話の最後に、タッチャン自身は、僕らの親父を評して、孤高の人みたいだった、と言った。僕らは思わず吹き出したけれど、それをあからさまに否定できるほど、自分達が親父の全てを知っていた、という確証もなかった。

親父は長く大手の製鉄会社で経理をやっていて、とにかく、普通に質素でほんの少し融通が利かない所があって、僕の目にはおもしろみのない人生、という風に映っていた。酒もたしなむ程度で、それほど好きでもなかったようだし、どことなく、僕らとの距離も測りかねているような、孤独な人だった。仕事場では信頼が厚く、後輩にも慕われているみたいだったけど、家では寡黙でとにかく大人しい印象しかなかった。

休みの日は、時々ゴルフに出かけたり、後輩達と釣りに出かけたり、そういう当たり障りのない趣味を持っていた。一方で、僕らにも口うるさく何かを言ったことはなく、そういうのはお袋の役目だった。

だから、衝突することもなかった代わりに、例えば一緒に酒を飲むとか、家族旅行に出かけるとか、そういうことも少なかった。

きっと、そういうことはこれからのことなんだろう、と僕は思っていた。ちょうど七夕が産まれて、時々一緒に写っている写真が送られてきたけれど、その笑顔を見ていると、そろそろ僕も落ち着いて、新たな家族のリレーを繋ぐ時だと思い始めていた。

その矢先に、両親は亡くなった。僕は、その機会を永遠に失ったのだ。それは誰のせいでもなく、きっと僕自身のせいだと、僕は思っている。僕がわがまま気ままをやっているウチに、機を逸したのだ。

妹はその点、まだ僕よりはずっと長く家にいて、きっと親父やお袋と、家族の時間を紡いできただろう。どことなく、妹に感じるコンプレックスは、その普通なら当たり前のこと、に由来している。更に、妹は新たな家族のリレーを、ひとたびは体裁を整えたのだから、僕よりはずっと、親孝行だったと思う。

ただ、それがやはり崩れ去ったことで、妹は何らかの、負債のようなものを両親というより、家族というものの姿に対して、抱いている気がする。そういうことを含めて、今の妹がいるんだと、僕は思っている。

 

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