アンソロジー その他


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十七粒の媚薬 発行(単行本) 1989年4月 出版社 マガジンハウス
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1993年7月10日(土) 出版社 角川文庫
共著 村上龍 安西水丸 川西蘭 麻生圭子 秋元康 林海象 松本隆 泉麻人 北原リエ 佐藤正午 山川健一 桂木拓 阿木燿子 川村毅 売野雅勇 城戸朱理 玉村豊男
十七粒の媚薬 十七粒の媚薬 備考

今回このリストを作成するに当たって、最後の最後になって思い出した一冊。村上龍の棚に入っていたので見落としていたのだ!これも、いわゆる官能小説のアンソロジー。

最近はそうでもないけれど、健さんの官能小説にはすんなりと女性器の名称が何の衒いもなくぽんっ、と出てくるに、最初はなかなか慣れなかった。今でも読む分には好いけれど、男性がその言葉を口にするとフッと醒めるし、女性だと引いてしまう。別に私は初心なわけではないけれど、なぜかその言葉を言うのも聞くのも、恥ずかしいのだ()。ただ一度だけ、彼女にその言葉を言わせたことがある。その時はなぜか、アア標準語なんだ、と思って興奮とはほど遠かった。羞恥が過ぎて冷静を呼び起こしたのだろうか?案外女性は、それが絶対言えないという人もいれば、云わされて興奮するという人もいる。

そう言えば昔、伊勢で出会った女の子に、最中にもっと喋るのかと思ったら案外静かでこっちの方が恥ずかしくなっちゃった、と言われたことがある。そういえば、静かなセックスだよな、と言われて気づいたのだった。




贅沢な恋愛 発行(単行本) 1990年9月 出版社 角川書店
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1992年10月10日(土) 出版社 角川文庫
共著 林真理子 北方謙三 藤堂志津子 村上龍 森瑤子 山川健一 山田詠美 村松友視
贅沢な恋愛 贅沢な恋愛 備考

当時流行の恋愛アンソロジーで、「月とスピカ」という作品を健さんは寄せている。同作は後日、「窓の外を眺めながら、部屋のなかに座っている」という短編をまとめたモノの中に収録される。

こういうアンソロジーは、一人の作家の短編集とも違って、多少カタログ的に読むことが出来る。それと同時に、並んだ著作者のリストを見ると、アアこういう括りの中に健さんは入っているんだ、とかわかって面白い。

村上龍さん、山田詠美さん、なんかは健さんと並んでよく読んだけど、みんなまとめてエンターテイメント小説、なんて呼ばれていた。今はどうか知らないけど。




冬・恋の物語 発行(単行本) 1993年1月 出版社 集英社
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1994年11月25日(金) 出版社 集英社文庫
共著 片岡義男 橋本治 平中悠一 チチ松村 川西蘭 松木直也 山川健一 松本隆 山際淳司 秋元康 伴田良輔 南伸坊 えのきどいちろう 杉山恒太郎 笠井潔
冬・恋の物語 冬・恋の物語 備考

集英社版のアンソロジーで、四季それぞれ出ているのかも知れないけど、とりあえず健さんが参加しているのはこれだけのはず。ジャマイカが舞台。他の短編集に収録されているかな、と眺めてみたけど見当たらなかった。とすると、結構レアものなのか?




贅沢な失恋 発行(単行本) 1993年4月 出版社 角川書店
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1996年12月25日(水) 出版社 角川文庫
共著 林真理子 北方謙三 藤堂志津子 村上龍 森瑤子 山川健一 村松友視
贅沢な失恋 贅沢な失恋 備考

失恋を料理に絡めた作品のアンソロジー。健さんは「アーリー・タックルと食後の熱い紅茶」という作品を寄せている。同じモノが「窓の外を眺めながら、部屋のなかに座っている」に納められているのだけど、実はそちらを先に読んで、初出がアンソロジーだったので、慌てて集めたのだった。

この小説のためなのか、あるいは純粋な興味からなのか、どれかのエッセイでラグビーを見に行った話が出てきた。アーリー・タックルとはまさしくラグビー用語で、登場人物の大切なキーワードになっている。

私はラグビーよりはアメフトの方が好き、といってもごく最近になって見始めたばかりで、まだよく分かっていないのだけど。ついでに、料理も口がバカなので、あまりグルメではない。だいたい出てきた料理は何でも食べてしまうし、しかも皿の隅から隅まで平らげてしまう。昔京都に旅行に行った時に、泊まったホテルの夕食が懐石料理で焼き魚の皿が出てきた。一緒に赴いた彼女と一緒に、何の気なしにばくばく食べていたら、皿を下げに来た仲居さんが、骨しか残っていない皿を見て、「マーこんなにキレイに食べて」と驚いていた。

その彼女によく言われていたのは、しま♪さんは便利な男だな、と。何を作って出しても美味い美味いと云って平らげてしまうので、適当に手を抜いても全然バレないそうだ。




贅沢な恋人たち 発行(単行本) 1994年4月 出版社 幻冬舎
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1997年4月25日(金) 出版社 幻冬舎文庫
共著 林真理子 北方謙三 藤堂志津子 村上龍 森瑤子 山川健一 村松友視 唯川恵(文庫本のみ)
贅沢な恋人たち 贅沢な恋人たち 備考

贅沢な恋愛と同様アンソロジーでホテルでの愛情模様をテーマにまとめている。「ドライブと愛の哲学に関する若干の考察」で舞台となるホテルはホテル・ハイランドリゾートだ。同作も後日、「窓の外を眺めながら、部屋のなかに座っている」という短編をまとめたモノの中に収録される。

健さんの小説に限らず、バイクに乗った女性というもの私の中のイメージは、健さんと共著もある香西弥須子さんの小説の表紙に出ていた女性が強く刻まれていて、それはそのまんま、岐阜に住んでいた頃に内緒で付き合っていたお嬢さんと重なる。多少大げさに言うならば、夢に思い描いていた女性が、バイクに乗って夢のまま目の前に現れた感じ。人生の中で、そういう経験も案外あるモノなのだ。




君へ。 発行 2004年3月30日(火) 出版社  メディアファクトリー
      君へ。 共著 有栖川有栖 石坂啓 石田衣良 五木寛之 江國香織 大沢在昌 大槻ケンヂ 大林宣彦 乙一 角田光代 川上弘美 北方謙三 北村薫 小池真理子 鴻上尚史 鷺沢萠 重松清 篠田節子 鈴木光司 瀬名秀明 高橋源一郎 田口ランディ 谷村志穂 馳星周 坂東眞砂子 藤沢周 藤田宜永 松岡佑子 松尾スズキ 宮本輝 村山由佳 森絵都 山川健一 山本一力 山本文緒 唯川恵 夢枕獏
備考

最近になって健さんが参加しているのを知って、慌てて手に入れたもの。エッセイを集めたモノで、タイトル通り、健さんのブログそのまま。健さんがブログを始めた頃は、記事になるそのままがその後の作品、あるいはエッセイの題材とリンクしていくので、毎日面白かった。多少スピリチャルに傾いた自己啓発系、というとちょっと語弊があるけれど、その辺の時期で、同時にそれは私が当時欲していたモノでもあった。

最近はブログの方がおざなりになりがちで、ツイッターがその代わりを担っているけれど、私はどうもそっちには疎くて未だ手を出せていない。facebookで充分、と思っているし、そっちともリンクしているけれど、やっぱり軸足はブログに置いて於いて欲しいな、と自分勝手に思っている。




Ecstasy 発行 2005年10月30日(日) 出版社  祥伝社文庫
      Ecstasy 共著 山川健一 春口裕子 内藤みか 斎藤純 小沢章友 菅野温子 浅暮三文 藤水名子 渡辺やよい 山田正紀
備考

官能小説のアンソロジー。健さんが参加していないモノなら、数限りなく出ている。その辺で名を馳せている作家さんも何人か参加している。アダルトビデオもそうだけど、官能小説と言ってもセックスばかりを描いていても意味がない。どちらかというとそこに至る状況、必然性みたいなモノに共感が得られないと、楽しみは半減する。

ここに納められている「ハメ撮り師」というのは嗜虐側が主人公だけど、やっぱり被虐に長けている。前にブログで、健さん、太宰治、村上龍、そして私、の四人の中でいったい誰が女性に対して優しいか、というとんでもない話をしたんだけど、私が思うにどう考えても、ダントツで健さんに軍配が上がる、という結論に達した。他の三人は泣きながらでも最終的には女の子を殴ってしまう()

それは深読みするに、健さん自身がおそらくSMかと問われれば、きっとM体質に傾いているのだろう。感受性の高い作家の方の多くがそうではないかと私は勝手に踏んでいるけれど、それがそのまま性癖に反映するかどうか、というとそれもまたすんなりとそうはいかないのが面白い所。健さんはその辺がわかっているから、他の官能小説よりは断然面白い。まぁ、エロいかどうかは作品に寄るけど。




ギターをめぐる冒険 発行 1992年9月10日(木) 出版社  八曜社
      ギターをめぐる冒険 著者 筌尾正
備考 健さんの盟友、筌尾正さんがルーディーズ・クラブに連載していたものをまとめた作品。表紙カバーに健さんの推薦文あり。

本分には一切健さんは登場しない()。表紙兼帯(?)に健さんの推薦文があるのみ。でもなぜか、何の疑いもなくこのリストに載せてしまった。健さんの()盟友だし、健さん責任編集のルーディーズ・クラブでの文章をまとめたものだし、間違っちゃいないんだろうけど、この一冊を入れたおかげで、随分とリストの幅を広げなくてはいけなくなったのは事実。でも、おそらく、私と同じ感覚でこのリストのこの作品を眺めている人は多いはず。

それはさておき、やはりギタリストは例外なく饒舌である。私の知り合いのギタリストの何人かは、それぞれの向き不向きはあっても、某か自分の事を喋りたくして仕方がないヤツがいる。自分で曲を作ったりするとなおさらで、おそらく、ギタリストに限らないんだろうな。嘘だと思うなら、近くの楽器店に行って、スタジオから出て来たバンドマンに気軽に声を掛けたら、誰でもいろいろと喋ってくれるはずだ、おそらく。

それは当たり前と言えば、当たり前の話で、なぜなら、誰かに何かを、特に自分の存在を明らかにするために、ギターという武器、音楽という戦場に身を投げ出したのがミュージシャンだからだ。音楽家は語らず、という風潮を乗り越える事が出来れば、きっと例外なく、みんな何か喋りたいはずだ。俺の音楽はこんなにスゴいってね。

もちろん、この作品が俺サイコー!という話に終始している訳ではない。だから一冊の作品が成り立っている。そこなんだよね、表現が普遍的であるか、単なる自慰行為であるかの境目は。

私もストーンズ好きを公言していて、ギターも弾いているけれど、自分はまだまだ邪だな、と思わずにいられない一冊。




デ・クーニング 発行 1993年12月20日(月) 出版社  講談社
      デ・クーニング
備考 エッセイを寄稿

講談社の現代美術シリーズと銘打って、ちょうどバブルが弾けて直ぐぐらいに、何十巻かを毎月、発刊していた。ちょうど私は、岐阜を離れて香川に戻ってきた頃で、その頃私を支配していたのは、音楽以外の自分を発見する、というもので、こそこそ小説を書いたり、こういう現代美術に触れてみたりとか、失業保険をもらいながらそんな事をしていた。まぁ、ただ遊んでいただけなんだけど。

その当時、一応興味のある「リキテンスタイン」「ウォーホル」そしてなぜか「ラウシェンバーグ」だけ買った。その頃から、「デ・クーニング」に健さんがエッセイを寄せているのは知っていたし、「ラウシェンバーグ」だって別に知ってて買ったわけじゃないのに、なぜ手に入れておかなかったんだろうか?現代美術、というよりもわかりやすいポップアートの方に、単純に惹かれていたっていうことなのだろう。

健さんのエッセイ云々はさておき、単純にこのシリーズはわかりやすい現代美術の入り口になっていて、全巻揃えても損は無いと思う。あるいは好きな作家の画集は高いけど、一冊何か、ならちょうど好い価格、写真もキレイだし年表のような資料も整っている。旧本ではあまり見かけないのはやっぱりみんな秘蔵しているのか、当時の経済状況にあわせて売れなかったのか。もう二十年以上前のものだから、すっかり旧くはなっているとは思うけど。




あんな作家こんな作家どんな作家 発行(単行本) 1992年9月 出版社 講談社
単行本 文庫本 発行(文庫本) 2001年3月15日(木) 出版社 講談社文庫
著者 阿川佐和子
あんな作家こんな作家どんな作家 あんな作家こんな作家どんな作家 備考 健さんへのインタビューを「突っぱりロック」として収録。

阿川佐和子さんのインタビュー集で、インタビューされる側に健さんが登場する。阿川さんの目にはつっぱりロッカーと映っているようだ()。ブックオフで、山川健一、というキーワードで検索するとなぜかこれが出てきて、調べたらそういう事情だったので、ごく最近手に入れて読んだ。健さんファンの間では常識なのか、あるいは結構レアものを引き当てたのか。いずれにしろ、健さんの作品を自著だけに限らず集めようとすると、本当に多岐にわたっていて相当苦労する。今ではもう手に入らない雑誌とかにも載っている可能性があるので、そういうのをかき集めて出して欲しいな、と思う。




アジアに堕ちた男 発行 2007年2月11日(日) 出版社  太田出版
      アジアに堕ちた男 著者 テリー・タルノフ
備考 翻訳、編集を担当。巻末でロバート・ハリス氏との対談。

健さんが翻訳。冒頭でも言及されているけれど、翻訳と云うよりは再構成し、加筆修正も加えられているらしい。半分健さんの作品、と云ってもいいような出来だけど、作品世界としては全く別物。

タイトル通り、インドを振り出しにアジアを巡るバックパッカーの物語。行く先々でドラッグに溺れて、では何かを求めているのか、あるいは何かを得ているのかというとそうではない。ひたすら流れていく。

ちょうど同じ時期に鴨志田穣さんの本をまとめて読んでいた。バックパッカーと戦場カメラマン、という違いはあっても、両者ともにドラッグに堕ち、ゆらゆらと陽炎のようにアジアの大地の上を揺らめいていく。誰もが、そうなってしまうモノなのだろうか。

ただし、日本人の鴨志田さんの方がちょっとだけ、スケベ。私は案外そっちの方が良かったりする。病気は怖いけど、欲望ならそっちの方がずっとシンパシーを感じる。




太陽が沈む前に 発行 2007年6月1日(金) 出版社  太田出版
      太陽が沈む前に 著者 テリー・タルノフ
備考 翻訳、編集を担当。巻末でロバート・ハリス氏との対談。

「アジアに堕ちた男」の続編。ヨーロッパからアフリカへと至る。なぜかこっちの方がごくスムーズに読み進めることが出来た。女の子が出てきたからだろうか()?ただ、元々翻訳物には、原書が分からない限り触れることが出来ないものがあると信じているので、健さんの言葉として読む。しかし、健さんの姿はない。この違和感に終始馴れないままで終わってしまった。




あの世はどこにあるのか 発行 2008年12月18日(木) 出版社  アメーバブックス
      あの世はどこにあるのか 著者 森田健
備考 インタビュアーを健さんが担当。

森田健さんの本となっているけれど、健さんが訊き、森田さんが応える、という形式で構成された対談集みたいなモノ。森田さんは決まった宗教、というわけではないけれど、不思議なモノに対する好奇心は旺盛で、その仲介役として活躍されている。しかし、ある種の思想を、世に知らしめるために、書籍で広く伝えている、というのは最近の新興宗教がよくとる形態。全く固定の宗教に囚われているわけではないけれど、似たものとして捉えられるのは仕方がないことだと思う。

最近になってようやく辞めたけど、私の購読している新聞の占いの欄をとっておき、一週間後に果たして結果はどうだった、なんて振り返る、ということをしばらく続けていた。この人は当たる、当たらない、なんて物見遊山で眺めていただけだけど、まぁ、その辺自分の主観がいくらでも入るし、当たったからどうだ、というのもあって辞めた。それでも結構、占いや験担ぎをする方だと思う。

夏になると部屋の窓にヤモリが顔を出す。カーテンを引いて室内の明かりを外に晒すと、それを求めて小さな虫が寄ってくる。それをヤモリが食べるのだ。餌付けみたいなモノだけど、毎年同じ個体が来ているのかどうかも分からないし、実際触れるわけでもない。ゴキブリを食ってくれればいいな、ぐらいの軽い気持ちで始めたけれど、ヤモリは家を守るので無碍に出来ない、というのもある。それも迷信と云えば迷信だよな。しかも、絶対に地獄に落ちるのは分かっているから、その時、閻魔様に宛ててヤモリから嘆願書が届くようになればいいな、なんだったら蜘蛛の糸の如くしっぽを垂らして、なんて、そうなるともう創作じゃないの。




ロックミュージック進化論 発行(単行本) 1980年2月 出版社 日本放送出版協会
単行本 文庫本 発行(文庫本) 1990年10月15日(月) 出版社 新潮文庫
著者 渋谷陽一
ロックミュージック進化論 ロックミュージック進化論 備考 渋谷陽一氏との対談を「ポップス化の流れの中で」として収録。

私にとって洋楽の入り口が渋谷陽一で、FMの番組やロッキング・オンなどをよく漁っていた。今のようにネットもない時代だったから、それ以外に入り口が無かった、というのもある。そんな私が、渋谷陽一と聞くと、「FMホットライン・フロム・文京区・・・」というスティーブ・ハリス氏のギャグをいつも思い出す。共感できる方がいらしたら、ぜひブログの方にコメントを()

その渋谷陽一氏と、健さんの対談が収録されている。単行本と文庫版のどちらにも対談が収録されているが内容は違うらしい。現時点では文庫版しか読んでいないのであしからず。(単行本の方も手に入れたらアップデート予定)

ロックは進化なんかしないで純化していくんだよ、という健さんの主張とずっと平行線のままの対談。もちろん私は、経験として健さんの主張の方に肩入れできるのだけど、どちらも譲らないのが読んでいて面白い。この対談の存在を知ったのは、ルーディーズ・クラブからなんだけれど、あちらでは皆がある程度同一の方向にまとまっている話ばかりなのであまり気づかないけれど、対比として渋谷陽一が語る異論がある方が、健さんの主張が際立つし、共感できる。もちろん渋谷陽一のスタンスもよく分かる。そういう意味で、これは健さんの数ある対談の中で、ベストとも言える対談になっていると思う。



遊談倶楽部 発行 1988年12月25日(日) 出版社  集英社
      遊談倶楽部 著者 五木寛之
備考 五木寛之氏MCによる座談会集、健さんはレギュラーとして参加
他の参加者は景山民夫、川西蘭、桑原一世、小林恭二、島田雅彦、田中康夫、中沢けい、森詠、森瑤子、山田詠美

健さんの師匠である五木寛之氏がMCを務める座談会をまとめたもの。季節毎に一年間、毎回十人弱の参加者を集めて開かれた座談会で、メンバーは何れも作家ばかり。そしてもちろん、健さんもその中に加わっていて、しかも皆勤賞()。というかレギュラーみたいな立場。

健さんに限らず、エッセイや対談集、こういった座談会のようなものは、話の内容を愉しむよりも、そこからインスピレーションをもらうことの方がずっと益があると思っている。結局、誰かの受け売りよりも、そこから自分の血となり肉となり、と発展させる為にこういう形式のモノは綿々と続いているのだと思う。

昔大瀧詠一さんがNHK-FMの番組にゲストで出た時、あるハガキが読まれた。曰く、周りに居る話し相手がバカばかりで気が滅入る、という一般視聴者。続けて、坂本龍一、村上龍、と彼の言うところのインテリな会話が出来る人物の名が列挙されていた。

それから十年以上たって、ネットが整備され、2ちゃんねるの存在を彼が知ったとしたら、さぞかし喜んだことだろう(実際はどうか知らないけど)。自分が思うレベル(!)の者と繋がって会話に没頭できる場が、そこに存在していた訳だから。そんな巨大掲示板も、今は便所の落書きと揶揄されている。一億総白痴、といわれた時代は随分昔のことのように思えるけれど。

なんてことを、座談会、というフレーズから思い出してしまった。内容とは全く関係の無い話だけど、なんとなく、こういうモノを読むと、そういう考えが浮かぶ人も出てくるんだろうな、なんてことをちょっと考えただけ。



リエゾン 六つの恋の物語 発行 1988年7月25日(月) 出版社  主婦の友社
      リエゾン 六つの恋の物語 共著 佐藤正午 川西蘭 原田宗典 堀田あけみ 山田詠美 温水ゆかり
備考

アンソロジーモノで、健さんは「半斤のパン」という作品で参加。これは「チョコレートの休暇」にも納められているのだけど、一緒に「我慢」というタイトルで編集者(たぶん)の温田ゆかりさんのインタビューが収録されている。

これがなかなか興味を惹く内容。常に女性上位の、というと今の世の中では多少違和感があるように聞こえるのか、とにかく女性には敵わないよ、というような話を健さんがしている。どこまで元テープに忠実な文章化は分からないけれど、読んでいるとなんだか健さんが女性を口説いている場面に遭遇したような、そんな気になった()。そういうフレーズは一切出てこないけれど、なんとなく親密なようで、距離があって、でもそれが縮まっていくような、微妙な駆け引き?山崎まさよしの唄の中に、当たって砕ける、落ちる手前がちょうど好い、なんていうフレーズを思い出した。

まぁ、それは裏を返せば、読んでいる私の視線が曇っているせいで、そのギャップが自ずと自分を省みる事なんだろうな。それは意図したモノでは全くないのが、面白いところ。だから、なんだか居合わせてはいけないような雰囲気ではなく、今ならライブ配信しているような()そんな目で、男と女の話を覗き見しているような感覚。意外な拾いものだったなぁ。

ついでに、最後の山田詠美のインタビューも秀逸。アア懐かしきバブル時代、っていう感じ。



楽園実現か天変地異か 発行 2008年5月30日(金) 出版社  アメーバブックス
      楽園実現か天変地異か 著者 坂本政道
備考 「作家・山川健一氏との対話 ヘミシンクとコスモロジーについて語る」にて、著者と対談

著者と健さんは高校の同級生。巻末で対談している。元々、健さんがヘミシンクにハマったのは、この著者のもとで体験したのがきっかけ。健さん世代だとニューエイジ思想、とかいうジャンルになるのか、疑似科学とかオカルトと言えば通りがいいのか。

サブタイトルに2012年に何が起こるか、とある。発売は2008年で、私がこれを読んだのが2017()。だからといって、答え合わせのような事をするのは無粋というもの。ただ、健さんのヘミシンク話や森田健氏の著作にも共通するのは、ありがちな宗教めいた、正しく生きなさい、そうすれば天国に行けますよ、というような説教臭くないところ。善悪を単純に信じられない世代の特徴というのか、現代的というのか。

特にこの作品に限って言えば、淡々とまさに2012年に起こる事が、ほぼ断定的に語られている。信じる信じない、を少なくとも著者は越えているけれど、読んでいる方は果たしてどうかは分からない。私も健さんとの対談が載っているから、この時代でも読めたのが正直なところ。しかも、淡々と読み進めていった。タイトルがそうなっているので、半ば仕方がない。

だからといって、否定している訳じゃないよ。笑ってもいない。でも、時間というものは、結構残酷だと思う。




ポット・プラネット マリワナ・カルチャーをめぐる冒険 発行 2003年10月26日(日) 出版社  太田出版
      ポット・プラネット 著者 ブライアン・プレストン
備考 翻訳を担当。翻訳者によるプロローグを追加。

元々私はシンナーをはじめとするドラッグとは無縁の人生を歩んで来て、数年前にバッサリと煙草も止めてしまったので、教養としてこういう話は読んでいるに過ぎない。変性意識とか、そういうものに興味があっても、それはやはり生体機能だと思う以外に結論を持たない。快楽には糸目を付けないつもりでも、それも歳とともに随分とこぢんまりしてしまった気もする。

しりあがり寿さんが昔NHKで仰っていたように、現代は快楽をより得ようとすると必ずイリーガルなものに触れる、そういう時代になってきたのは事実。つまり、快楽には当然リスクが付き物だということで、それを乗り越えるのは勇気と意志の問題なのだろう。つまらない時代になってしまったものだ。

さて、ウチの近くには天下の海運を司る金比羅宮の総本山があるけれど、そこは地元では大麻山、と呼ばれている。地図などでは像頭山となっているけれど、大麻山の方が通りが良い。神域にこの名称、とは何事か況んや、である。大麻山の中腹に金刀比羅宮が有り、その裾野がなだらかに落ちたところに、お大師さんの生誕の地、総本山善通寺が鎮座している。



ハイ!シリーズ01 聖なる植物 大麻 発行 2004年11月13日(土) 出版社  太田出版
      ハイ!シリーズ01 聖なる植物 大麻 著者 ニック・ブロウンリー
備考 ハイ!シリーズの監修と翻訳を担当。翻訳者解説、あとがきを寄せている。

FC2だと弾かれそうなキーワードだけど、それはさておき、ロック作家の旗頭、エンターテイメント小説の先鋭、と呼ばれているからなのかどうなのか、あえてこういう言い方をすれば「違法薬物」を扱える唯一と言ってイイ作家が、健さんだと思われているのだろうか?()親和性がいい、というほどには思わないけど、そういうイメージがあるのは事実。案外、健さん自身も、それを気にしているような気もする。

原書では依存シリーズの中の一冊という事で、それにしては、依存性もなく、健康にもいいのになぜか禁止薬物の仲間入りをしている大麻、という本。解説にもあるように、ポット・プラネットは旅行記で、これはもっと俯瞰した視点から経済や歴史を語っている。最終的になぜ禁止されているのだろうか?という感想を持つのはやはり、最後の十ページが持つ熱のせいだろうか。

斯様にシリーズ監修として、健さんが翻訳しているから読んだようなもので、そうでなかったら果たして手に取ったかどうか。そういう心持ちで相対しているから、読んでいてもなかなか先に進まず、そして最後の十ページに著作者の心象と、健さんの解説、及びあとがきを読んで胸をなで下ろす、という感じ。

余談だが、ブログでも何度も話したのだが、私はストーンズの大阪公演を、Bステージ最前列で見る幸運に恵まれた。ステージと客席のスペースはちょっとしたギターメンテに使われていて、ライブ中、ローディがストラトの調整を始めた。彼は背中を見せていたのだけど、そのうちほんのりと甘ーい香りが漂ってきて、私は直感的に、オッとヤバイ匂いがしてきたぞ、と思ったのだった。これこそストーンズ、と思ったまま終演後、同じ幸運に恵まれた三人とお好み焼きを食べた。その時、ちょうどそのメンテの話になった。

「ローディがストラトにめいっぱいパウダーをかけてましたよ。ストーンズはスプレーじゃなくて、パウダーなんですね」

そのヤバイ匂いは何のことはない、弦の上で指の滑りを良くするパウダーの匂いだったというオチ。ちなみに、チューナーも今ではどこでも見かけないようなストロボ式で、なるほど歴史を背負ったバンドだな、と思った。



ハイ!シリーズ02 植物性アッパー コカイン 発行 2004年11月13日(土) 出版社  太田出版
      ハイ!シリーズ02 植物性アッパー コカイン 著者 ニック・コンスタブル (訳)山本彰子
備考 ハイ!シリーズの監修と解説を担当。

身も蓋もない言い方だけど、結局最後の健さんの解説と、年表とで、少なくとも私の興味は満たされてしまった。そこに至るまでの長い、長い話は結局、それの詳細なのだ。もっとも、長い話を要約したのが解説なので、私が言っていることは全く本末転倒なのだけど。

つまり、私のような思考過程は、インターネットに触れるときのラインなのだと思う。例えば、項目がズラッと並んでいる中で、気になるモノをクリックして詳しく読む。興味があれば次の項目、なければ他の項目か、別のページへ。このアクセスビリティが良くも悪くも、ネットのもたらした新しい世界との付き合い方なのだろうと思う。

そうなると、詰まるところ紙の媒体は、縮小傾向に向かわざるを得ない、と思うのだけど、だったらあまたある興味の中で、果たして「コカイン」を私は選択するだろうか?山川健一、という項目をクリックして、満たされない情報を補完しようと思って始めたのがこのLIcksだけど、そこに載っているのが紙媒体の情報、というのは何ともね()

全くコカインの話ではなくなってしまったけれど、結局、健さんが解説しているように、ロックとドラッグの付き合い方でしか、コカインとは縁が無いのだから仕方がない。ちなみに、この本を読み終えてこれを書いている最中に、目の前のテレビで流しているDVDは、ストーンズのキューバ公演のライブを収めたもの。コカインと言えば、南米。その南米をツアーして回っているドキュメンタリー。まぁ、縁遠いとは言え、ってコトかな。