僕は産まれてすぐ、その叔父さんに預けられた。母親は僕を残して、単身東京でニュースキャスターになった。別に望まずに僕を産んだわけではなかったけれど、シングルマザーは母のキャリアにはスキャンダルだった。最近ならまだ、理解はあるのかもしれないけれど、そういう時代だったのだ。

叔父さんはそのことについて、あまりいい感情を持っていないようだったけれど、それを僕に何かの形で矛先を向けたことはない。僕がまだ首も座っていない赤ん坊だったせいかもしれないけれど、僕は一応叔父さんの家の家族として育ててもらった。叔父さんの妻、つまり叔母さんが、また比類を見ない人格者で、既にミチル姉さんがいた家族の中に僕を押しつけられても、同じように愛情を持って育ててくれた。

ずっと後になって、叔父さんに叔母さんを紹介したのは、叔母さんの高校の同級生だった母だ、という話を聞いたけど、その恩義だけで僕を中学になるまで育てたのでは割に合わない気がする。やはり、人間が出来ているのだろうと思う。

だけど、僕は物心着く頃には、預けられた子供、という立場を教えられて育った。二つ下に弟が産まれたけれど、ミチル姉さんと弟は姉弟で、僕には別に母親がいる、ということは、自然と僕らは知っていた。そういう間柄というか、関係性は、隠すことなく教えられて育ったのだ。

ミチル姉さんは、きっと無意識だったのだろうけれど、僕に対して、別の家の子供、という風な一種の壁を持って接していて、それは時として、嫌がらせとか、理不尽な疎外みたいな形で現れた。その頃から、ミチル姉さんは気が強くて、男勝りで、わがままな子供だった。だから、自分の思い通りにならないことが起きると、だいたい僕のせいにするか、八つ当たりの矛先を僕に向けた。そして僕らは良く衝突した。僕だって負けていなかったのだ。

叔父さんは、僕がミチル姉さんに手を出すと容赦なく殴ったけれど、叔母さんは二人を叱った。僕だけでなく、ミチル姉さんもずいぶんと叱られて、時々罰を与えられた。それもまた、次のイジメの原因になるのだけど、そしてまた僕らはぶつかるのだった。

それが、僕が中学生になって、叔父さんの家から、今住んでいる祖父の家、いわば本家に移ることになった。理由はわからないけれど、どうも、僕の母の意向が働いたらしい。その詳細は、全く僕には知らされなかったけれど、ちょうどその実家を新しく建て直したので、僕は自分の部屋を初めて与えられてそのことが嬉しかった。

それで、ミチル姉さんとも、顔を合わすことは少なくなったんだけど、時々は顔を出す。だいたいが叔父さんのお供で、祖父に小遣いをせびるとか、そういうことのついでに、僕の部屋のドアをノックした。さすがにもう、取っ組み合いの喧嘩をすることはなくなったけれど、ミチル姉さんは、傍若無人に僕の部屋を荒らし回った。

 

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