「明日菜ちゃん、少し休んだら?」 あげく、僕は言う。一瞬、憮然としたような表情をしてから、彼女は一つ頷いて、手を置いた。ヘッドフォンを外して肩に挟むようにかける。僕はミキサーのフェーダーを動かして、ハードディスクに録音された音がスピーカから鳴るようにする。 彼女は自分でマウスを動かしながら、いくつかのフレーズをプレイバックする。聴いては次、聴いては次。だが、満足とは行かないらしい。 「それにしても、明日菜ちゃん、本当に上手くなったよね」 僕はほぐすつもりで、ちょっとしたご機嫌伺いをする。といっても、かなり本気の感想だ。確かに、テクニックはもうかなりのレベルに達している。 「あ、また音に心がない、って感じ?」 僕の裏を読む。少なくとも音に関して、彼女との付き合いは長い。そこら辺の互いの胸の内を読むのは、手慣れている。 「フレーズを組み上げてからなんだろうけれど、表情付けのアプローチからフレーズを作ってもいい気がするけど」 なかなか先生らしいアドバイスを言ったぞ、と自分で納得する。ただ、それはまた、彼女に難しい表情を戻させてしまった。 「まぁまぁ、リラックスして考えれば」 なんだか、結局いつも、このフレーズでごまかしている気もする。確かに、彼女の真剣さは眩しい。時には目がくらんで、こっちが酷く矮小に思えたりもする。自分にもこんな時期があって、そこを駆け抜けて今がある、と言い訳しそうになるけれど、本当にそうだろうか?と胸を張れない自分もいる。 いつからこの真摯さを忘れたのだろう?なんて考える時には、だいたい、そんなモノ最初から持ち合わせてなかったことが多い。気がついたら失っている、のではなく、手にするのを忘れていたのに気づくのだ。 時すでに遅し、が人生のほとんどなのだ、と最近よく思う。
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