ふと、僕は思いだして、自転車の前駕篭に放り込んでいた、デイパックを手にした。外側の大きめのポケットを開けて、中にあるビニール袋に指先を当てた。まだほんのり暖かいのを確認して、ホッとしたけれど、それでもずいぶんと冷めている。そのビニール袋の中には、精肉屋の店先で売っている揚げたてのコロッケが二つ、入っていた。明日菜と二人で食べようと思って買っておいたのだけど、もうすっかりおいしさを留めた温もりからは逸脱していた。

僕は待ち合わせの時間を計算して、それまでずっと学校にいた。僕は高校生活の放課後、という時間のほとんどを、美術室で過ごした。ちゃんとした画材を遣って、ちゃんとしたキャンバスで絵を描いたのは、高校に入ってすぐに入部した美術部が初めてだったけれど、結局三年間、僕はそれに熱中した。元々プラモデルを作ったり、ちょっとした日曜大工とか、手先を使って物を作るのが好きだったのだけど、その延長線上に美術部があった。

おそらく美術室に赴くのは今日が最後だろう、という言い訳で、昼過ぎに顧問の先生に頼んで鍵を開けてもらって数時間、そこで過ごした。そして、頃合いを見計らって、そこから直接待ち合わせの場所には行かずに、その精肉屋に向かったのだった。

学校の裏門から出て、まっすぐ行くと片側車線をコンクリートの大きな鳥居が跨いでいる道路に出て、その道なりに南に向かって少し行くと、そこに精肉屋がある。その軒先で、揚げたてのコロッケを売っているのだけど、僕らの学校には愛好家が多い。明日菜もその一人で、また太る、と愚痴を云いながら、けっこうな頻度でそこに足を向ける。

僕の思惑なら、明日菜とそのコロッケを食べながら、クリスマスのプレゼントを交換しあって、というお決まりの儀式を、今頃滞りなく済ませているはずだったのに、主役は未だ姿を見せない。僕は四度目のメールを打とうと決心して、ケータイを取り出し、なんとなく虚しくなってまたポケットに仕舞った。

僕は腰を上げて自転車の傍らに立ち、そこに立てかけてある大きな布製のバッグに手を触れた。使い古した焦げ茶色のそのバッグは、所々に絵の具のシミを浮かせている。自転車に立てかけると、ほとんど同じくらいの大きさだった。これを抱えて精肉屋まで行くのは一苦労だった。

バッグの中には、ついさっき美術室で額装したばかりの、四十号のキャンバスが入っていた。ここしばらく、明日菜には内緒で僕はこのキャンバスと格闘していた。

ぼんやりとした不安というか、疑問というか、自分でもよくわからないものに横槍を突かれるような恰好で、受験勉強に身が入らなくなった頃から、僕は美術室に逃げ込むようになった。美術部からは引退していたけれど、特に誰からも何も言われなかった。僕はそこで、やはり漠然と、明日菜にプレゼントする、というアイデアを思いつき、それを高校生活の集大成にする、という意気込みを加えた。

そうやって何かしらに勢いを着ける反動で、滞っている受験勉強への集中力を取り戻す、という言い訳を含ませていたけれど、あまり効果はなかった。結局、絵を描くのには熱中したけれど、今になっても受験勉強にそれが貢献したかどうかは疑問符がついたままだった。

それでも、僕は明日菜に渡すことが出来る絵を描き上げられたことには素直に満足していた。

 

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