彼女は僕のことを、先生と呼ぶ。ギターを習い始めた初日から、ずっとそうだ。彼女が「先生」と僕を呼ぶたびに、僕はなんだか背中がむず痒くなるような、不思議な感覚に襲われる。そんなふうに呼ぶのは、目の前の彼女と、彼女の彼氏以外には、いない。

ただ、そう呼ばれたら、何かもっともらしいことを彼女にしてやらないと、いけないような気になるから不思議だ。僕は彼女の先生として振る舞わないといけない、となんとなく思うのだ。

実際、彼女はもう、僕なんかよりはずっと上手だ。僕が弾けないフレーズも、だいたいはこなすようになっているし、本当はもうレッスンなんてする必要もないのだ。

だから、今は彼女のため、というよりは、もうすっかり僕自身のための時間になっている。彼女と二人で、なんとなく曲を作ったり、彼女のコピーする課題フレーズを、彼女に知られないうちにひっそり猛練習するためのきっかけとか、とりあえず衰えていく一方の指に気合いを入れるための、大事な目的になっているのだ。

そういう意味もあって、余計に僕は彼女の前で、先生たらんと欲しているのかもしれない。今更彼女に言い訳をするほど、元から威厳のようなものがあるわけでもないのだけど、もっと素直に、彼女に何かをしてあげられるとしたら、経験以外にないだろうな、と僕は思うのだ。

経験は、自然と人脈をもたらす。普通に生きて、音楽という趣味を持って、あきらめの悪い性分なら、自然といろんな人とバンドをこなすことになる。去年の冬、僕と一号は、あるバンドに誘われて極寒の高松冬の祭りのステージに立った。それも一号がきっかけの話だったのだが、また新しいメンバーと音楽を紡ぐことになったのだった。

その人脈のどこかに、彼女をそっと差し込む。それが僕に出来る唯一のことだろう。場数をこなすこと、その場を与えるのが、先生としての今の仕事なんだと、勝手に思っている。

つまり、もう僕はギターを弾くことで彼女に教えることなどほとんどないのだ。だから、だいたい彼女に課題を与えて、演奏するのを聴くのがほとんどだ。一応、ストラップを付けてストラトを肩にかけてはいるが、それは先生の印、みたいなモノだ。ラーメン屋の大将が腰に巻くエプロンと、そうたいして代わらない。時々は、手を付ける程度。

それに加えて、僕は今、更にギターを弾けなくなっている。

 

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