翌日、仕事が終わってから見舞いに訪れると、行き違いで退院していて、僕は彼女の家に向かった。いつも、レッスンが終わってから、家までは車で送ってゆくのだけど、玄関の戸を開けて中に入ったのはその日が初めてだった。 もう兄も父親も、それぞれの職場に戻っていて、家には頭に包帯をぐるぐる巻いた明日菜ちゃんと、母親しかいなかった。二人がもてなしてくれたリビングのテレビでは、やはり震災の報道が続いていた。 三針ほど縫った明日菜ちゃんの口から、やっと詳細な経緯を聞くことが出来たのだけど、やはり、怪我の原因に、震災は影を落としていた。 明日菜ちゃんは前日、トモくんとデートした話を始めた。 「原発とかで、外に出て大丈夫かな、とか言いながら逢ったんだけど、なんとなく、何も変わらない風景なのに、明らかに昨日とは違うっていう現実が、全然理解できなくって、戸惑うね、っていう感じの話ばっかりしてて。テレビでしか震災のこととかもわからないのに、一晩中やっててもほとんど同じ話ばかりだし、一方で原発の話は、わからないことだらけでそれも不安なばっかりで」 明日菜ちゃんは気になるのか、時々包帯の感触を確かめるように、額を撫でた。一方の僕は、明日菜ちゃんが着ているピンク色のパジャマが、ひどく気になっていた。フリース地の暖かそうなパジャマの裾から、無防備な下着がチラチラと見え隠れしていた。 「それでも、時間が経つに連れて、なんというか変化がなだらかになってきて、わからないことはわからないまま、わかっていることは嫌なぐらい繰り返す、っていう風になってて、先が見えないのに不安だけが残るみたいな感じで。そうしたら、パパもお兄ちゃんもみんな帰ってきて、それは嬉しかったんだけど、みんな震災で不安になって顔を見に来た感じで、それもなんか特別なことで、不思議な感じがして。 そうしたらテレビの報道が、だんだん生活支援とか、人命救助のドラマ、みたいになってきて、そのうちそういう報道ってみんな、なんというか、人間の悲鳴みたいに聞こえて、居たたまれないなぁ、と思い始めたら怖くなっちゃって。それで、トモに電話したんだけど、急に気分が悪くなって、それで吐こうと思って一階に降りようとしたら、気を失って、目が覚めたら倒れてた」 もう、大きな音がしたから本当にこっちはびっくりしたのよ、と母親が後を継いだ。へへへ、とばつが悪そうに、明日菜ちゃんは笑った。だけど、まだなんとなく瞳の奥に不安のくすぶりがほのかに見えていた。僕もその、肌を刺すほどの実感がないのに、ひたすら不安ばかりが募っていく居たたまれない時間には、共感していた。まだ十代の、感性の鋭敏な時期の明日菜ちゃんなら、尚更だろうと思った。 僕らは報道を信じるほかにないんだけど、そこで伝えられるのは、やりきれない不安の種しか見いだせなかった。実感のなさが、こんなにも残酷なことだとは、僕は初めて知った。 不安、という共通の感情だけを、おそらく日本中の人々が共感したはずだ、と思った。 ストレスが大きな原因ですけど、と担当の医師には言われたそうだが、怪我したこと自体は検査では何も異常はなかった、らしい。抜糸まではおとなしくして、勧められたカウンセリングを受けることにした、という明日菜ちゃんに、僕は無事でよかった、ということだけ伝えて、僕はその足でトモくんの家に向かった。
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