七夕を連れてうちに逃げ込んできた頃の妹は、普通に母親だった。何処にでもいる、お母さんだった。

一号という他人が同居していたせいもあるかもしれないが、妹は家の中でも、身なりはそれなりに整えていた。ラフ、といってもジーンズにポロシャツだったし、朝はお肌の手入れと、申し訳程度の化粧はしていた。時々はファッション雑誌のコスメ特集を熱心に読み耽ったり、ダイエットに取り組んだりしていた。言葉遣いも、七夕のために、と正しい日本語、みたいな本を読んで、努めて気を遣っていた。優しさと、厳しさを不器用でも使い分けて、七夕と接している姿は、何処から見ても母親の姿だった。

だから時々、七夕を抱いて二階に連れて上がり、僕の部屋にあるパソコンの前で、足を投げ出したその腹の上に七夕を乗せて、キーボードをカチャカチャとむやみやたらに叩かせて遊ばせているのを見ると、妹は難しい顔をして僕をたしなめた。触っていいものといけないものを躾るとかなんとか。あと、腹の上に乗せてポコポコと揺すぶっているだらしない姿が気に入らなかったらしい。

ちゃんと歩けるようになると、散歩が習慣みたいになり、僕はあぜ道の雑草や、公園の木に張り付いている虫なんかを、これは食べ物だから、母さんに持っていくと喜ぶぞ、と言って、時々はそれを掴ませたりした。

ある日、妹が血相変えて二階の僕の部屋に怒鳴り込んできた。なんでも七夕と庭で遊んでいると、隣の田圃にずかずかと入っていったらしい。そして青々と茂る稲の根本に産み付けられたジャンボタニシの、毒々しいまでにピンク色の卵を獲ろうとしたのだ。あわてて妹が止めて、泥まみれの七夕を風呂場まで連れて行き洗いながら訊いたところ、それはお母さんの大好物だ、と僕が言ったことを白状した。

「兄ちゃん、子供はけっこういろんなことを覚えているものなんだよ。ちょっとは言葉に気を遣ってよ」

憤懣やるかたない妹の顔に、僕は何度も頭を下げて事なきを得たが、でも、僕のそういう悪癖はあまり変わらなかった。それを素直に訊く七夕が、堪らなく愛おしかったのだ。

たぶん、その頃、僕の話をなんの疑いもなく、じっと目を見据えて訊いてくれる女の子なんて、七夕以外にはいなかったはずなのだから。

 

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