それから、いきなり泥沼の法廷闘争に滑り込んだ。僕らには裁判の知識も、また親身になってくれる専門家の知己もなく、弁護士協会に紹介してもらった弁護士も、頼りなさそうで、明らかに分が悪かった。生活や、人生とは関係なく、裁判の手続きや法廷テクニック、みたいなことばかりが先行して、妹は翻弄され続けた。

向こうはそういう意味では、用意周到で、東京から専門の弁護士と、助手をぞろぞろ連れて難しい言葉や、法律を並べて妹を圧倒した。僕は親族でも、やはり部外者らしく、裁判からは締め出された。

日に日にやつれてゆく妹を見るのはつらかった。だけど、諦めろ、とも言えず、ただ見守るだけしかできなかった。こういう時に、生活能力に長けた一号は、まだ家事を受け持って妹を支えたが、僕には兄妹、ということ以上に何も出来なかった。職場や、少ない知人を頼っても、それほど妹のためになるようなことは出来なかった。

何より、七夕がいなくなった家は、空き家のように静かだった。僕にとっても、七夕の存在はもう、家族だった。

うなだれたまま食卓でぼんやりしている妹に、何も出来ずに一人、二階に上がって僕自身も漠然と七夕のことを考えていると、高校を卒業して、プイッと名古屋に行ったきり、ほとんど帰省もせず、家族というものをないがしろにしてきた報いなのかな、思ったりした。両親が死んだ時、そのことを、他の人に責められて反発した。だけれど、例えば食卓の隅に置かれた、背の高い七夕専用の椅子を見るたびに、自らその思いに囚われて、悔しい想いをした。

こういう時は神頼みしかないのかな、なんて考えて、余りの現実味のなさに、一層自分の無力さを募らせた。

妹は最終的に、何もかも放棄して、七夕と一緒にさえ居られればいい、と涙ながらに訴えたが、それも却下された。最後の裁判のあと、高松から帰る車の中で、妹はひたすら泣き続けた。直前からもう敗色濃厚で、半ば諦めていたのだけど、妹は悔しそうに人目も憚らず、ワンワン泣いた。

そして家について、やっと落ち着いた妹は、泣きはらして真っ赤になった目を、何処を見るともなくぼんやりと宙に浮かせて、小さな声で呟いた。

最後に、サヨナラだけでも言いたかった。

それは僕も同じだった。一号も同じことを、僕に言った。みんな同じ思いだった。

そしてそれは、余りにも、余りにも、つらい現実だった。七夕がいなくなったことを、サヨナラが言えなかったことが何より象徴していた。僕らは、全くの無力を思い知って、ただ、悲しみに暮れるしかなかった。

その夜、僕は自分の部屋のベッドに突っ伏して、初めて声を出して泣いた。

 

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