消すなよ、とトモアキは不満げに言ったが、すぐに酷く下卑た目で、別のもあるぜ、と言い放った。

やっと起き上がったトモアキはそのまま立ち上がろうとしたが、オレはそれを制した。

「イイよ、どうせろくでもないヤツだろ」

「そんな事ないよ、今度は動画。ビデオで撮ったヤツ。そっちの方が刺激が強いけど、オレも一緒に写っちゃってるんで一人で見ると恥ずかしくて」

バカいうな、とオレはトモアキを睨んだ。

「それより、酒はもう飲み尽くしたのか、ないなら何か買ってくるよ」

「それと同じワインなら、まだあるよ。箱買いしたんだ」

キッチンの隅の箱をトモアキは目で差した。

「とりあえず、飲もう。おまえだって言いたいことあるだろう」

オレが立ちがある背中に、別にないよ、とトモアキは言った。

オレはキッチンの食器棚から、めぼしいグラスを探したがなかった。トモアキはいつも備前焼の湯飲みで飲んでいる。似たような細長い焦げ茶色の湯飲みを選んで、ワインボトルと一緒にリビングに戻った。

「おまえ、何でも湯飲みで間に合わせるんじゃなくて、ちゃんとグラス揃えた方が良いぞ」

「何言ってんの。備前焼は素焼きだから、ワインならワイン、コーヒーならコーヒー、そのものの味を引き立たせるんだぜ。それ、わざわざ備前焼の作家さんのところに行って買ってきたヤツだからね」

普通に元気な時のトモアキは、行動的だ。思い立ったらすぐ、車に乗ってどこへでも行く。夏の休みは必ず長距離ドライブを計画する。その旅程で、きっと手に入れたものだろう。トモアキが手に出せるぐらいだから、それほど高くはないはずだが、一応ブランドものだ。

丁寧にトモアキは湯飲みに半分程、ワインを注ぐ。

「こんな時間から飲むことないよ、さすがのオレでも」

時計はまだ夕方の五時を少し過ぎたところだ。オレはこの近くに営業で来ていて、そのまま直帰すると職場に連絡して置いた。朝出かける時から、トモアキの部屋に寄ることにしていた。一応オレにも妻がいて、子供もまだ小さいのが一人いる。だけど、本当の弟みたいなヤツだから、とオレは言い訳のように妻に言って、今日は帰らないかもしれない、と断っておいた。

オレの家族の中に、トモアキが混じることもある。トモアキは子供と遊ぶのが好きだ。子供が泣きべそを掻くと、トモアキは悲しそうな顔をする。だから、トモアキが帰る時は、お互いに寂しそうだ。早くトモアキも結婚して、子供を作れ、とオレは言っている。

「あんな親父見て育ったら、結婚なんてしようとは思わないよ」

トモアキはそう言って躱すけれど、願望がないわけではないだろう。トモアキに彼女が出来る度に、オレは紹介されるが、皆、ゴールをそこに置いてるのは明かだ。

それも十年前の事件以来、ぱったりと途絶えている。

しかし、それでも楽しくやっている十年だった。それが今になってどうして、とオレは思わずにいられない。

とりあえず素焼きの湯飲みで乾杯した。オレは普段ワインは飲みつけない、晩酌はビールで充分だった。

だが、トモアキは事も無げに、グイグイと喉を鳴らし、自分で二杯目を注ぐ。

「酔わないんだよね」

二杯目も飲み干し、トモアキはそう言った。飲む時はちゃんとソファに座る。オレはそんなトモアキを見上げる。

「ねぇ、どんな風に聞いているの。俺の話ってさ、どこでどうなってんの?」

いや、あれだ・・・。オレは口ごもる。

「兄さんがウチにまで来るってさ、相当ヤバいって思われてんの?」

オレがその共通の友人から聞いた話によると、トモアキは十年前に別れた女の事で、参っている、と聞いた。その友人は、その別れた女のことを根掘り葉掘り、訊かれたという。それもけっこう鬼気迫る感じで。

だが、トモアキは今彼女が何しているのかを訊ねたいのでは無く、あの時何があったか、十年前のことを何度も何度もしつこく聞いてくるのだという。

「十年以上も前なんて、オレ自身何していたかも覚えてないのに、参りましたよ」

友人はそう嘆いていたが、逆にトモアキの執着を訝しがった。トモアキがそんなに熱を上げて執着するのは、少しおかしい時だ。それをトモアキの周りの連中は、十年前に経験している。

それと同じ元凶が、今になってまた顔を出した。そのいきさつを知る者は誰もいないが、その友人はこう推察する。

「どうも十年前に彼女が言ってたことと、最近知ったことが違っているって、そんな事を云ってましたよ。だから、本当のところを知りたいって」

でもね、と心底疲れたように、その友人は付け加えた。

「気になるのは、それが本当だったら、オレが悪者になる必要なかったのにって言うんですよ。この十年無駄だったって」

今更言ってもね、と最後に友人は呆れた声を出したが、オレはそれには同意出来なかった。確かに、オレは十年前も、トモアキの行動を見ていた。話も聞いた。そして幾らかトモアキの話に感化され、理不尽だな、と思うこともあった。

そして事件は起こった。

オレはその時、トモアキを見ているようで、距離があったことに気付いて後悔した。見守る、という言い訳で、深いところに触らないようにしていた。信じている、といって励ましながら、どこか手を引いていた。

そのことを本当に悔やんだ。だが、いつものように後悔は後の祭りだった。

だから、今度は少なくとも、じっくりと話を聞いてやろう、とオレは思っていた。

「十年前の話だろ。誰か蒸し返してきたのか?」

「いや、蒸し返したのは、オレの方かな」

自嘲気味に、トモアキはそう言って、再び湯飲みを口に運ぶ。

バカな、とオレは吐き捨てるように言ったが、それは正直な気持ちだった。十年前に、けっこうな騒ぎになって、関係した者達、少なくともオレの知る限りでは皆、何も得ることのない消耗に疲れ切った。その一番がトモアキだったはずだ。

だが、その後十年は、穏やかな毎日だった。しばらく部屋に引きこもった時期もあったし、近所とトラブルになったこともあったが、足を踏み外すことなく、トモアキはトモアキのままでいられた。

「オレも不思議なんだよね、オレ自身、何がしたいのかよく分からないんだよ。今回知ったことでね、オレは本当のことが知りたい、って思ってさ、いろいろ手を回して訊いて回ったんだけど、じゃあ、本当のことを知って、それでどうするんだ、って。それが分からないんだよね」

「だったら、もういい加減なところで手を打ったらどうだ。深みに填まる前に」

「違うよ兄さん」

ハハハ、と初めてトモアキは声を出して笑った。

「その真実が分からないから、オレは参ってんだよ」

みんな誤解している、とトモアキは付け加えた。

「でも、その真実にしたって、結局は直接本人に聞くしかないだろう」

トモアキはゆっくり頷いた。そしてテーブルの上を掻き回して、A四サイズの紙を二枚重ねてクリップで留めたものを探り当てた。

「一応今のところ、分かったことを時系列に並べてみたんだ」

オレはそれを手渡されたが、それは正確に年月日が記載され横書きで、どこで、誰が何をした、という風に箇条書きになっていた。そこには例の事件のことも書かれてあった。

「こんなもん作るから、余計に拘っちゃうんだよ」

オレは一瞥して、すぐにテーブルの上に放り投げた。

「よく見てよ兄さん。ここ」

トモアキは紙をめくって二枚目を上にすると、中程の所を指さした。

そこには正確に、年と、月と、日が書かれてあり、最後に「亡くなる」とあった。

読んですぐ、オレはえっ、と声が出た。

「アイツ、死んだのか?」

トモアキは視線を反らして頷いた。その複雑な心境を、オレはすぐに慮った。

そこに書かれていた森口という名前は、長くトモアキの隣に並べて語られることの多かった男のものだった。それを周囲は、親友、として認識していた。

中学の頃にその森口とトモアキは知り合い、意気投合した。その最もホットな話題が音楽だった。当時はヘヴィメタルが流行りだした頃で、二人は時を忘れてギターヒーローの話に熱中した。当然二人で、バンドも始めた。

その後、トモアキが学校を辞めて、県外に出てからしばらく疎遠になったが、再び舞い戻ってくるのと時を同じくして、また交流が始まった。

帰ってきたトモアキは幾らかスキルを身につけていて、自分で曲を作って、当時付き合っていた女の子をボーカルにして録音したりしていた。そこに当然、森口も加わり、やがてかつてのバンド仲間が集まり、それはけっこうな大所帯のサークル活動になった。

中心のトモアキは、いつも誇らしげで、楽しげで、そして皆を信頼していた。中でも森口は一番付き合いが長く、最も信頼を置いていた。

結局、十年前に仲違いしたきり逢わなくなった。そこにトモアキの事件が大きく係わっていた。そのサークルの中でのイザコザが、最終的にトモアキの恋仲に浸食し、それが事件の引き金になった。

「当事者二人ともに、聞けなくなっちゃった」

トモアキは、ぽつりとそう言った。当事者二人?俺の口から思わず、そう零れ出た。

相変わらずトモアキは目を逸らしたまま、頷いた。

 

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