僕と妹が住む家は、田圃と畑が一面広がる中に、ぽつんと三軒ほどの住宅が集まっている。周囲にはその田圃や畑を挟んでぐるりを住宅街が連なっているのだけど、何故か、ココだけ盆地のように平らな茶色の大地がなだらかに広がっていて、その真ん中に孤島のように、僕の家を含めて三軒の民家がある。

北側には、ずっと行くと川が流れていて、その向こうにJRの駅がある。そっちには河に架かる橋に繋がる舗装された道路が通っていて、うちの家もそちらに面してコンクリートを打って、ヒサシのような屋根を誂えて車庫にしている。

一方の南側は、土がむき出しの庭になっている。その向こうには、水田がずっと続いていて、今は膝ぐらいまで成長した青い稲が、細長い葉先を伸ばしている。そことうちの庭を隔てるのは、小さなU字溝しかなく、少しうちの庭の方が高くなっているぐらいだ。

そもそも、この家は、僕が名古屋に住んでいる時に、なんの前触れもなく突然、引っ越した。本当に青天の霹靂で、引っ越しの連絡を受けた時に、場所を訊いても見当もつかなかった。その頃妹はもう結婚して、実家を出ていたから、本当に僕らにとって、この家には、住む以外の意味は残っていない。子供の頃の悲喜こもごもの思い出は全て、今は高速道路ののり面の下に埋まっている。

それでも、こっちに帰ってきてもう十年以上経って、この場所、この家にも一応の愛着は産まれていた。住む場所が変わっても、家族に歴史は刻まれる。両親は他界して、この家で一緒に住むことはなかったけれど、それでも、家族は脈々と、続いている。

その庭には、不格好な花壇というか、いろんなモノがごちゃごちゃと集まった菜園のような物が作られていた。庭を切り取るように煉瓦で囲まれてはいるが、土の中に突き刺しただけの、大雨でも降ればあっという間に流れてしまうような、不格好なモノだった。

花壇は両親が健在の頃からあって、その頃はまだマシだった記憶がある。それを結局妹が受け継いだのだけど、しばらくは世話もせずに、ほとんどそこに植わっていたモノを枯らしてしまった。

それが、今では妹の一応の趣味、みたいな感じで、まめに世話をしている。煉瓦を突き刺したのも妹で、そこにホームセンターで花だ、植木だ、野菜だ、と気が向いたモノを植え、種をまき、そして、一度は必ず枯らした。

それが何とか様になり始めたのは、ごく最近のことで、どうやら隣の田圃の世話をしている初老の夫婦と懇意になったらしい。どういうきっかけかは知らないが、時々、庭先で会話しているのを見かける。夫婦二人はもうおそらく還暦を過ぎていて、おっとりと作業をしているが、時々おばさんの方が、うちの庭に上がり込んで、あれをこうしろ、これをこっちに、とサジェスチョンしている。割に妹は、素直にそれに従っていて、時々、農協からもらった肥料とかを分けてもらってを、マスクをしながら巻いていたりしていた。

御陰で、庭は少しは庭らしく、季節が移ると彩りを変えて、それぞれに趣を主張し始めるようになった。香川に雪は降ることはないが、冬には冬の彩りを、花壇は伝える。夏の水まきに、早明浦の調子をいつも新聞で気にかける。

そういうなんでもないことが、最近は習慣になった。

 

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