「七夕の話をしたのは、あの震災の時以来だなぁ」

僕は、明日菜ちゃんの傷跡を見て思い出した。僕の中で、ほぼ、震災直後の印象は、妹が、離ればなれになって以来、初めて七夕の話をした光景とぴったり重なっている。それはきっと、妹にもあの時皆が感じた、不安というものが襲っていて、それがいつもはひた隠しに隠していた鍵の着いた箱を、思わず開けてしまったんだと思う。

「トモくんから電話がある、ちょっと前だったんだよ」

つまり、明日菜ちゃんが階段を転げ落ちた時と、ほとんど同じ時間だと思う。

「今日は、その日以来初めて、七夕の話をちゃんとした気がする」

僕がそんなふうに言うと、少しほぐれた明日菜ちゃんの顔がまた、翳った。

「やっぱり、触れちゃいけないことだったのかな」

そういって、俯いたけれど、僕は、そういうモノでもないんだよ、と慰めた。

「今日は笑って、でもないけど、普通に七夕の話をしていた。思い出話というか、懐かしい同級生の話みたいに、聞こえたな。

でも、震災の時は、アイツ、泣いたんだよ」

僕はそう言って、妹の背中を見た。僕とそれほど背の高さの変わらない妹は、農作業着のおばさんを見下ろすようにして、自転車のカゴに手を置いて、時々笑いながら話をしている。その全身の何処にも、力が入っていないような気がする。肩の緊張が抜けて、自然に、素直に笑っている気がした。

「被災地のどこかの小学校で、たくさん小学生が津波に飲まれた、っていうニュースがあっただろ?あれを見ていた時だった。それまで妹も俺も、テレビを見ていてもほとんど無言で、時々あっ、とか、えっとか、声を出す程度だったんだけど、それでも、急に妹の様子がおかしくなったのに気がついたんだ。テレビをじっと見つめて、動かなくなったというか」

その時も、僕は妹の背中を見ていて、その変化に気付いたのだった。

「しばらくしたら、小さなすすり泣く声が聞こえたんだ。テレビからじゃなく、それは紛れもなくアイツの泣き声だったんだ。それには、ちょっとびっくりして、まぁ、震災の報道はどれも、悲しい話ばっかりだったし、ああぁ、明日菜ちゃんも悲鳴ばっかりになった、って云ってたけど、確かにそんな感じになってたからね。アイツもけっこう、情に厚いんだ、とか思って、本当はちょっとびっくりしたんだよ。そんなキャラじゃないのに、って」

すると、妹は、静かに、僕の方を向いた。拭いもせず、妹は目から溢れる涙の跡を、いくつも頬に刻んで、僕を見た。妹の泣き顔を見たのも、やはりあの裁判が終結した後の暗黒の時間以来かもしれない。

 

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