妹は、満遍なく菜園に水をやる。水滴は植わっている野菜や花の葉に落ち、反動で跳ねて辺りにうっすらとした霧を作る。日射しの加減、水しぶきの方向によって、時々虹が浮かんで、すぐに消えた。凪の時刻、風は止まっていた。

考えてみれば、その菜園になっている花壇も、七夕と一緒に作ったようなものだ。庭でする遊びは、例えば花壇の周りに煉瓦を並べたり、畝を作って花の種を植えたり、そういうことが主だった。砂場を作ろう、とか、プールを作ろう、という話はしていたけれど、先送りになっているうちに、七夕はいなくなってしまった。

その菜園に植わっているものも、もうずいぶんと変わってしまった。昔はもっと、花が多かった。今は、野菜とか実用的なモノが多い。今咲いている花は、隅でもうしなびてしまっているひまわりぐらいだ。

妹の水やりは、もしかすると、その瞬間だけ、七夕のことを思いやっている時間なのかもしれない、と最近になって思う。なぜに無言で、また時を選ぶのか。その理由が、七夕との別離と未練になんとなく重なる。

だからといって咎めることでもない。妹がそれでいいのならば、僕は見守るだけだ。

僕も明日菜ちゃんも、何も言わずに妹の背中を追っていた。皿の上のトウモロコシは、すっかり冷めてしまった。

我に返って僕はそれを手に持った。口を付けると、しょっぱい汁が果汁とともに弾けた。中はまだほんのり暖かく、甘い。

 

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