妹はそれから、新しい自分、というものを確立していった。今では、ジャージの上下で、キッチンテーブルに片膝を立てて座り、テレビのお笑い番組に爆笑している妹が、すっかり板に付いてしまった。

それでも結局、妹は妹で、たぶん妹の中にあった、今までは隠していたある部分が、突出して表に現れただけなのだろう、と思う。七夕といる頃の自分を、忘れるためか、消し去るためかはわからないが、その頃とは違う自分、として選択した自分になったのだろう。

僕ら兄妹の母親も、考えてみればかなりいい加減でおおざっぱな人で、豪快、とまではいかないけれど、今の妹にどこか似ている気はする。細かいことは気にしない、というようなところが、やはり女同士、血を受け継いでるのかとも思う。

そうやって、妹が変わっていくに連れて、七夕のことは、哀しみからは完全に乾ききった。それは、僕も、一号も、そして妹もきっと同じなんだろうと思う。だけど、七夕のことを考えて悲しむことはもうなくなったけれど、忘れたわけではない。

妹が七夕の痕跡を、片っ端から燃やしてしまったので、今は家の中をどう探しても、七夕がいたことすら不思議に思える。でも、そこに重なる不透明のレイヤーのように、存在の残骸は、僕らの中に刻まれたまま消えなかった。

悲しい別れを、せめて忘れない、という頑なな抵抗で、自分を納得させているのかもしれない。目に見えない記憶という代物で、七夕を封印している、少なくとも、僕は、そんなふうに思っていた。

一年もすると、妹も僕も落ち着き、そして、一号はユキちゃんを見つけて、この家を出ていった。引っ越しの片づけをしている時に、一号は、妹はもう大丈夫だと思うから、出ていく決心が着いたんだ、と僕に言った。

それからずいぶんと年月が経った。七夕はいったいいくつになったんだろうか?

 

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