僕は最近、時々思う。彼女の夜勤で、僕の休日がすっぽり空いた時などに、ふと考えるのだ。例えば僕らが結婚していたら、彼女は僕の家に帰ってきて、僕も彼女のいる家に帰ることになる。出会う場所や時間を調整したり、そういう手間を省くのに、一番いい方法が結婚なのかもしれない、なんて。

それが直接、結婚の動機というのは、いかがなもんだろうか?なんとなく打算な感じもするけれど、別にそれは、感情からかけ離れた所にあるわけではない。むしろ、感情の突出した欲求から来る、合理的な判断かもしれない。

だけど、結婚とか、男女の恋愛とかに、もっとロマンチックなモノを求めるのが、本来の姿だと言われれば、そういう結婚願望は、きっと非難の対象になるんだろう。

だったら一緒にいたいとか、好きという感情は、その延長で許されるセックスの願望と、何処で線引きされるのだろうか?一緒なのか、グラデーションでもその汽水域があって二つに分かれているモノなのか?

一番良いのは、そういうことを考えても、なんとなく濁すとか、隠すとか、することが一番の恋愛の秘訣なのかもしれない、と思う。そして、僕はモモちゃんにそれを実践している。ただ、なんとなく釈然としないモノを抱えたまま、モモちゃんを僕の生活のかなりの部分に引き込むのは、申し訳ない気がしていた。

だから、今のように妹に恋人が出来た、といわれると、確かにそう「だけど」の注釈が着いてしまう。もう年齢的にも、恋に有頂天になる歳でもない。その「だけど」は、ますます深刻になる気がしてならないのだ。

僕は、そこら辺の細かい感情を、かなり省略して、モモちゃんのことを、初めて明日菜ちゃんに話した。

「災い転じて、福と為す、ですね。先生好かったじゃないですか」

明日菜ちゃんがそう笑って僕に言う向こうで、妹がまた、フンッ、と鼻で笑った。

 

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