まるで他人に翻弄されているような気がしていて、実は、自分の未来を望んでいなかった。最初からあきらめていたのか、それともそんなこと考える暇もなかったのか。いずれにしろ、自分の紡ぐ希望が、とても希薄なことに、私は愕然としていた。

自然と鼓動が早くなって、私は急に落ち着かなくなった。寝そべっていたのを起きあがり、床に手を押しつけたまま、その手をじっと見つめた。

読んでいるウチに暗くなった部屋の隅にあるスタンドだけが、いつまでも点ったままだった。自分の輪郭が、蛍光灯にくっきりと浮かんでいて、その周りが闇の中へと沈んでいた。それがまるで、穴のように見えた。顔を上げればきっと、部屋のディティールに現実を取り戻せるかもしれない。そうは思うのだけど、今は手を見つめる以外、呆然としていた。

肌の感覚も曖昧になって、本当に底の見えない穴の闇に落ちてしまいそうだった。

怖いと思った。

この数日、押し止めていた感情だった。さっき、窓辺で下を見下ろした時に、飛び込むのは簡単だ、と思った。怖さはなかった。死ぬ、という実感がなかったせいもあるけれど、それに似た実感を感じたこともなかった。

余りにも私は、経験が少なすぎて、現実というモノがひどく狭い。だから、感情のいくつかを学ばずに来たような気がして、だから今、戸惑っているのかもしれない。その欠けた感覚が、今むき出しなって、私を呵んでいる。

今まで、こんな覚束なさを忘れていただけなんだろうか?それとも、押し止めることに成功していたのか。

それとも知らなかった、だけなんだろうか?

私は何度も怖い、と思った。口に出して怖い、と云ってみた。

一瞬、心は和らいだ。だけどすぐに、穴の闇が、浸食を始めた。

深呼吸した。息をしている。そのことを、強く意識した。生きている。

今、自分は生きている。そのことは、信用できる。ほら、こうして、手も動く。

指先が、わずかに床の上で曲がった。キュッ、という音がして、それがやたらと大きく滑稽に聞こえた。

それをきっかけに、私は恐怖、という感情から、解放された。

疲れた、と感じて、ゴロリと寝そべった。床に頬を着けて、その中途半端な冷たさを感じた。

それでも私は、その温度を愛しい、と思った。愛しさに、感謝した。

私は呼吸を整えて、気を取り直して、もう一度、座り直した。そして、まるで茶道かなにかの作法のように、読みかけの文庫本を手に取った。ページの端を折り曲げている所をめくる。

さっきまでの感覚が嘘のように、私は落ち着いて、文字を追うことが出来た。

結局、その本は、夕食を挟んで、深夜になるまでかかって読み終えた。そのまま、眠ってしまって、朝になった。

朝になると、私の処分に結論が出ていた。私は福岡に引っ越すことになった。

 

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