった。

その後、ちょうど「太宰治の女たち」を出版する前後、ブログで健さんが、「太宰治を読み、谷崎潤一郎を読み、三島由紀夫を読んで尚、どうしても書きたいことがある者だけに、小説家の道は開ける」というようなことを仰っていた。この歳でと思いつつも、作家になれたらいいな、と思っている私はこの本の内容よりも、ブログに書かれたその言葉だけを信じて、書く前に読んでいるのだ()。まぁ、その全てを読んだわけではないけれど、今のところ私の中にある、どうしても書きたいこと、というか私しか書けないことといったら、女の子に酷いことをすることかな?



「空海」の向こう側へ 発行 2007年5月24日(木) 出版社  ソフトバンク新書
      「空海」の向こう側へ 共著
備考

おおざっぱに言うと、不祥事を働いて世俗から距離を置き、帰ってきてみたら健さんが精神世界の求道者に変貌していた。ストーンズに熱狂していた健さんの記憶がいきなり、静謐の人になっていた、というような感覚だった。正確には、変貌の端緒、私が勝手に名付けた社会問題化してきた鬱や自殺に対する「優しさ本」期を経て、その延長線上に精神世界があった、というふうに私は捉えている。

私の地元はまさしく、空海のお膝元で、私が住んでいる街は御大師さんの生誕地である。エレクラがまだテープを発送していた頃、感想のはがきに何で住所が寺ばかり?と書かれてきたことがあった。もちろん歩いて五分で札所があるし、台風や地震が世間を賑わせてもウチの周りはごく平穏な日々が続いているのは、きっと御大師さんの御威光によるものだ。

だから、というわけではないけれど、一応私も四国お遍路を一通り回っている。現世に戻ってきて直ぐだったから、贖罪の意味もないわけではなかったけれど、クルマで回るのだし、香川は家から行ったり来たりだからちょっとした観光気分。一応作法は教えてもらって八十八の寺をこなしたけれど、煩悩まみれ()。そもそも、水曜どうでしょうの旅路を巡る、という動機だったのだ。余談だが、不祥事を働いて精神的に参っていた時、水曜どうでしょうには心から助けてもらった。苦境の時、笑うって大事なことだね。

そのお遍路の前に、これが出ていた。読んでから遍路に出て、少し間を開けて、高野山まで赴いた。遍路の終着地は高野山参りなのだ。御朱印をもらうと高野山では、ご苦労様でした、と労ってくれる。ついでに、一番札所で紹介してもらったお寺さんで朝の勤行に参加させてもらい、午後からは阿字観を習いに行った。

それまで全く宗教に触れたことがなかった私には、仏教そのものが「分からない」世界であり、お遍路に行って何か感じるかと思ったけれど煩悩を知るだけで()、阿字観をやっても何かに気づくわけでなく、その後長く長く、いろんな宗教関係の本を読むことになる。そのきっかけがこの本だ。お遍路、というのはもう幽閉されている間ずっと頭の中にあって、帰ってきてみたらまさしくグッド・タイミングでこの本が出ていたのだから、それもまた偶然というには何か別なモノを感じる。

今はごくごくおおざっぱに宗教という世界、そして神々の世界に関して理解をしている。簡単に言えば、宗教はスタイルで、宗教ではなく地域信仰としての神々の世界は、この世のシステムだ。今はそれを科学が代用しているけれど、根っ子は同じなのだ、数字で説明するか擬人化するかだけの違いで、この世界で光を超えるスピードのモノはない、その理由は実は君の内なるモノが握っているのだ。

翻って宗教は、必ず人にぶち当たる。真言密教を突き詰めていくと空海さんに出会う。真言密教は大乗仏教の中でも最も旧い宗派だ。空海さんが解いた大日如来、というモノの見方はまさしくシステムとしての神の感覚に近い。その辺から、宗教への理解が深まっていった。話すと長くなるし、ここの趣旨と離れるので詳しく聞きたい方は別に機会に、私に尋ねてください。

それはさておき、その後密教、とくに阿字観をはじめとする瞑想は、今は一般的になって様々な書籍やホームページなんかが立ち上がっている。私はどうも苦手なんだけど、ただ、その方法を調べると、昔から眠れない時にする呼吸法や、イメージングの方法に似てい他と、後になって知った。そうすることによって落ち着いて眠りに誘われるから、何も知らずに結構頻繁にやっていたのだ。岐阜にいる頃も時々やっていたので、案外今構えてやるよりも、何も知らずに私の中には悟りの境地が備わっているかも知れない()



幸福論 発行 2007年11月15日(木) 出版社  ダイヤモンド社
      幸福論 共著
備考

優しさ本の中でも実践的な一冊。好きなモノ、コトを思い浮かべて並べてみれば、幾らか明るい未来が見えてくるはず、というテーマ。様々な心の問題が、結局健さんの中では精神世界への扉を開くことになる。それが地続きであった、ということが一番の発見で、それが例えば宗教なら、最終的には人に辿り着くのと同義だと思う。

これとほぼ同時期に、「人間嫌いのルール」という本を読んだ。人間嫌い、というキーワードは私の資質を、見事に言い当てていて、そこに惹かれたのだ。そういう意味ではやっぱり、健さんは人に愛されることをどこまでも望んでいる。私も結局はそうだけど、破滅願望を醸造する世代に生まれたせいか、どうせ愛されないなら壊してしまえ、というエヴァンゲリオンに寄り添ってしまう。まぁ、それでもシンジくんは人へと帰って行くんだけどね。



虹の橋 ~キッド~ 2007年12月5日(水) 出版社 小学館
~キッド~ ~チャーコ~ ~チャーコ~ 2007年12月5日(水) 出版社 小学館
共著
虹の橋~キッド~ 虹の橋~チャーコ~ 備考

動物の死を扱ったショートストーリー。チャーコ編が猫で、キッド編が犬。この二編は対になっているので、まとめて紹介する。ちょうど発売されたのが、私が不祥事の呪縛から解かれる直前。家に帰ってパソコンを元に戻し、インターネットに繋いで完全に解放される四月を待っていた。別の項目で書いたように、直後は自分自身にまとまりが付かず、健さんに手紙を書こうとしていた頃。同時にその頃は、厭世的な殺伐とした感情を持て余してもいた。ただ唯一の拠り所のように、自分の捨ててはおけない幾つかのものを数える作業の筆頭に、健さんは外せず、当時手に入る健さんの本をまとめて買ったのだ。

健さんと猫の死、に関しては、「さよならの挨拶を」の一件があるのがずっと引っかかっていて、多少この「虹の橋」で救われた所はある。虹の橋の話は、読んだ時期が時期なので知らなかったけれど、当時ブログが流行り始めた頃で、検索を掛けたらいくつも出てきて驚いた。

私も猫も犬もつらい別れを経験している。正確には忘れたけれど、二十年近くウチで飼っていた猫がなくなった時、妹と一緒になってずっと泣いていて、夜寝る間際夜空を見たら、流れ星が一筋流れた。アア、トシ(猫の名前)が星になったんだな、とその時思ったらまた泣けてきた。その猫と一緒に双子の弟、キヨシローという猫も飼っていたんだけど、トシが死ぬ間際、死に場所を求めていたのか、誰かにお別れを言いに行ったのか、とぼとぼと外に出かけたトシを追って、あまり外に出たがらないキヨシローが後を着いていった。少し離れた生け垣のある家に入っていったトシを、その家の敷地の外からしきりに中を気にして覗き込んでいたキヨシローの姿は今でも目に焼き付いている。そのキヨシローも、それから二年して星になった。数年後、ユキちゃんという名のオスの犬も、病気で亡くなった。動物病院に連れて行った時は、スタスタと奥の治療室に入っていったのに、入院の続きをしていると急に看護婦さんが先生を呼び出して、そのまま逝ってしまった。

もう二度と生き物は飼うまい、と心に誓っているけれど、ネットで猫や犬の画像を見ると、その信念も揺らぎそうになる。まぁ、他人の子供と一緒で、責任がない距離から見ているのが一番カワイイのだとはわかっているのだけど。



リアルファンタジア 2012年以降の世界 発行 2008年10月25日(土) 出版社  アメーバブックス
      リアルファンタジア 2012年以降の世界 共著
備考

ノストラダムスの次は、マヤ暦の云々かんぬん。今となってはもう忘れてしまった()。ただ、そういうタイトルを冠されているけれど、内容の中心はヘミシンクだ。バイノーラル作用で変性意識を覚醒させる、とか何とか。宇宙にトリップできたり、体外離脱できたり。

ヘミシンクについては、ほぼこの本の内容が、リアルタイムでブログで語られ、私はその過程をつぶさに見てきた。私だけでなく、健さんファンは同様に、アア今はこういう感じね、と体験できたと思う。

私にとっては、健さんが急に精神世界に移行していった、という感覚が強かったのだけど、よくよく考えてみれば、ある種の回帰だと言える。健さんの中にあったスピリチャルなモノが、ヘミシンクによって蘇り、よりクッキリとした形で表れたのだと思う。

訝しがりながら健さんの姿を追いながら、でもなんとなく心惹かれる物がないわけではなかった。冗談のようだが、体外離脱できて女風呂が覗けるなら、それは好いな、なんて思って実際ヘミシンクのCDとか買ったりした()。アア、こういう言い方をすると、健さんが女風呂を覗いたみたいだけど、そうではないです。女風呂は私の願望であり、勝手な動機に過ぎません。

そもそもせっかく高野山に行くのだから阿字観を倣おう、と思い立ったのも、瞑想だけでその世界に到達できるなら、安いモノだ、と思ったのがきっかけ。ヘミシンクは本格的にやろうとすると、結構な出費を強いるのだ。

結局、何にも私の中には起こらず、動機が不純だからかな、という結論に達した。ただ、だからそういう不純で煩悩に満ちた自分をちゃんと受け入れよう、と開き直ることが出来たのだから、あながち無駄ではなかったのだ。何をやったって、自分以上にはなれんよ、ってね。だったらちゃんと、自分の足で女風呂を覗こう()



運を良くする 王虎応の世界 発行 2009年3月2日(月) 出版社  アメーバブックス
      運を良くする 王虎応の世界 共著 森田健
備考

健さんの高校の同級生森田さんとの共著。ハッキリ言っておくと、健さんが関わっていなかったら、こういう世界に触れることはなかっただろうし、今でも、健さんが共著だから読んだ、と思っている。相変わらず無駄とは分かりつつも、精神世界への糸口を探っていた時期だったけれど、それをパッと俯瞰するというか、引き気味に眺めるようになったのは、ハッキリ言うと、森田さんに関わってからです。

これをいかがわしい、と単純には言えません。勉強になる部分も大いにあります。しかし、お金が掛かりすぎます。森田さんは当然のように云いますけど、それはごく一部の方の共感しか得られない気がします。タダにしろとはいいませんが、胡散臭さを助長しているのは間違いないです。



太宰治の女たち 発行 2009年11月29日(日) 出版社  幻冬舎新書
      太宰治の女たち 共著
備考

これが出た当時、私は太宰治を一冊も読んだことがなかった。走れメロス、ぐらいは知っていたけれど、いわゆる文豪作品というものは一切触れたことがなかったのだ。さすがにいい大人がそういうことではダメだろう、ということでまず手を付けたのが、谷崎潤一郎。それも中で一冊読んだだけ。官能小説の感覚で「卍」を読んだ。

ちょうど本が発売された年か翌年が、生誕百周年だかなんだかの記念の日。それもあったし、ブログで知り合った健さんの話が出来る方に奨められたのもあって、太宰治を読み始め、現在新潮文庫版は書簡集以外は全部読んだ。読んでいる最中は、結構嵌まってしまって、翌年の桜桃忌には高松図書館で様々なイベントが行われていて、そこに話を聴きに行ったりした。

それから谷崎を読み、芥川龍之介を読み、したけれど、まだまだ文豪は奥が深い。ちなみにもちろん、平成の太宰さん、と呼ばれたいと思っているけれど、気がつけば彼の嫌った志賀直哉に作風は近づいているな、と最近になって思う。まぁ、心象文学というにはほど遠いけれど。



神をさがす旅 ユタ神様とヘミシンク 発行 2010年1月30日(土) 出版社  アメーバブックス
      神をさがす旅 ユタ神様とヘミシンク 共著
備考

タイトル通り、精神世界に回帰した健さんが、神に導かれていく紀行文。ここに出てくる加計呂麻島はこのずっと後、あの芥川賞作品「火花」を編んだ又吉直樹さんの母親の実家、ということで有名になる。ちなみに屋久島は、水曜どうでしょうの藤村Dの母親の実家です。

精神世界を身に纏っているけれど、奄美の島を巡る紀行文としても充分楽しめる。美味しいモノを探し求めたり、マリンスポーツがどうしたこうしたという旅モノよりも、ずっと神々を尋ね歩いた方が楽しいに決まっている。



幸運の印を見つける方法 発行 2010年2月25日(木) 出版社  アメーバブックス
      幸運の印を見つける方法 共著 森田健
備考

健さんの高校の同級生森田さんとの共著。間違っているかも知れないけれど、健さんは王さんや森田さんが語る風水や道教にシンパシーは感じているけれど、それはあくまでも思想にであって、全てを肯定しているのではない気がする。偏見だと云われても、どうしても「ローリング・ストーンズ伝説の目撃者たち」の頃の健さんのオープンな感覚とは齟齬があるような気がしてならないから。



奇跡が起きたパワースポット 発行 2010年9月17日(金) 出版社  アメーバブックス
      奇跡が起きたパワースポット 共著 森田健
備考

健さんの高校の同級生森田さんとの共著。やはりパワースポット巡りとして括った紀行文。これは普通に楽しめる。健さんの古代史や、神々の世界との付き合い方に触れられることが心地よい。

出雲神社にも行ったし、伊勢神宮にも参拝したし、高千穂にだって行ったことがある。なのに、行った当時私はぼんやりとした日本の神話しか知らず、今考えると非常に惜しいことをしたな、と思う。私の旅の目的に、女の子以外に、例えばグルメなんかが優先されるはずはないので、知識というモノはちゃんと身につけておいた方が良い、と今になって思い知ってます。



問題児 三木谷浩史の育ち方 発行(単行本) 2018年2月7日(水) 出版社  幻冬舎
単行本 文庫本 発行(文庫本) 2019年8月10日(土) 出版社 幻冬舎文庫
共著
問題児 三木谷浩史の育ち方 問題児 三木谷浩史の育ち方 備考

こういうのを伝記というのか、評伝というのか、正確なところはわからないけれど、とにかく三木谷浩史という人物を深く掘り下げた作品。読者、といっても私の場合だけど、こういう種類の作品をどう楽しむか、というと、自分との共通点を探すことが多い。名をなし功を上げた人物とどれだけ自分が一緒かを探り、オレだっていつかは、と思うのだ()

それも歳を重ね、いまさら穀潰し生活をするようになると、趣は変わってくる。自分との共通点を見つけるのは変わらないが、大丈夫、こういうコトしてもいつかはちゃんとするから今は大丈夫、というような感じ。つまり、言い訳を求めてしまうのだ。

特に健さんのエッセイなどを読むと、同じ様なことを考えてしまう。それは、私の浅ましい性格ゆえなのだろうけれど、多少、現代というものの写し絵であるような気もしないでもない。

特にこの作品では、人物像を空かして教育論に入り込んでいく、と宣言している。現状の日本の病理、そして未来のための希望はほとんど、教育が鍵を握っている、と。

余談だが、平成の大不祥事をやらかした始末を付けて現世に戻った頃、健さんはイノベーションの波にもまれながら、問題意識の中に身を置いていた。その後、東北の震災が起こり、それが頂点に達する。時を同じくして、大学の学部長になる。問題意識の解決法として、教育があるというのは私も薄々思っていて、だから健さんがついに現場に入った、というのはとても嬉しかったし、意義のあることだな、と思ったのだ。

そしてその現場に今もいる健さんが見つめた、希望としての教育。それがこの作品になったのだ。

私はずっと学校が嫌いだった。勉強や友達に問題があったわけではなく、単純に学校に行くのが面倒くさかったのだ。でも、何かに熱中して、その為に調べたり本を読んだりするのは好きで、それが私の場合特に、音楽に傾倒した。最終的には高校を辞めることになるのだけど、その最初のズレは高校三年で、倫理・政経を選択したことだ。私は単純に、政治や経済に興味があったし、学びたいと思ったから選んだのに、周りの人からは、政経で行ける国立大学はあんまりないよ、といわれて実際クラスもあまり人がいなかった。

何じゃこりゃ?と思ったのが、周囲の同級生とズレていくきっかけだった。それから文化祭のステージに立った後、学校に行く意味を失ってしまったのだ。まぁ、辞めた理由は他にも山ほど有るけど、何だかなぁ、と思ったのはそれがきっかけだった。

それと同じように、大学に行くための勉強は、その先に何を見据えるかをわからないまま強いられている以上、それが未来の為になるかどうかは、個人にかかってくる。しかし、それを自分の思い通りに十全に生かせる能力を、誰しもが持っているわけではない。それよりは、何がしたいかを、明確に持ってから勉強するなり訓練した方がずっと効率はいいのだ。

だから、今はわたしたちの世代は、多くが承認欲求の病魔に落ち込んでいる。簡単に言えば、言い訳や名札を欲しているのだ。誰もが平均化されて、同じ様な人生を歩んで来て、自分が透明になっていきそうな不安になった時に、自らを主張する何かを持ち合わせていないことに気づく。そこで、誰かに許可されたいと願う。許可され、承認されることで、自分の足場をやっと確保出来るのだ。

特に名札を求めるのは、逆の意味で日本を偏在の國に仕立て上げている。簡単に言えば、君は右??で、ほぼ主張からライフスタイルまでが決まってしまう、或いは印象づけてしまうのだ。

日本には昔から、中道左派、という素敵な言葉があったのにね。玉虫色とか。

今、右も左も共通していることに、現在の日本を憂う、というのがあって、だから一億総ネガティブ時代に入っている。それを打破する機運を待ち望んでいるのに、口を突いて出るのは批判や拒否ばかりである。

結局最初の話に戻ると、自分との共通点を見つけても仕方がなく、そこに実行と決意が伴わないと意義は少ないのだ。だからといって、そういう実行と決意を解説する作品は少ない。逆に言えば、そこにタイミングという要素も加わって、万人に共通する何か、を求めるのは不可能なのだ。

そこは自分で考え、捉えなさい、ということに結局は落ち着くのだけど。

その共通項がゴールとして控えているのがわかっているなら、やはりその助走の間に、同じ足の運び、同じ歩数、同じ心持ち、同じに見える風景、というのもあながち間違いではないのかもしれないと思う。そういうポジティブな考え方が、現代は大事なのかもしれない、とかなり手前味噌な結論で終わったりして。

まぁ、最後に、自分でも単純だな、と思うのは、この本を読んで、ネットをブラブラしていると、ふと楽天のバナー広告が。ついクリックしてしまったのは、自分でも何だかなぁ、と思わないでもない。

私は古いタイプの人間で、自称官僚主義の性格なので、三木谷さんを始め、イノベーターには胡散臭い、という印象をどうしても抱いてしまう。日本のため、というのも最近ではどうも、今ひとつ本気かどうか疑ってしまう。そういう印象の皮を少しずつ取り除いていくには、やはり自伝ではなく、こうやって信頼の置ける人に語ってもらうのが一番なんだな。

 

(単行本再読)

内容はハードカバーと同じで、加筆もない。

ただ、文庫本が発売された時、私は就職していて、本を読む時間も限られていた。そのことにストレスを感じて、というわけもないが、その後退職、またしても無職に逆戻りした。その前の穀潰し時代と違うのは、いったん就職したおかげで、失業保険をもらえる資格を得ていたことだ。

その手続きやら、職業相談の時、官公庁の常として待ち時間がある。ハローワークの場合毎回一時間は待たされる。その暇つぶしに、文庫本を携える、ということになったのだ。

一度ハードカバーで読んでいる、というのもあったのか、あっという間にページが進む。いや、そうではなく、これはきっと健さんの文章だから、というのが理由に違いない。自分にとって一番しっくりくる文章が、健さんの文章なのだ、とあらためて自覚した。

しかし、ハローワークで起業家の評伝を読むというのも奇妙なものだな、と思いながら読み終えた。これは立志奮闘伝というより、親が読む教育書なんだな、と。そこが健さんらしいな、と思った。