「いい例がテレビだ。お前だって、テレビがあるから、東京にこだわる、ってことあるだろ?」

それはそうだ。劇場だけで終わっていた時代とは違う。今はテレビが活動の中心になっている。あくまでも舞台はレギュラーで、その向こうにあるテレビ出演を、目標にいつもがんばっているんだ。それが成功のバロメーターでもある。

「これは俺の個人的な感想だけど、もうテレビっていうのはメディアじゃなくなっている気がするんだ。ちょっと違う意味で、文化というか、歌舞伎とか能とか、人形浄瑠璃とか、そういう文化財的な感じになってきている気がする」

お前、歌舞伎とか見たことあるか?と訊かれて、私は首を振った。そういうモノはよくわからない。時々歌舞伎役者と共演したりもするけれど、実際の舞台は敬遠してしまう。正直、古くさくてめんどくさくて、敷居が高い。

「歌舞伎や、特に人形浄瑠璃とかそうだけど、黒子、と呼ばれる人が舞台に出てくる。それは、あくまでも裏方で、観客が見るのは人形が演じる演劇で、それを操作している人は目には見えているけれど、いないモノ、という約束事の中で、舞台は成立しているんだ。海外なんかは、それを巧みに隠すんだけど、日本はその約束事、という信頼の中で、初めて成立するのが特徴的なんだ」

なんでも知ってるね、と私がいうと、だてに歳は取ってないよ、といって笑った。お前も少しは本を読めよ、と付け加える。

「それはさておき、テレビもいつの間にか、約束事が多いだろ?なんというか、暗黙の了解というか、極端にいえば、規制とか。それをわかった人、あるいは受け入れることが出来る人だけが楽しめる。バラエティー番組なんかで、笑いが付け足されているけれど、それは足されていることをわかった上で、楽しめる人でないと見ていられない。その関係が、なんとなく伝統文化というか、そんな感じがするんだ」

「でも、それって悪くないんじゃないの?歌舞伎だって、熱狂的なファンのおばさんとかいるし、嗜み的にそれこそ教養?みたいな感じで、見られるのは、いいことだと思うよ」

うんうん、と主は何度か頷いて、しばらく言葉を選ぶように、沈黙した。

「確かに、悪いことじゃないけど、でもテレビ、というものがかつて持っていた時代の最先端を走っていく、時代をリードするカウンター・カルチャー、というような役目はもう果たせない、と思うんだ。そもそも、そうやって日本という社会が、一つの方向へダッと流れていく、ということ自体、もうあり得ないんだろうな」

ねぇ、さっきから聞いていると、とキッチンにいた奥さんが、リビングに戻ってきた。

「ずいぶんとテレビに幻想持っているのね」

「俺たちは、テレビっ子世代だからな。やっぱりその時代の印象が強い」

「でも、いいじゃないの?いくら個別の時代、総オタク社会になっても、一つの大きな柱というか、根っこみたいなものは必要じゃないの?」

「それは政治の役割だよ。というか、政治家がそれを担いたがっている。だから、逆に、人々は離れていくんだ。少なくとも東京よりはずっと、地方の人口の方が多いんだ。それぞれが、それぞれの根っこは東京にはない、あるいはそれを東京発信で知ることに疲れている。道を歩けば、そこにあるものの方がずっと、俺たちには切実だ、ってことだよ」

いつの間にか私は蚊帳の外で、二人の会話の聞き役に回っていた。聞いていても、よくわからない。ただ、そういう私のような立場のことを、主は云っているのかもしれないな、と思う。

テレビに出ることが目標、といっても、あくまでもそれは私の、あるいは私たちの目標であって、そこから一歩離れると、取るに足らない目標にしか過ぎないのかもしれない。そうすると、それが切実に自分に関わっている人たちで、自ずと連む以外になくなってくる。

その中にルールが生まれて、ルールが信頼を呼ぶ。

ああ、そういうことか、と私は自分を省みた。私はそのルールの中にいる。

「ねぇねぇ、わかったから」

私はだんだんヒートアップしてきた夫婦の会話に割って入った。なんとなく、二人の言葉が尖ってきたような気がしてきて、このまま行くと、喧嘩にまで発展しそうな予感がした。

「いつもそうなの?」

二人は顔を見合わせて、お互いに肩をすくめて見せた。

紅茶でも煎れるわね、といって奥さんはまたキッチンへと立った。主は、居心地悪そうに、その背中を追っていた。その仕草はまるで、子供だ。

「とにかく、これからのことは決まったんだから、もう考える必要ないよ」

私がそういうと、主は難しい顔をした。ただ、それを納得させようと言葉を重ねると、きっとまたヒートアップする。それよりは、とりあえず、自分で納得してもらうのを待った。

やっと納得したのか、主は一つ頷いた。

「そうだな。福岡に行っても、お前はお前だからな」

ああそうだね、と返したけれど、そうだといいけどね、と本当は云いたかった。

 

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