事切れて、この場所にこうして座るまでの記憶も、当然ながらまだ残っていた。

生と死を分かつ瞬間は、認識としてわかっているが、記憶の中では並列だ。死という項目が箇条書きの中のひとつに加わるだけだ。

呼吸が止まり、心臓が営みを終えても、人にはやることがあるのだ。

死の瞬間もはっきりと覚えている。私が横たわる病院のベッドの周囲には、子供たちが並んでいた。長男が私の頭に顔をよせ、その傍らにいる孫に、おじいちゃんが逝っちゃったよ、と語りかけていた。

その隣には、長女が立っていた。目に涙をいっぱいに溜めたかと思うと、次の瞬間、号泣し始めたのには驚いた。長女はどこか私とは反りが合わないようで、私の前ではその感情を露わにすることなどなかったが、おそらく、私とは距離を置きたいのではないかと感じていた。何かそういう反感のようなものを抱いているのではないか、とさえ思う場面もあったが、いざ別れるとなると彼女はお父さん、と何度も呟きながら泣き続けた。それから葬儀の間中、長女の目は泣き腫らしたままで、みるからに憔悴しきっていた。その姿を見た時初めて、寂しさのような後悔が生まれた。今更ながら居たたまれない気持ちが湧いてきて、先立つという意味を理解したような気がした。

やがて、白い棺桶の中に横たえられ、豪奢な祭壇が飾り付けられ、私はどこか気恥ずかしくその光景を眺めていた。不思議なことに、私は棺桶の中で仰向けのままだったはずが、視線は周囲を彷徨い天井から、また床を這うようにでも如何様にもなった。実際には、視覚というより感じることができたのだ。ありのままの光景が、そこに留まっていた私という存在に、焼き付けられていく感覚だ。

ひっきりなしに弔問客が現れ、私の顔を覗き込み、合掌し、そして幾人かは涙を流した。その一人一人の顔を覚えているのが不思議だった。私は最終的に、ある電力会社の社長を務めて生涯を終えたが、その末端社員の顔も、覚えていた。

きっと、一度でも逢えば、記憶として刻まれるのだろう。生きている間にはそれを必要な分だけ覚えておくことができたのだが、死ぬとそれがすべて事象として蘇るのだろう。私はまだその時、そのことに驚きながら彼等の反応の一つ一つを、また記憶として刻んでいったのだ。

中には忘れようとしても忘れられない顔も、当然あった。例えば、私にその電力会社の社長になることを懇願してきた、刻の総理大臣の老獪な顔などだ。

フクシマの原発事故の廃炉はなかなか進まず、エネルギー政策は次第に大きな転換点を迎えた。その中で旧来の原発を動かしたいと願う一部の勢力は、政治家を動かし、全国の原発を現電力会社から切り離して一元化し、持ち株会社を作って一括管理する、という秘策を考え出した。

その初代社長に抜擢されたのが、私だった。私は父の代から受け継いだ建設会社のしがない二代目社長だったが、バブルの頃に傾きかけた事業を再建させた実績を持っていた。私はただ、ひたすらに働き、社員の生活を守りたい一心で努力しただけだが、それがいつの間にか、奇跡の経営者、等と持ち上げられることもしばしばあった。

その実績を買って、というふれ込みで、私に白羽の矢が立ったのだ。

当然の如く最初は固辞したのだが、自然エネルギーの拡大に押され気味の原発従業者の生活や、未来の技術維持のために、と最後には刻の首相まで担ぎ出し懇願され、泣き落とされ、私は初代社長に就任したのだ。

あの時、半ばリタイヤ寸前だった私に、涙ながらに訴え、頭を下げ続けたその男は、目を閉じ血の気も引いて白くなった私の顔を見ても無表情で、実に淡々と合掌をし、あっという間にその場を去った。何かを期待したわけではないが、それはまるであっけないものだった。

既に世間から白い目で見られていた原発の事業者の、しかもトップとして、私はただひたすら、働いた。当然、世間のバッシングは相当なものがあったが、幾つかの原発を廃炉にし、不要な事業を整理、リストラし、そこで生まれた利益を、社会に還元するように努めた。幾つかの利権と呼ばれる繋がりも、新会社の立ち上げに紛れて切り離し精算した。なにより原発で働く有能な社員、技術者の生活を途切れさせないように尽力した。

必要最小限の原発を稼働させる時にも、周辺住民への説明に自ら赴き、頭を下げ、情報開示を極限まで約束して、なんとか了解にこぎ着けた。

すべてをやり遂げて終えたわけではないが、次世代に引き継ぐ目処が立ったところで、私の寿命は尽きてしまった。これも運命だと、私はその最後を受け止めた。

多少強引なこともなかったわけではないが、生涯ただひたすら働き、身に余る利益は社員に還元し、社会に還元し、幾らか景気の気を盛り上げた自負はある。最後の奉公は、晩節を穢したとなじる者もいたが、私は滅私の志で働いただけだ。世間評価も甘んじて受け入れて、私は一生を終えたのだ。

やるべきことを、淡々とこなしていればいつか必ず、目的は達成されると馬鹿みたいに信じていた。それは脳天気の極みかもしれないが、愚直さが結果、今ここにいる理由なのかもしれない。

その結果に、私は満足している。

満足した、という記憶だけは、未だこの何もない天国にあっても、私の胸にほんのりと熱を入れる。

それもやがて、消えていくのか、という事実を、私は静かに受け止めている。

 

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