バンドに明け暮れていた僕が名古屋からこっちに帰ってきた時、ちょうど妹は離婚の話し合いがこじれて同じようにこの家に戻っていた。

妹は、高校を卒業してからいくつかの職場で、事務や経理の仕事に就いていて、二十代後半になって岡山に本社のある事務器を扱う会社の支店に就職した。そこの支店長というのが、社長の一人息子で、程なく妹は見初められて、結局出来ちゃった結婚した。

妹はともかく、旦那の方はそれほど真剣に交際を考えていたわけでもなかったらしく、その結婚は、いわばスタートラインから漠然とした不幸が漂っていた。それでも、初めての子供を授かった妹は、精一杯母親になる準備に心を弾ませていた。僕は結婚式に出席するために、初めて今ある場所の家に帰ってきた。家を出る時に少し涙ぐんだけど、結婚式では妹は真っ白なウエディングドレスを着て、終始笑顔だった。イイ笑顔だな、と僕は思った。

結婚してすぐに、旦那は本社勤務となり、妹もそれに着いて岡山に引っ越した。そして、向こうで元気な女の子を産んだ。

その名前を付ける段になって、ちょっとした諍いが起こった。思えば、それが発端だったのかもしれない、と思うが、とにかく妹がどうしても付けたい、といった名前を、旦那の両親、特に姑が強硬に反対した。旦那はどっちでもイイ、という感じで協力的ではなく、結果気がつくと、新婚にして嫁姑戦争が巻き起こったわけである。

結局、半ば強引に妹は女の子に、七夕、という名前を付けた。7月7日に産まれたから、七夕。

確かに、それを聞いて僕も、ちょっと首を捻った。妹は自分の考えた名前だから、それは満足だろうけれど、本人が将来、例えば名前で虐められないか、心配になる。僕は、確かにカワイイ名前だけど、と前置きしたうえで、大丈夫なのか?と妹に尋ねた。

「そういうことも全部含めて、親として面倒見る覚悟で産んだんだから」

妹にそう言われて、僕はなんとなく、妹が僕ら家族から巣立ったんだな、と感動して、同時に寂しい気持ちに包まれた。

その後、両親が交通事故で突然亡くなって、葬儀の場所で僕は初めて、七夕に逢った。まだ掴まり立ちもままならない七夕は、僕に抱かれると、火がついたように泣きだした。それでも、なぜか僕は、その腕にかかる重さを愛しい、と思った。それまで、子供なんてめんどくさくて嫌いだったはずなのに、僕は葬儀の間、なるべく七夕の相手をした。

理由はたぶん、七夕の顔かたちが、妹の幼い頃に似ていたからだ。妹がまだ小さい頃、畳の上でオシャレをして無垢な笑顔でこちらを見ている写真が残っていて、その時の顔に、七夕はそっくりだった。僕ら家族は、みんながみんな、なんとなく似ていて、それは明日菜ちゃんが指摘したとおりだ。つまり、七夕は、妹夫婦の子供というよりは、ずっと僕らの家系の血を引いている気がしたのだ。

滞りなく全てを済ませて、また名古屋に戻る時には、すっかり馴れて逆に今度は別れるのがつらい、と泣かれる始末だった。小さな手の平を精一杯延ばして、離れたくないと声と全身で表現するする七夕の姿を見て、僕の中に、こっちに帰ってきても好いかな、という想いがよぎった。こんなにも、無条件の愛を注ぎ込みたくなる存在が、これから帰る場所にあるのだろうか、と疑問に思ったのだった。

 

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