アイドルって云えばさ、と僕は思わず口にして、しまったと思った。そのまま話を続けて濁そうかと思った刹那、妹の手が、スッと僕の前にガラスのボールを近づけてきた。

もう残り少ないのがまだ、救いだが、その片づけに僕は手を貸す。

「この間セッションした時に、ギターの先生が見に来てただろ?アニメの声優みたいな、カワイイ嫁さんを連れた、ボサボサ頭の人」

明日菜ちゃんは声に出さずに頷く。それはなかなか、いい手だ、ちくしょう。

「あの人、ついこの間まで、家にアイドルを連れていたんだって。ほら、ちょっと前に週刊誌をにぎわしたスキャンダルがあったじゃない?元彼が云々って奴。あの張本人を、こっちでかくまっていたらしいんだよ」

え?芸能人?と妹がめざとく、反応する。さっきのお返しに、今度は僕がガラスのボールを妹の目の前に差し出す。

「結局、九州に飛ばされて決着した奴な。あの娘、しばらくこっちにいたんだから驚くよな」

僕は、明日菜ちゃんの方を向いて話しているのに、反応が鋭いのは妹の方だった。

「せっかくならきみともキャンディにでも移籍すれば、おもしろかったのにな」

そのスキャンダルは、九州に飛ばされた、という表現がしっくり行くほどに、制裁に満ちていた。系列のグループへの移籍、という口実も、ただの大人の事情にしか見えなかった。制裁なら、もっと辺鄙な、地の果てと決まっている、ということを妹は云いたいらしい。

「兄ちゃん、そういう知り合いがいるなら、紹介してくれよ。その人、芸能人?」

僕は曖昧に頷く、一応な、と。また、ガラスのボールが動く。

「高松でギターの先生をやっている。俺よりはずっと、本格的だから、ギャラも高いよ。それで、東京でスタジオ・ミュージシャンもやっているらしい」

好く知らないけど、と付け加えて置いた。だが実際は、そのギターの先生とは、昔一緒のステージに立ったとことがある。件のキーボーディストの一番の親友で、当時はなかなかに名前の売れたハードロックなバンドのメンバーだった。僕はサポートメンバー、ということだったのだけど、初めて観客が詰まったライブハウス、というものを経験した。その頃の映像を、メンバーの誰かがおもしろがってネットにアップしていたのを見ると、炭の方で緊張にこわばっている僕の姿がちっちゃく映っていた。

そんな繋がりがまたそこで復活を遂げ、セッションを見学、という形で再会は果たされた。ただ、その日はキーボーディストは欠席していた。どうも、キーボーディストは、ワケがあって彼の奥さんとは顔を合わせられないらしい。その理由は、僕ははっきりとは知らない。ちなみに、奥さんは、そのハードロックなバンドの、ボーカリストだった女性だ。

「東京ねぇ」

またしみじみと、妹が云う。ボールの中身は、もう冷えた水がほとんどになった。製造者責任なのか、残りは、纏めて妹が箸で掬って、小鉢の中に放り込んだ。だが、それには手を付けず、しばらく眺めている。

明日菜ちゃんを見ると、なんとなく、ホッとした表情に見えた。僕も同感だ。

「東京って云えばサ、AKBに逢えるんだろ?」

 

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