転げ落ちる直前、明日菜ちゃんは彼氏のトモくんと電話で話していた。電話口で急に、調子が悪い、と言い出し、ちょっと吐きそう、と告げた次の瞬間、トモくんは電話の向こうでかなり大きな物音を聞いた。バタバタという音と、ケータイが転がるカラカラした音がして、程なく、どうした、と彼女の父親の声がした。それからはひどく緊迫したやりとりが続いて、救急車、という声がした途端に電話が切れた。

トモくんは、何が起こったかわからないまま、家を飛び出し、自転車で明日菜ちゃんの家まで駆けた。自転車をこぎながら、気が動転したのか、彼は僕に電話をかけてきた。ケータイの番号を遣り取りしたのはまだ二人でギターのレッスンをしていた頃だけど、彼が電話を掛けてきたのは、その時が初めてで、結局今となっては唯一の機会だった。

明日菜が大変なんです、とひどく興奮した様子で、ケータイの向こうでガナッた。

僕はちょうど、リビングの大型テレビで、妹と震災の報道をじっと見ていた最中だった。いつもなら、テレビは別々だけど、震災からずっと、気がつくとそこで二人でニュースに釘付けになっていた。その最中に彼は僕のケータイを鳴らしてきたのだ。

連絡を受けたがいっこうに詳細は不明で、訳がわからず、とにかく車の用意をして明日菜ちゃんの家に出かける準備をしていた。すると、またトモくんから電話がかかってきて、明日菜ちゃんがすぐ近くの総合病院に運ばれた、と告げた。

救急外来の待合いで、僕はトモくんと会った。ひどく狼狽した様子で、僕は一緒について来た妹に明日菜ちゃんの所在を任せて、二人して椅子に腰掛けて彼を落ち着かせた。待合室の自動販売機で買った缶ジュースを飲んで、少し我に返った彼に、ようやくここに来るまでのいきさつを聞くことが出来た。

ちょうどその時、妹が受付から戻ってきて、今レントゲンとか撮っているらしい、と告げにきた。

その内に、待合いには、明日菜ちゃんの兄が、顔を見せた。彼は、一号の彼女ユキちゃんの大学の先輩で、そもそも彼からユキちゃん経由で、僕は明日菜ちゃんのギターの先生になったのだが、逢うのは初めてだった。

どうでした?と矢継ぎ早にトモくんは兄に食らいつき、兄は一つ一つ、穏やかな笑顔を浮かべて、応対していた。必ず言葉の最期にはたいしたこと無いから、と付け加えてトモくんをなだめた。その物腰を見て、僕よりもずっと落ち着いた好青年だな、と思った。

 

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