父親が腕時計を見た。そして、無理強いは出来ないからね、と誰にともなく言った。なんとなく、話はトモくんの思惑とは逆の方で落ち着きそうだった。悪ふざけ兄妹勝利、という言葉が浮かんで、一瞬にして萎えた。

「明日菜ちゃん」

体勢が決まりかけた所で、ニュースキャスターがまじめな顔をしていった。少し膝をかがめて、明日菜ちゃんの顔を見る。

「この間の話だけど、智朗は、あなたと一緒なら東京に出てもイイ、って云っているのよ。進路をそっち方面で考えてくれるって。もちろん、智朗が合格したらの話だし、あなたもそうなんだけど」

明日菜ちゃんが言っていた、将来の話だった。すでに大まかな話を聞いている僕は、訊いてはいけない話のような気がして、顔を背けた。ついでにトモくんを見る。彼は、明日菜ちゃんにも、母親にも背を向けて、ケータイをなにやら操作していた。それがわざとらしく見えたのは、僕の見間違いではないはずだ。

「条件付きだけど、智朗は東京で私たちと一緒に暮らしてくれることを承諾してくれたのよ。それは、あなたの御陰なの。とても感謝しているのよ」

明日菜ちゃんは無言のまま、ニュースキャスターを見つめていた。それは、本当は目を逸らしたいのに、無理矢理視線を吸われているように見えた。みるみるうちに、あからさまな困惑が、また明日菜ちゃんの顔の上に滲み始めた。

「私は・・・」

たまらず明日菜ちゃんが口を開いた。僕は思わず、顔を上げて彼女を見た。エ?言い返すの?

ニュースキャスターは柔和な笑顔で、少しだけ顔を傾けて明日菜ちゃんをのぞき込んでいる。

「私は何もしていません。私は私の下心で東京に行くだけです。トモも、ずっと私と一緒にいたいだけだと思います」

そうはっきり言って、明日菜ちゃんは俯いた。

「そうね、そうなのよね」

ニュースキャスターは、ひどく悲しそうな表情をした。笑顔は浮かべていたが、その色が深く沈む。それは紛れもなく、母親の顔だった。家族を営むものが一度は必ず経験する、無情に打ちひしがれて唖然とした後に浮かべる笑顔だった。

ああ、こうやって家族というものが、連綿と繋がっていくんだろうな、と僕はなんとなく思った。ニュースキャスター同様、震災の中で、唯一の希望を紡ぐように、家族へと回帰する風潮が産まれた。絆、という言葉が流行語のようになり、その基本型のように、家族という単位が見直され始めた。

ただ、なんでもそうなのだろうけれど、家族というものは一瞬で成るものではなく、時間が必要だ。一時凌ぎの逃げ場所ではない。その時間は想像以上に長く、また終わりが幸福に繋がるとも限らない。ほぼ間違いなく、ゴールには死が待っている。哀しみの中で、終わりを迎えるのだ。

ただ、家族はリレーを繰り返して、次の幸福の種をまく。種を蒔くために、多くのものを犠牲にする。

犠牲の上にその希望は成り立っているのだ。僕は今、その瞬間に立ち会ったのではないかという気がして、困惑していた。あっけなく、シリアスな時間がやってきて、音もなく静かに終わった。

気まずい空気の中で、僕らは沈黙にすがりついた。

 

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