そのうちに妹は菜園の隅まで水をやり終わると、庭にホースを投げて、勝手口の傍らの蛇口へと小走りに駆けた。キュキュッ、と音がして、やがてホースは勢いを無くした。ザラザラと土の音をこすらせて、妹はホースをたぐり寄せると、蛇口に丸めて引っかけた。

勝手口の向こうにブチクロがいるのか、妹はそっちの方を向いて舌を鳴らす。僕らからは影になって見えなかった。

気が済んだように、妹は縁台まで戻ってきた。ビーチサンダルの底が濡れて、勝手口から軒下を伝って続くコンクリートに足跡が連なる。

妹は、明日菜ちゃんの隣に腰掛けた。一段落したように、腕を空に延ばして伸びをする。そうしてから、背中をサッシの桟に当てて凭れた。

「この庭で、最初にたき火をしたのは、焼き芋を焼いた時だったな」

妹は視線を庭に向けたまま、そう言った。

「その時には、アタシには子供がいたんだ。どうしようもない旦那の子供だったけど、アタシの子供だった」

その言葉に、明日菜ちゃんは沈鬱な表情で、妹を見やった。

「そんな悲しい顔しなくてもイイよ。別に死んだわけでも、なんでもなく、今はココにいないだけ。まぁ、これから二度と会うことはないと思うけどね」

「逢えないんですか?」

妹は頷いた。むこうに盗られちゃったんだよ、と付け加える。

「でも、それももうずいぶん昔の話で、今頃何しているのかなんて、あんまり考えもしなくなった」

「逢いたいと、思わないんですか?」

明日菜ちゃんははっきりと、そう訊いた。僕は訊かなくてもわかっている、と思いつつ、確かめたことはないな、とふと気付く。

七夕が、と妹は言いかけて、子供の名前なんだけど、というと、明日菜ちゃんはカワイイ名前、とすぐさま反応した。

「アタシが付けたんだぜ。その七夕が、自分の意志を自由に出来るようになって、逢いに来たければ逢うよ。別にこっちにはなんの問題もない。

でもね、きっと今一緒にいる旦那とか、ジジイやババアにはお前のお母さんは、ひどい奴なんだよ、って云っていると思うんだ。七夕を捨てて出ていった、ぐらいは言うかもしれない。あいつらだったらやりかねない」

さすがにそれは被害妄想だと思ったけれど、でも、妹の想像にどことなく現実味があるのも事実だった。

「なんにしろ、アタシは無力で、離ればなれになったのは事実だから、それはもう謝るしかないよね。そんな時、がさつでさ、全然格好良くなくて、髪もボサボサで、そういうお母さんだったら、迷わないだろ?」

「迷う?」

明日菜ちゃんが問い返す。

「幻想というか、想像というか、生き別れのお母さんっていうのは、そういうドラマチックなもんだよ。でも、なんとなく、七夕が逢いに来た時の現実から、逸脱するような、戸惑わせるような存在でいるのは、嫌なんだ。なんとなくだけど、嫌だと思ったんだ。

ジジイやババアらが何を言ったとしても、だったらあいつらが思う母親になっていた方が、なんて言うのか、軋轢が少ないというのか、変にいい人だったら、迷うだろ?七夕はもう向こうの人間なんだから、そうだろ?」

逆に聞き返されて、明日菜ちゃんは戸惑いの表情を浮かべた。それは当然の反応だと思う。傍らで聞いている、当事者の一部であるはずの僕でさえ、当惑している。

「母親はひどい人だった、って育てられたんだから、ひどい母親でいてやった方が、イイってことだよ」

そうは思わない?と問われて、明日菜ちゃんは、俯いた。

 

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