前を見ても後ろを振り返っても、長い長い人の列が続いていた。みな手首を縛られ、その縄を腰に巻き付けられて後に延ばし、そうやってひと続きに繋がっていた。顔を上げると、列はところどころで蛇行する。時々引っ張られるように横に揺さぶられる。見ると、列の途中で蹴り合い、殴り合いが始まっている。

それを列の傍をずっと行ったり来たりしている警官が、力任せに警棒で殴りつけている。そうすると列は元に戻るが、またどこかで同じ様な光景が現れ、またそちらに引きずられる。

引きずられ、殴られしている内に着ている服はボロボロになり、血がしみて悪臭を放ち始めていた。周囲にはその匂いと独特の刺々しい雰囲気が蔓延していた。

あの赤い部屋を出てからどれくらい経ったのだろうか。部屋を出ても、赤は私の視界の背景をずっと覆ったままだった。今度は赤い空気が周囲に立ちこめているが、それは濃密でどこかとげとげしく肌に触れてくる。ざらざらとした感触は空気のひと粒、ひと粒が角張っているような印象を与える。そんな空気が詰まっていても、視界は鮮明でより以上輪郭がはっきりとしていて、そこに繋がれた人の表情や身なりが、クッキリとわかりやすいほど認識出来る。

列を乱すイザコザは私も例外ではなかった。前後の者に何度も因縁を付けられ、私も殴られ、そして驚くことに、私も殴り返したり、蹴り返したりした。喧嘩の類いは、幼稚園の頃に何度かした記憶があるぐらいで、夫婦げんかさえ避けていた私が、因縁に対し悪態をつき、額を擦り合わせるようににらみ合い、手を出して、そして警棒で殴られた。

いつか偶々通りかかった男が言ったように、時間がいつまで経っても進まない。そのおかげで、殴られた痛みはいつまでも続いた。それが更に殺伐とした思いを増幅させる。

ついには今度は私から、前の男に因縁を付け、殴り合いになり、また警棒で殴られた。そういうことが何度も繰り返し続いているが、一向に列は先に進みそうにないし、また後から後から長く繋がり続けている。

見回りの警官は、行ったり来たり、私たちの脇を通り過ぎていく。時々は、顔を覗き込まれて、中には無条件で殴りつけてくる者もいた。横暴極まりないと思うけれど、なぜか警官には反抗する気にはなれない。代わりにまた、前の男か後の男にその捌け口を求めるのだ。

ある時、警官の一人が、ズカズカと進んできて、私の顔を見るなり、いきなり腹に一発拳を埋めてきた。私が呻いて身体を折ると、その首を掴んで高々と掲げた。

「おまえのせいで、急に地獄が忙しくなっちまいやがった」

警官はそう叫ぶと私の体を抱え上げ、勢いに任せて下に向かって叩き付けた。足元は空気の棘が更に鋭利になっていて、針のむしろような地面に私の体はめり込む格好になった。更にその顔に、警官の靴底が押しつけられる。

「おまえの稼働させた原発の事故のせいで、今日本は次々と被爆被害が広がっているんだ。死者の数もうなぎ登りで、おかげでこの地獄も盂蘭盆並みの忙しさじゃねえか」

靴は私を棘に突き刺し更にこね回す。

「今はもう日本には人の住める場所はないそうだ。世界中パニックになっちまってる」

警官は更に私の脇腹にケリを入れると、つばを吐き捨て云ってしまった。

私は痛む体をなんとか堪え、ゆっくりと起き上がろうと努力した。私と一緒に前後に並んでいた何人かも一緒に倒れている。一様に空気の棘に苛まれ、呻きながら起き上がろうとするが、上手くいかないようだ。

なんとか顔を起こして、手を着こうとした刹那、私は股間の辺りを踏みつけられた。あまりの激痛に、反射的に上半身が起きる。

その顎を、また蹴り上げられた。

「おまえがあの原発を動かしたのか!

「おまえがあの原発を動かした張本人か」

警官ではなく、私と同じ様な格好をした者たちだった。さっきの警官の声はかなり大きく響いていた。それを聞きつけた者が、繋がれているのも構わず、私の元を訪れ、そして罵りながら私を蹴り始めたのだ。

次から次へ、ものすごい数と、ものすごい力が私のちいさな体を翻弄し始めた。それは無限に思えるほどの長い時間、繰り返し繰り返し襲ってくる。もう起き上がれることは叶いそうもなかった。

それでも、意識は途切れることなく、痛みを感じ続け、痛みを上塗りし、そして耐えねばならなかった。

肌を打つ音に重なって、罵声は止めどなく私に浴びせられた。どれも聞くに堪えないような、罵詈雑言の嵐だが、その一つ一つがはっきりと聞こえ、また私の中から怒りと苦痛を沸き起こした。抵抗しようと、手足をばたつかせようにも、体の感覚自体が麻痺して身動きが取れなかった。

もう抵抗の感覚も失せた頃だった。耳に飛び込む声に、次第に理解出来ない言語が混じり始めたことに気がついた。私は海外との取引もあったために、英語なら日常会話ぐらいならこなせた。聞き取れたのはやはり英語で私を罵る言葉だった。さほどボキャブラリーの多くない私にも、それが汚い言葉だということが判る。

そのうちに、聞こえる言葉は日本語の方が少なくなり、英語のみならず、フランス語やスペイン語、あとはもう何処の国の言葉か定かではない言葉まで重なってきた。意味はまったくわからないが、その声の調子から、私に対して怒りをぶつけていることだけはわかる。

言葉に込められた憎悪は、それだけで私の心を苛み、体を痛めつけた。体の痛みには麻痺してしまって、いつしか言葉の槍が胸を貫くことの方が私を痛めつけた。理不尽だな、という思いと、殴られる事への単純な怒りが沸き起こるが、もう抵抗することもできない量の重みが、私にのし掛かってきていた。頭の中でぼんやりと、私を中心にして人のドームが出来上がっている姿を想像する。そこは周囲の空気より際立って赤く見える気がした。

しばらくして気がつくと、遠くから久しぶりに日本語の怒鳴り声が聞こえた。警察官の声だということがなんとなくわかった。

「この亡者ども、列を乱すな、ササッと散れっ!

威圧的な声は複数上がり、やがて怒りの言葉の渦を断ち切り、溝を掘り、それを左右に押し流して私に近づいてきた。重くなった瞼を開けると、目の前にピカピカに磨かれた革靴の尖った先が見えた。それが私の脇腹に一閃、激痛を走らせた。

そして髪を掴まれ持ち上げられると、左右から腕を掴まれ、無理矢理立たされる。

目の前の警官は、不敵な笑みを浮かべると、私に顔を近づけた。

「喜べ、あんたは別枠だ」

別枠?と掠れた声で訊き返した。自分の口から声が出ることが驚きだった。

一度振り向いて行きかけた警官は、私の方に向き直ると、舌打ちした。

「あんたは地獄の歴史に名を残すことになったよ。稀代の殺人マシーンの責任者なんだからな」

どういうことだ、と私は怒鳴り散らす。自分にそんな気力がまだ残っていることが不思議でならない。

「まぁ、あんたがわからないのも無理はないから教えてやろう」

警官は手に持った警棒で、私の胸をつきながら、喋り始めた。

曰く、事故を起こした原発は、当然の如くそれを制御する管理棟にも放射能を撒き散らした。地震による倒壊は免れたが、その後の土砂崩れで機能は停止した。勤めていた従業員は、逃げ出すしかなかったが、中には急性被爆で命を落とす者もいた。

半ば放置された設備の中で、制御用の量子コンピュータだけは生きていた。

ヒューマンエラーが原発事故の主な原因、ということになっていたので、原発の管理はほとんどがAIによるものに移行していた。それを走らせていたのが最新の量子コンピュータだった。

非常用電源が一部だけ作動したが、それはその管理用コンピュータに廻されていた。まさかの事故の場合、そのコンピューターさえ生きていれば、制御系は運用出来るように、最優先で電源を確保するように組まれていたのだ。

だが、いざという時になって、管理プログラムは生きたままだったが、物理的な設備がすべてダメになってしまっていた。つまり、パソコンだけは生きて制御信号を送り続けたが、次第に破滅していく炉心を、ひたすら見守るだけになってしまったのだ。

そのコンピュータも、当然被爆したのだが、放射能は思わぬ結果をそのコンピュータにもたらした。

放射能が量子コンピュータの生理的機能を模した回路に影響を及ぼし、まるで遺伝子を改変するような格好で、特殊なコンピュータウィルスを発生させたのだ。

原発の事故の対処のために、オンラインで自衛隊や関係官庁、そして首相官邸の危機管理室とそのコンピュータは繋がっていた。地震対応のために、対策本部が立ち上がり、危機管理室が動き始めたと同時に、そのウイルスはネットワークを通じて蔓延し始めた。

官公庁のオンラインは、もちろん世界の主要国のそれとも繋がっている。ウィルスは、それを探知させることもなく、またどんな弊害があるのかも察知されないまま全世界の、特に心臓部分に広がっていった。

そして地震からちょうど一週間後、原発が爆発して5日後に、一斉にウィルスが発症した。

ウィルスは防衛システムの機能を停止させ、それを攻撃と見做すプログラムによって、核保有国の核ミサイルのサイトの扉を一斉に開けた。更に発射スイッチの複雑な工程に浸食し、最もセキュリティの脆弱な国のミサイルに点火した。

そして世界は、予期しなかった核戦争に突入した。戦争に突入した、といっても結果はもうあっという間に着いていた。誰一人として勝者のない戦いが静かに始まり、静かに終わったのだった。

その話を終えたあと、警官は警棒を私の額に静かに押し当てた。

すると、ある日の記憶が蘇った。原発の再稼働を開始するスイッチを押したところだった。内外のマスコミが訪れ、関係者がグルリと周囲を囲む中で、私はそのセレモニーの中心にいた。日本初の原発のみを保有する電力会社の、最初の営業運転だった。その為に私は、必死で働いたのだった。批判も多かったが、経済界からは概ね、歓迎されたし、その批判も時間が経つにつれ少なくなっていった。

事故を起こしたのはその原発だった。最新の機能と、重厚な安全対策で順調に未来を見せていたはずだったのに、と私は思い起こす。

警官は、わかっただろ、と言いたげに頷くと、踵を返して歩き出した。私は両脇を抱えられ、その後ろを引きずられるようにして着いて行かされた。目の前の警官は、それ以後、一度も振り返らなかった。

 

前へ   次へ