僕は仕事が休みの日、土曜日の昼下がりなんか、よく七夕を連れて散歩に出た。七夕を抱いて、田圃の間のあぜ道を歩いたり、町中の公園へ赴いたりした。時々はその役割が一号に移ったりもした。一号はよく、散歩の最中に七夕に歌を教えていた。

思えばその頃、なんの魂胆もなく、純粋な笑顔を僕に向けてくれる女の子は、七夕ぐらいしかいなかったんじゃないか、と思う。飼い猫にすらそっぽを向かれたことのある僕に、七夕は無償の笑顔をいつもくれた。僕が家に帰ると、決まって覚束ない足取りで玄関まで迎えに来てくれた。そのうち、ただいま、というと、七夕もただいま、というようになり、僕は子供の成長に初めて、感動を覚えた。

言葉を身に付け始めると、いつの間にか七夕は僕のことを、兄ちゃん、と呼ぶようになった。きっとそれは妹が僕のことを、兄ちゃんと呼んでいるせいで、それを素直に真似したのだろう。その頃は、一号までが僕を兄ちゃんと呼んでからかった。

それでも、僕はお風呂に入れるとか、車に乗せるというようなことは絶対にしなかった。それは全部妹に任せた。なぜなら、僕は万が一の責任を、さすがに妹の代わりに取るほどの勇気がなかったから。あくまでも僕は、七夕の遊び相手で、七夕の親は、妹なのだ。その線引きはきっちりと付けないと、なし崩しに逸脱して七夕にもしものことがあったら、それはきっと、悔やんでも悔やみきれないに違いない、と自分を堅く戒めた。

当然、妹もその辺は、了解していて、僕に任せられる範囲で七夕を預けた。

そうしているうちに、七夕はすくすくと成長していった。

 

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