半分以上は、ただ読むだけで、何度か読み返していると、なかなか先に進まなかった。なんの前知識も、心の準備もないと理解のしっぽすら見えない、科学の本だった。科学、というキーワードしか私には浮かばない。

物質を細かく砕いてゆくと、素粒子とか量子とかいわれているモノにたどり着く、ということを解説した本だけど、教科書並みに難解な語り口ではなかった。だけど、意味は理解できない。スムーズに語り口が、全く引っかからないので、意味を理解するということすら忘れてしまう。

きっと、こういう本を読むのには、準備運動というか、それなりの熟練が必要なんだろうな、と思う。

ただ、途中から始まった言葉に、私は引っかかった。

物理学とか、量子論とか、この世界の根本的な成り立ちが、徐々に解明されようとしているけれど、それがなぜ、そういう理論で成り立っているか、はほとんどわかっていない。光がこの世の中で一番高速なのはわかっているけれど、なぜ光がこの世の中で一番高速なのか、その理由は誰も知らない。

だとすると。

例えば、と書かれたまま、私はいつしか床を手で押しつけていた。フローリングの床は、押してもそれ以上先には進まなかった。当たり前のようだけど、それにもきっと理由があるはずだ。

そしてその理由を司っているのは、床の方にある、と思いこんでいる。床が堅いので、それ以上手は押し込まれずに、反発する。

だけどそれは、もしかすると、人間の方に理由があって、床とか壁とか、堅い物に触れるとそれ以上は進まない、というルールを、人間の方が身体に刻みつけているのかもしれない。

人間には意志がある。意志があるから、知恵を付ける。知恵はだいたい、人間本意にコトがすすむ。人間の知恵は、人間のためにある。それほどまでに自分本位の生き物が、なぜ、ルールは外にある、と考えるのだろうか?まさしく、神の力、で全てを説明しようとするのだろうか。

それこそが矛盾かもしれない。

きっと、この世界の秩序には、人の意志が介在しているに違いない。

それが、その本の結論だった。あらがえないルールという秩序が人間の方にあるのなら、もしかすると、人間の意志で、そのルールは形作ることが出来るかもしれない。

人の意志が、現実を作り出すかもしれない。

そこにある現実は、きっと、人の意思の表れなのかもしれない。

私は床を押しながら、だったら、本気で床をするっとすり抜ける、と信じ込めたら、現実にそうなるのかもしれない、と考えていた。それはまるで、オカルトか、心霊現象。超能力、というエンターテイメントよりもずっと、お笑いぐさだと思った。

でも、不思議と、今の自分に、自分の意志、というものの存在を意識させた。

だったら、私が本当に望んでいることはなんだろう?こうなればよいと思う未来は、何処にあるんだろうか?

 

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