センセイというのは、中学の時にギターを始めた時から面倒を見ている人で、明日菜は音楽のことは万事、そのセンセイに相談している。僕も、つきあい始めの頃に、明日菜に引っ張られて一緒にギターを習っていた。でも、僕には楽器を弾きこなすセンスがなかったし、のめり込むほどの興味も惹かれなかったし、長く続ければ上手くなるのかもしれないけれど、やっぱりその意欲が湧かなかった。だから、明日菜にごめんと言って、途中で諦めた。

それがきっかけで、僕は美術部にまじめに通うようになったので、全く無駄な時間ではなかったとは思うけれど、明日菜とその先生が作っていた空間の外に置かれるような感覚は、きっと一生忘れないだろうな、と思った。あの居心地の悪さは、僕の中にしっかりと暗い影を落としたまま刻まれていて、だからやっぱり、明日菜がギターを弾くことに、なんとなくの偏見のようなものを抱いてしまう。

明日菜はそのことをきっとわかっているはずで、でも敢えて話を避けたり、隠したりもしなかった。明日菜にとってその方がずっと、オープンな感覚なのだろうけれど、僕は苦手だった。知らない世界、というより近寄れない世界、というのがどうも、馴染めない。

「この夏休みにセンセイの昔のバンドのメンバーといっぱいセッションしたんだけど、その時に進路が決まったらお祝いに何かくれるって云ってて、ちょうどクリスマスだからって、今日プレゼントしてくれたの」

そう言って明日菜は後ろを振り向いた。後ろには、座席ほとんどを僕のプレゼントが占領している。そのことに気がついて、明日菜の目が一瞬泳ぐ。

「ストラトなんだけど、メンバーの人がいろんなパーツをそれぞれ買ってくれて、ピックアップをレースセンサーに変えたり、ブリッジをフェンダーの輸入物に変えたりとかしてくれた、完全カスタム仕様なの。それを、今日はわざわざ、もう一人のギターの人とね、その人は高松で本当にギターの先生をやっているんだけど、その人と、キーボードの人がセンセイのところに持ってきてくれて、私もセンセイのところに受け取りにいってたの」

明日菜の言葉の中に出てきた固有名詞の半分は、僕には見当もつかなかった。秋の文化祭の時に、体育館で明日菜を見ているそのセンセイに会った。センセイの周りには、いっぱい人がいて、みんな明日菜のバンドを目当てに来ているようで、その集団がきっと、夏のセッションの主なメンバーなのだろうと見当はついた。みんな僕らよりも、僕らの親と歳が近い。高校の文化祭の中では明らかに保護者の中に溶け込んでいた。

この夏に明日菜が一番熱中していたのがそのセッションで、センセイがその段取りを付けて、明日菜は嬉々として連れられていった。翌日、メールや、会えば直接、その様子を事細かに、興奮した調子でよく聞かされた。メールの文面さえ、ひどくエキサイトしているのが目に見えるようだった。

僕と明日菜が付き合って、三度目の夏だったけれど、一番会う時間の少ない夏休みだった。それが受験のためではなく、もちろん、僕の家庭の事情というのでもなかった。明日菜は、高校最後の夏休みを、ギターを手にして謳歌することに熱中したのだ。

「それにね、今センセイのところに一号さんが居候しているのよ。一号さんって、ほら、高松の商店街で一緒に唄っている人で、お城祭りの時に見たでしょ?」

確かに、明日菜は毎年ゴールデンウィークに今僕らがいるこのお城を中心に繰り広げられる、その名もお城祭りで、いくつかある広場の中の一つの特設ステージに立った。その時に一緒だったのが、ギターを弾くセンセイと、ボーカルの人だった。僕は明日菜に強請られて、その様子をビデオに収めるために、カメラを手渡された。

ステージが終わってやっと、そのボーカルの人をみんなが一号、と呼んでいて、明日菜も一号さん、と呼んでいることを知った。本名は知らない。ただ、その声はとても魅力的で、引き込まれるような表情に溢れていた。耳に心地よい響き、みたいな感じがして、自然と聞き入ってしまう魅力が満ちていた。それに、とても目立つイケメンで、そのステージの下にも、何人かのファンみたいな人が見に来ていた。

「一号さんだけでなくて、本当は奥さんも一緒に居候しているのよ。子供が産まれるんだって。それで、本当は奥さんの実家が松山で、そっちに帰って産むつもりだったらしいんだけど、夏の終わりに一号さんが娘さんをくださいって実家に乗り込んだら、お父さんに殴られて勘当されたんだって。それで、一人で産むのも不安だし、元々一号さんはセンセイの家に長く居候していたから、っていうので、アパートを引き払って二人でセンセイのところに転がり込んだ、ってわけ。センセイのところは妹さんがいて、経験者だから」

 

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