「殴らせて」

は?と主はあからさまにイヤな顔をする。眉間に皺を寄せて、ずいぶんと怖い顔で私を睨む。

「殴らせてよ」

「馬鹿なこと云うなよ。なんで俺が」

「私だけ理不尽っていうのが、我慢できない」

「だからって俺が、その人身御供になる理由もない」

「いいの、誰でも。でも、私ひとりは、嫌だ」

自分でも、非道いことを云っていると思う。でも、止めようがなかった。きっと私は、この二日間で、主に甘えることを覚えたのだ。

「殴らせてくれたら、これから東京に帰って、ファンの云うことなんでも聞くし、スタッフの云うことなんでも聞くし、プロデューサーの云うことなんでも聞く。土下座だってするし、しろって云われれば裸にだってなるよ」

どんな理不尽なことでも、我慢できる。

私は、断言した。曖昧な確証だったけど、誰かが犠牲になっていることを実感できれば、きっと、我慢できる、と私は思っていた。いくら非道くても、私には今、それが必要だと強く思い切る。

「グーじゃないよな」

「パーで我慢する」

主は肩をすくめた。オヤジにも殴られたことないのに、と冗談ともつかない台詞を吐きながら、あごの辺りを撫でた。

「軽くな、手加減しろよ」

私は頷く。

「ちゃんと、みんなに謝れよ。まずそこからだ」

とそれは、自分で自分を納得させるような云い方だった。私は半分聞いて、何度も頷く。

全く・・・、と云ったきり、主は目を閉じた。

私はそれを確認すると、身体全体を捻った。中腰に構えて、まるで円盤投げの選手のように、上半身を回転させて後ろに手を引いた。

ビュン、と風を切る音がして、続いて、パチン、と派手な音がした。

イテぇーっ、の叫び声が後に続いく。

私の掌が、じんじんと痛む。見ると、紅くなっていた。同じように、よろける主の頬も私の手の形に、紅くなっていた。

「マジで叩きやがった・・・」

そう独り言を云いながら、頬をさすりさすり、主は扉の方に戻っていった。もう私の方には振り向こうとはせず、一直線に足早に歩いていった。

私はその背中に向けて、口の形だけで、ごめんと告げた。

 

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