月子先生はまた準備室に引っ込むと、今度はすぐに出てきて完成した絵の横に立った。

持って帰るんでしょ?そう云って、手にしていた大きな布を拡げて見せた。それはパイル地の、キャンバスにちょうどイイ大きさのキャリーバッグだった。いかにも手作り、というほころびがあって、しかも絵の具や石膏の後やら、外側は幾分汚れていた。

「私は今彫刻しかやらないけど、高校までは絵もやっていたのよ。その名残よ、これは」

そういうと、月子先生は、バッグを僕に手渡した。余り物で良かったら、と最後に付け加えた。

僕はありがとう、と云って素直に受け取った。本当は段ボールに挟んで、その上にとりのこ用紙を巻いてリボンを付けて、と考えていたのだけど、それだけでは持ち運びはやっかいだな、と思ってはいた。リボンを上手くやって持ち手を着ければ何とかなる、ぐらいの算段しか着けていなかったのが、簡単にけりが付いた。

ただ、月子先生が、そんなことまで気に掛けてくれていたことが、意外な気がした。

「本当はね、いっぱい余っているの。私も昔はあなたの立場で、ココで絵を描いていてね、その時にいろんなサイズのバッグを手作りしていたのよ。それを卒業の時に、学校に寄付、とか云ってそのまま置いておいたら、今までずっと残っていたのよね。

今はあんまり、手作りする人もいないから、無用のモノといったらそうなんだけど、だからこうして使い道があって良かったわ」

フフフと、月子先生は笑った。僕はその顔に向けて、もう一度ありがとう、といって早速バッグに絵を仕舞いはじめた。

「もう絵は描かないの?」

「受験終わるまで無理ですよ」

「そうじゃなくて、大学でも続けるんでしょ?」

「受かれば、の話だけど」

今の時期、そういう自信のなさはマイナスな気がしたけれど、実際僕を合格にしがみつかせるような、強い衝動のようなモノに欠けているままで、結局どこかに潜り込むんだろう、ぐらいの淡い希望しか持ってなかった。

絵は完成した、ということはこれから、受験しか残っていないことになる。僕はバッグに絵を仕舞いながら、その寂しさにどこかで感傷的になっていた。

「続けなさいよ」

いやに強い口調で、月子先生は云った。僕は思わず顔を上げて先生を見た。

「と、生徒には云うようにしているの」

悪戯っぽく先生は笑って返したけれど、その眼差しはまんざら冗談でもないような感じだった。

「絵が好きなら、趣味でいいからずっと描き続けることね」

「本当は、好きかどうか、わからないんだけど」

そうなの?と今度ははっきりと寂しそうな目で月子先生は僕を見た。ひどくがっかりとした表情で、僅かに首をうなだれた。

「そもそも、大学に行く理由が見つからないんだけど。みんなが行くし、将来のためでもあるし、とか頭ではわかっているんだけど、実感が伴わないんだよね」

「それが意欲が湧かない理由?」

それだけじゃないけど、と僕が云ったところで、バッグはギリギリのサイズで、完成した絵を納めた。僅かに弾力のある布がピンと張ってしまっている。試しに肩に掛けてみると、やはり、重かった。

「今は大学って、就職斡旋機関みたいになっちゃっているから、資格が取れるところとか、専門課程が見直されているけれど、教育機関は何処まで行っても教育の場なのよね。実際仕事をするスキルは、職に就いてみないと身に付かないモノだし、社会に出ないと実感できないモノなのよ」

先生らしくない言い方だね、と僕が口を挟むと、アラそうかしら?と月子先生は口を尖らせた。

「二十歳やそこら辺で、将来を決定することなんて最初から無理なのよ。ましてや高校生にはなんのインフォメーションもないのよねぇ。こういう抽象的な言い方でも、云っておいた方がイイと思うのよ。ある程度社会に出て自分の適正みたいなモノを見極めてから、将来を見据えてもイイと思うんだけど」

まあ、私は講師だから、偉そうなことは言えないんだけど、と月子先生は付け加えてから、さっきまで僕が座っていた椅子に腰掛けた。僕は腕に巻いた時計をちらりと見て、瞬間、コロッケを買いに行く手間と待ち合わせの時間を算段した。そして、いくらかの余裕を見つけて、イーゼルの隣の椅子に座る。

 

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