「父さんも、確かに長男で音楽とか踊りより、勉強だったみたいだけど、でもほら、今年の法事の時にタッチャンが言ってたろ?」

父さんは、あの年代の人には珍しく、大学に入っている。だけど、一年も経たずして中退した、と訊いた。僕はその事実だけは知っているのに、詳しく訊いたことはない。それを、今年の夏、意外な所から訊かされたのだ。

「アタシも初めて知ったんだけど、ウチの父さんって、しばらく放蕩していた時期があったんだとよ」

妹は、そう明日菜ちゃんに向かっていった。そして、ホント血は争えないだろ?と言った。

法事の時、僕ら兄妹と、タッチャンと、その子供達で、七輪を囲んでいる時にふと、叔父さんが、と言い始めた。タッチャンの言う叔父さんとは、僕らの父親のことだ。

タッチャンの父親は、兄弟の中の一番末っ子で、僕らの父さんは長男だった。ずいぶんと歳が離れているからなのか、兄弟の中で一番、二人は親密だったらしい。ちょうどオヤジが大学に入った頃、タッチャンの父さんは小学校に入ったばかり。仲がよい、というよりは、あの時代のことだから面倒を見てやっていた、というのが正確かもしれない。

だから、他の兄妹よりもずっと、タッチャンの父親はオヤジのことをよく知っていた。残念ながら、タッチャンの父親は、ずいぶん早くに体を壊して亡くなったのだけど。

叔父さんは大学を辞めてから、日本をあちこち旅して廻っていたんだって、とタッチャンは言った。当然僕らはそのことを知っているものと、タッチャンは話題に上らせたのだけど、僕らは全くそんなことは知らなかった。今となっては、お袋も、そのことを知っていたのか知らなかったのか、確認する術はない。

逆に僕らは、トウモロコシを囓る手を止めて、タッチャンを質問攻めにした。オレも親父にちょっと訊いただけだから、よく知らないけど、ととりあえず知っている範囲の話をしてくれたのだけど、結局、大学を辞めて家を出た所と、一年ほどして家に帰ってきた所を覚えているだけで、その間に何処で何をしていたのかまでは、知らなかった。親父もその辺は、はっきりとは喋ったことはなかったらしい。

それこそ、親父のみぞ知る、全くの謎になってしまった。

国内らしいけどね、とタッチャンは言ったけれど、根拠は曖昧だった。ただ、戦後復興の最中だから、そうあちこち自由に歩き回れたわけではなかっただろう。海外に行くなんてコトは、おそらく出来なかった時代だ。

「アタシはそれを聞いて、合点がいったね。ああ、やっぱり兄ちゃんは禿げるんだ、ってな」

妹は改めて、そう念を押した。

 

戻る 次へ