去年の秋口に、一号の元にバンド参加の打診があった。一号は、僕となら参加する、というのを条件に出し、依頼したバンドの方と、僕を説得した。バンド側が快諾したのとは裏腹に、僕の方が渋った。でも、結局は、一号の説得に折れてバンドに参加することになった。

それと同時期に、全く偶然に、昔のバンド仲間から久しぶりに逢わないか、という話が舞い込んできた。偶々僕と一号が路上で演奏しているのを、見かけたらしい。彼らは律儀に、呼び込みをしているスナックに顔を出し、そして僕だと確認したらしい。

連絡してきたのは、高校時代に一緒にバンドをやったことのあるキーボーディストだった。

ちょうど、高校二年の夏休み前に、なんとなく外の世界が見たくて、僕は学校や近所の友人とは別に、全くなんの繋がりもない人達とバンドを組みたい、と思うようになった。不思議と僕の周りには、高校デビューのバンドマンが多くて、学校の中でもちょっと手を上げれば、すぐにバンドを組むことが出来た。

でも、それとは違う、全く別の世界で、自分のギターを試してみたくなったのだ。その時に、高松の商店街のハズレにあった楽器屋に貼ってあった、メンバー募集のチラシを通じて知り合ったのが、当時大学生だった、そのキーボーディストだった。

スタジオで何度か合わせたのは、僕よりは少し上の世代のハードロックばかりだったけれど、僕には新鮮で、且つ刺激的だった。充分に練習にもなったし、何よりそのキーボーディストが僕のささやかな冒険心を気に入ってくれて、いろんなコネクションを拡げてくれたのだった。

御陰で、武者修行、ではないが、いろんな人と演奏する機会に恵まれた。高校を卒業して、名古屋に引っ越すまで、僕はその人脈を中心に、活動を続けた。

 

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