およそ一ヶ月かけて、僕はその絵を描き上げた。文化祭の後夜祭で、ささやかな引退セレモニーを果たした僕が、美術部に顔を出すのは、不自然極まりなかった。それは自分でも感じていて、だから最初に顧問の先生に話を通しておいた。

わりと素直に、受験に集中できないことを告白して、その理由の根底に流れている不安は、未来の希望の喪失、みたいな感じで濁しておいた。結局、明日菜とのことなんだけど、恋愛沙汰を口にするのは恥ずかしかった。全く嘘をついているつもりもないけれど、本当でもない。実際のところ、将来の不安が、明日菜のことにすり替わっているのか、その逆なのかも、僕にはよくわからなかった。

それでも目の前の参考書は毎日数ページずつこなされていって、いつの間にか先に進んでいる。それが僕の何処に留まり、なんの役に立つのか、実感が乏しかったのだ。

それに比べて、絵は毎日少しずつ変化してゆく。デッサンから始まって、下塗りから色を重ねていく内に、自分の思い描いていた姿に近づき、また離れ、毎日いろんな顔を見せた。それは参考書よりはずっと僕のためになっている気がした。

あなたって本当に嬉しそうに描くよね、と時々見に来ていた顧問の先生が僕にそう言ったことがあった。顧問の先生は、女性の美術の講師で、他に選択クラスも担当していて、みんなからは下の名前の月子先生と呼ばれていた。

報道番組でよく見るハーフのタレントによく似ていて、先生自身もいくらか外国人の血が混じっているらしい。ショートカットで、明らかに目尻が垂れている以外は異国の血が絶妙に顔の造形を引き立てている美人だ。手足が細く、輪を掛けて細長い指は繊細さを印象づける。それでも喋ると、ちょっとハスキーだけど、おっとりしていてどこか甘えているような口調になる。きっと男の人にモテるんだろうな、と僕なんかは思う。

月子先生の父親が、かなり有名な現代美術家で、海外でも個展を開くほどの大家だった。その父親も昔はこの学校で美術教師をしていたらしい。それを先生が望んだのかどうかはわからないけれど、親子二代で跡を継いだわけだ。

先生は選択クラスの時でさえ、課題を出して、後は好きにさせるばかりで、ああしろこうしろと指導することはあまり無かった。それでも授業の間は、教室を歩き回って、時々生徒の絵をじっと眺めてみたり、問われればアドバイスをした。アレでいいんだったら楽な商売だよな、と僕なんかは思う。でも、独特の雰囲気を持っている人で、それはそれで納得させられるような不思議な先生だった。

美術部の顧問もしているから、いくらか僕は気に掛けてもらっていたけれど、実際に描いた絵では良く揉めた。というのも、僕が描くデッサンの線はマンガ、なんだそうだ。セル画に引かれる黒い線、アレって無くてもいいのよ、と先生は良く言った。僕は村上隆を引き合いに出して、反論しようとすると、奈良良智で説き伏せられたり。元々、アニメは好きだし、いわゆるオタクを自認しているから、先生の云うことにとことん反発するつもりはなかったのだけど。

ただ、今日額装を果たした、明日菜へのプレゼントに関しては、時々見には来たけれど、特別、何も云わなかった。一枚通してそんなことは、たぶん初めてだったはず。そして、休日にわざわざ施錠された美術室を開けるためだけに登校させられたことにも、特に何も言わなかった。学校は三年だけでなく、終業式を終えて冬休みに入っている。その最初の連休に、先生だからといってわざわざ出てくるのも手間だろうと思う。申し訳なく思った僕は、初めて、これが明日菜へのプレゼントだと告白した。

そんなことだろうと思ったわ、と特になんの感慨もなく、先生は軽く流した。そして軽く笑い顔を残して、そのまま美術室の隣の準備室へ入ってしまった。僕は、取り残されたような気がして、呆気にとられたけれど、とりあえず額装に手を着けた。

 

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