結局、僕は七夕を玩具のように扱っていたのかもしれない。躾とか、例えば、危ないから手を放れて走り出しちゃいけないよ、とか、その程度のことなら言えたけれど、もっと長いスパンの、将来を見据えた教育なんて、僕にはきっと無理だと思っていた。だから、僕は七夕と一緒に、玩具になれればいい、と思っていた。遊び相手でイイ、そう思っていた。

ただ、それが良い印象を植え付ける、とかそういう見返りを期待していたつもりも全くなかった。ただ、七夕が愛おしく、そして一緒にいるのが楽しかったのだ。思えば、自分こそ、そういうなんの思惑もなく、なんの疑いもなく存在を一心に受け止めようと思えるのは、きっとその頃七夕だけだったと思う。

でも、そんな共同生活は、やがて結末を迎える。やはり、サヨナラは準備されていたのかもしれない。それがいつの時点だったかは、考えても仕方がない。

 

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