「ところで、もう本命の志望は決めたの?」

僕は今になっても、志望校を絞り切れていなくて、願書の締め切りギリギリまで粘るつもりだった。でも、年明けには少なくとも書類の準備のために、セレクトは終えていないといけないのは事実で、そういう意味ではせっぱ詰まっていた。

成績に照らし合わせれば、自ずと絞られるのかもしれないけれど、僕は「決める」ということ自体に躊躇していた。単純なこれから四年間の進路、というものではなく、もっと長いスパンの方向の選択を、今、迫られているような気がして、悩んでいたのだった。

それでも明日菜には、まぁ、だいたいは、と曖昧に返事した。

「お母さんが勧めているところは、受けるの?」

一応、とこれもまた曖昧に返事する。

僕の母さんは、東京で報道番組のキャスターをやっていたのだけど、この春に引退した。仕事を辞めたわけではないけれど、それまで持っていたレギュラーを全部降りて、こっちに帰ってきた。

去年、東北を襲った未曾有の災害を、当然母さんも報道の人間として取材した。現地に早々と入って、中継していたのを、僕もテレビで何度も見ていた。震災から一年経った報道番組でも、メインの司会者として、現地に立っていた。

そこで、母さんは突然、引退宣言をしたのだった。事ある毎にこの一年、絆の大切さに触れて、自分にも大切にすべき家族がある、と告白して、今からその家族というモノを取り戻したいと願っている、と母さんは視聴者に向けてそう言ったのだった。それはちょっとしたセンセーションを伴って、翌日のワイドショーを賑わせた。

僕にとっては、今になって家族を持ち出されても戸惑うしかなかった。別に、僕は両親がそばにいないことで、何か大きな障壁を背負った気はしてなかったし、自分の境遇というのをありのままに受け入れていた。それはきっと、ラッキーなんだと思うのだけど、事実、僕は自分の家族、というものを熱望したことはなかった。

母さんは自分のキャリアのために僕を一人故郷に残すことになったけれど、それでも時々はこっちに帰ってきて顔を見せていた。祖父の家に移ってからは、それまで叔父さん夫婦に気兼ねしていた父さんも頻繁に顔を出すようになったし、夏と正月には、短い休みを、三人で旅行に行くのが年中行事になっていた。

だから、今更家族なんて、という気がしないでもなかったのだけど、だからといって、母さんの決断に、異議を唱えるモノでもないので、やはりそれもそのまま受け止めた。さすがに、引退の告白直後は、よくテレビで見る顔のレポーターなんかに声を掛けられたりして、やっかいだったけれども、春になって完全にテレビから母さんの顔が見えなくなると、それもまたフェードアウトした。

夏前から母さんは、実家に居座っていて、慣れない家事とか、僕の面倒を見始めた。やはり、時々帰ってくるのと、腰を落ち着けるのでは勝手が違うのは、僕も母さんも感じていて、未だにぎごちない日々が続いている。

それも僕の受験が終わるまでで、来年の春になると、家族三人で東京で独立することに決まっていた。父さんと母さんはそれを機にちゃんと入籍をして、僕の戸籍の手続きも済ませることになっている。だから、僕は東京の大学に進学するように勧められていたし、それを折り込んだ上での計画だった。

加えて、母さんは、自分の母校に進むことを強く勧めた。母さんと父さんは、元々その私立のけっこう名門の大学で知り合った。だから、父さんも反対はしなかった。もっとも、二人が出会ったのは事実だったのだけど、母さんがシングルマザーになるいきさつも含めて、その大学での出逢いがなければ、きっともっと普通のキャリアが積み重なっただろう。そういうところに忸怩たる思いがあるのは父さんの方で、だから一緒になって強く勧める、というわけではなかった。

結局、今まで成績表なんて見たこともない両親にとって、進学について口を挟めるのは、東京に行く、というビジョンに沿わせることで、その為に具体的に進言出来るもっとも手軽な場所が、二人の母校だった、ということに過ぎない。

それがわかっていて、やはりそこにも強く惹かれるものを感じられずにいた。

とにかく今の僕は、明確な指針を欲していた。それがなんでもいい、単純なインスピレーションでもいい、強く心を動かされるほどに信じられる、進むべき道しるべの灯火を、漠然と待ち望んでいるのだった。

明日菜はきっと、そういう意識のないままに、ギターを弾き続けるという旗印を、自分の手元に引き寄せて、環境の方をそれに合わさせることが出来たんだろう。いつも明日菜は、ギターで将来を見据えるのは単なる下心、と言って照れるけれど、それ以外見えていないのも事実だ。

そう言える明日菜が、羨ましいと、僕は思う。そういう身近な存在のせいで、余計に僕は霞むような意欲に萎えてしまうのだ。

明日菜はその下心をちらつかせて、東京に乗り込む。本当を言うと、その明日菜の意志がなければ、僕の中に東京という選択はなかったかもしれない。ほぼ間違いなく確信を持って言えるけれど、母さんが家族というキーワードを持ち出して、東京に呼んだとしても、きっと納得はしなかっただろう。

 

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