僕がそのキャンバスに描いたのは、明日菜が文化祭の時に、体育館のステージに立った時の光景だった。明日菜は中学の頃からギターをやっていて、未だに熱中している。半分いい加減にも見えるような早業で、春からの進路を決めてしまったのも、ギターさえ弾ければ何処だっていい、という理由からだった。だから、短大の家政科、なんてもっとも明日菜には似合いそうもないと思ったけれど、彼女自身にしてみると、なんの問題もなかったのだ。

ギターを弾いている、という事実が、明日菜の印象を決定づけるのか、あるいは明日菜が持っていた素質がギターを持つことで際だったのか、それはよくわからないけれど、とにかくあの歪んでいるくせにやけにキラキラ輝いて、ともすればナイフの切っ先のような鋭ささえ持っている爆音は、明日菜の性格を、少なくとも半分以上は体現しているかのようだった。勝ち気で、まっすぐ前を向いている眼差しにピンと一本張りつめた緊張の細い糸を微かに振動させているような、そんな感想は少し顔を見て話せば誰もが持ったし、僕にも未だにそのイメージがつきまとっている。

そういう居合い抜きのような切れ味の鋭い性格は、不釣り合いにも女性特有の見た目で一瞬、眩まされる。振り向きざまに腰まで届くような長い髪が舞って現れる、丸くやや目尻の下がった大きな目と、厚ぼったい唇が印象的で、それはとても女らしい美しさに目を惹かれる。それは体つきにも浸透していて、柔らかさを帯びて弾力のある肉付きの良い体型が、一層「らしさ」を際だたせるのだ。学校では膝を隠しているスカートを、明日菜は校門を一歩出ると、たちまちクルクルと巻き上げる。するとけっこう筋肉質で張りのある決して細くはない太股が露わになって、僕なんかはそれを見るとドキドキしてしまう。

なぜだかその時、いつも僕は、家の物置で見つけた古い雑誌に書かれた詩を思い出す。それは80年代の日本のアーティストを特集した雑誌なのだけど、その巻頭に写真をコラージュしたモノと一緒に、簡単な詩が添えられているページがあった。そこに、僕はトイレに行って放尿しながら、これが今日君に二回も入ったんだと、思うと嬉しくなった、というようなリリックだった。それが何かの歌の英詩を訳したモノなのか、あるいは誰かのポエトリーかは知らない。だけど、それはいつの間にか、僕の中で明日菜のチラチラ見える太股とシンクロしていた。

そんな男なら誰でも思わず触れたくなるような体つきの芯の部分に、明日菜は男以上に硬く締まった剛健さを備えていた。それを本当に知っているのは、いったい何人いるのだろうか、と僕などは思う。そのウチの一人に、僕は入っているつもりだけど、それもなんだか、今は不安の中にあった。

 

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