気がつくと、僕の後ろから月子先生も絵を見ていた。

文化祭の時ね、と先生は云った。僕は振り向いて頷く。でも、これだと真鍋さんよりボーカルの女の子の方が目立ってない?と首を傾げた。真鍋さんというのは、明日菜の上の名前だけど、名字で呼ぶのはこの学校で教師ぐらいしかいない。

確かに、僕が描いた構図では、顔をしかめて身体を前に折ってシャウトするボーカルが一番大きく、ギターを抱えて右手を高々と掲げている明日菜はその後ろだった。先生が云うように、この絵を見て一番最初に目を引くのは、ボーカルの方かもしれない。

絵を描こうと思った瞬間に浮かんだのがこの構図だったのだけど、先生に指摘されて僕は初めて、これをプレゼントされた明日菜も、同じことを言い出すのかな、と思った。アタシが目立たない、と機嫌を損ねるかもしれない。普通に描いたのならまだしも、プレゼントだからな、と僕はそこで初めて、失敗したかも、と思った。

無意識に浮かんだままの構図だったのだけど、そこには何かの意味が隠されている、そんな心理テストみたいなことを、僕自身も考えた。ただ、突っ込むなら構図だけではないはずだ。

何しろ、二人とも僕は一糸まとわぬ姿で描いているのだから。

もちろん、ボーカルは体を折ることで、明日菜はギターとボーカルとの重なり具合で、肝心な部分は隠しているけれど、服らしき物を着ていないのは、明らかだ。そしてそれは意図的にそうしたのだ。

「そっちを突っ込むの?」

僕は月子先生には、友達の感覚でつい喋ってしまう。反論を重ねている内に、そうなったのだけど、先生も別に注意はしなかった。わりと、先生によっては女子なんか、馴れ馴れしく喋ることもある。僕にとってはそれが月子先生、というだけで、特別な思いはなかった。

「裸だけど」

僕は絵を指さす。

「高校生に裸婦は不謹慎、とか言うと思った?」

先生の口調はおっとりとしていて、ハスキーなのに、芯は透明感のある声質のせいで、煩わしさは感じない。その声を引きずって、フフフと軽く笑った。

「裸婦のデッサンは美術の基本よ。学校で勧めることは出来ないけれど、美術の養成としては否定は出来ないのよ。それに、最近のアニメって露出が多いから自然とこうなるんじゃないの」

やっぱり先生は、この絵もマンガの延長だと思っているらしいことがわかった。それは悔しかったけれど、ただ、その時、僕は自分の線の理由がわかったような気がした。

それはもしかすると、照れなのかもしれない。

色のあるアニメはまだしも、マンガの中の濃淡だけの表現の中では、くっきりとした線にタッチを加えるのは、それだけで表現になる。背景との隔離を明らかにして、線の内側に感情を込めるのだ。曖昧な表現もあるけれど、それはひどくわかりにくい。僕はきっと、そのわかりにくさの反対側に逃げ込むことで、自分の中に理由付けをしないと、きっと何も表現できないのだろう。理由がないと、自分に自身が持てないのだ。名札がないと覚束ないのだ。

それを僕は境界としての線の中に刻んでいるのだろう、と思った。そうでないと、僕は僕としてそこに立っているのが恥ずかしくてたまらないのだ。

「ボーカルにネギを持たせれば、ネットで受けるんじゃないの?」

今度は声を出して先生は笑った。若干の嘲りが滲んでいるその声に、僕はむっとする。

「月子先生は、体育館のステージ、見なかった?」

見たわよ、とまだ半分笑みを残したままで、そう答えた。

「アレ見たらこうならない?」

僕はもう一度、絵を指さした。

「人が多くて、音も悪かったし、あんまりちゃんと見なかったのよね」

「あの時、本当は、二人ともこうなりたいんだろうな、ってぼくは思ったんだけど」

へぇ、と興味があるのかないのか、計りかねるような返事をされた。

「全身全霊、ってよく言うけれど、それを一番邪魔しているのがそれを云っている自分自身じゃないのかな、って別に謙虚じゃなく、そう思うことがあって、それをステージの上の二人に一番感じた気がした。歌を歌いたくて、ギターを弾きたいのに、何か発散しようとするところに、服みたいな拘束具が邪魔しているとか、そんな感じ」

 

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