「アタシ、昔、節分の日は急いで家に帰っていたんだよね。節分って、休みとかじゃないけど、一日学校が浮ついているじゃない?」

いつ頃の話だよ、と僕が訊くと、小学校、と妹は応える。

「給食で袋入りの煎り豆が出たりとか、なんか一日、節分だっただろ?でも、アタシ母さんに、言われてたんだ。節分の日は、5時までに帰らないと鬼が出る、って。それで、急いで帰ってたんだよ。たまに、学校で遊んでてギリギリになって、もう命からがら走って帰ったことがある」

ああ、それ、オレも同じだ、と僕が言うと、そうだったろ?と妹は身を乗り出す。

でも、いい加減だよな、と続ける。

「鬼に捕まえられるとか、鬼に喰われるとかじゃなく、鬼が出る、だけなんだよな。出るぐらいなら、まぁ、今ならいるな、ぐらいで済むし、ケータイで写メとかになるんだろうけど、あの頃は、出るのが怖かった。幽霊とも違う、変な怖さが鬼にはあったんだよな」

じいちゃんも怖かったけどな、と僕が言うと、ああそうだ、そうだ、といってキャッキャと笑う。

「その頃は怖いものがいっぱいあった。なぜなんだろう?今も、怖いものはいっぱいあるはずなのに、昔怖かったものって、今でも怖いのって幽霊ぐらいだなぁ」

妹はそういうと、バタッ、とシートに凭れた。明日菜ちゃんはまたフロントガラスの方を向いて、怖いものかぁ、と独り言を言った。

本当に、鬼やお化けみたいな得体の知れないものを怖がらなくなったのはいつ頃からなのだろう。それよりも、今はずっと、現実にあるモノの方が怖い。目の前に形となって現れるもののせいで、その陰に隠れてしまった怖さが、自ずと隅に追いやることが出来ているのかもしれない。

ただ、怖さ、というもの自身は、いっこうに消えない。手を変え品を変え、大人になっても怖さは募る。怖さから逃れるように、僕らは文明を発展させてきたのかもしれない。電気や車はそういった意味では、怖さをしのぐ武器なのだ。

その武器に兵士を乗せて、とそんなふうに想像して、ルームミラーを見ると、妹はすっかりシートに横になっていた。変えたばかりのスマホのほのかな明かりが見えた。

 

戻る 次へ