「切ないね、って云ったんだ。確かに、悲しいニュースだよな、とオレは返したんだけど、アイツはオレの顔をずっと見たまま、七夕が、って話し始めた。

もし、七夕が、あんな風に学校で津波に飲まれても、アタシは何も出来ないんだよな、って。助けることはおろか、探すことも出来ないし、それどころか、七夕がどうなったのかすら、最後まで教えてももらえないかもしれない。結局、心配することしか出来ないんだよな。本当に、こういう時に何も出来ないんだよな、ってね。

それで、また静かに泣き始めたんだけど、オレもその涙はけっこう堪えたよ。あんなの初めてだな。本当言うと、幼い子が犠牲になる事件って、これまでにいくつも接していた気がするんだけど、あんまり実感がないというか、被害者よりもずっと、加害者の方ばっかり注目しちゃってた。

オレはもう、小さい頃の七夕しか覚えてなくて、でも、あの幼い七夕が、泣き叫んでいるのを想像すると、もう居たたまれなくて、どうしようもなくて、思わずオレも、妹と一緒になって泣きそうになったんだよ。本当に、あんなのは初めてだった」

例えば、明日菜ちゃんの傷が癒えてゆくように、妹が変わってゆくように、僕の中でも、七夕は次第に薄れ始めているのは事実だ。だけど、時々、まざまざと実感を伴って目の前に蘇ることもある。それが震災の夜だったり、ついさっき、妹がトウモロコシを焼いている様子を見ているときだったり。

ただ、それを、僕も妹も、きっと同じように感じているのに、口には出さない。口に出すのは特別な時、という暗黙の了解があるわけでもないはずなのに、僕は七夕のことを思い出すこと自体を、いつしかタブーにしようとしていた。それはなんだか、自分でやっていて、ひどく悲しいことに思えた。

「でも、妹がそうやって、少しずつでも行ったり戻ったりしながら、七夕との距離に収まりを付けている気がして、時々きっと、隠れて泣いてたりしていたのかな、とか思うと、それもまたなんとなくやりきれなくて」

「今はどうなんですか?」

明日菜ちゃんはそう訊いた。確かに、今はどうなんだろう。

僕はしばらく、考えた。

「今でも、一緒だな。現実には妹のことしか見えないのは当たり前だけど、どうしたって七夕の面影は切り離せない、そんな気がする」

僕自身、もう一度七夕に逢いたいけれど、では、七夕と逢えることと、妹がまた七夕との生活を取り戻すことと、夢が叶うなら、どちらが嬉しいのだろう?あるいは、そのいずれかを選択しなければいけないのだったら、僕は素直に妹の幸福のために、諦めることが出来るのだろうか?

結局、それが絆、というものの重さなんだろうな、と思う。

 

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