ただ、その葬儀は、妹にとってもきっかけになった。

仕事が忙しい、とか何とか言って、旦那は通夜の間に一度だけ顔を見せたきり、岡山に帰ってしまった。旦那以外の向こうの親族は、誰一人として現れなかった。申し訳程度の豪華な花輪は並んでいたが、別れの場に姿を見せた者はいなかった。その時点で口うるさい叔父さんなどは、妹に詰め寄ったりしていたけれど、何とか取りなして、その場は納めた。

後で露見することになるのだけど、旦那はその日急いで帰ったのは、他の女に会うためだったらしい。昔の同級生とからしいが、詳しくは知らない。でも、その不義理が見る見る大きくなって、離婚の話になり、何度かの大げんかの後、妹は家を出た。

当然、七夕も一緒に連れてきた。ほとんど同じ時期に、僕は一号を連れて香川に帰ってきた。

それから妹と、七夕と、僕と、一号の共同生活が始まった。

その頃には、七夕はもう、何かに捕まっては部屋のあちこちを歩き出していて、よく転んで泣いていた。そして、僕と一号と妹が、一緒に何か話していると、その輪に加わりたくて、アウアウ何か言うようになっていた。

僕はすぐに、叔父さんの紹介で今の電気設備の会社に就職して、一号も宇多津の老人ホームの職を見つけた。妹は七夕の面倒にかかりきりで、おまけに僕や一号の食事の世話まで見るハメになった。

それでも、僕らはけっこう楽しく、毎日を過ごした。七夕は、いつもその中心だった。

 

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