ああそうだ、と澱んだ空気を押しのけるように、主は部屋の中に入り込んで、パソコンの前に座った。私は、起動音を聴きながら、決められそうもない本のタイトルを追いかけていた。

主がクリックすると、モニター全面には、荒い画質の狭い部屋が映し出された。黒い床に黒い背景。その真ん中にドラムセットが見え、天井には鮮やかなライトが点っている。低く音楽が流れているが、人は誰も見えない。

きっとこれはライブハウスだとすぐにわかった。ただ、私がいつも立っているステージも、これぐらいにスペースだけど、もう少し広い気がする。ステージが狭く見えるのは、楽器や機材が並べられているのと、肝心のドラムがいつも見るよりも倍以上のスペースを占領しているからに違いない。

画面の端から、人が次々と現れた。それぞれがステージに上がると楽器を抱える。ドラムセットの真ん中に人が座るのが見えた。途端に、歓声が上がり、ギターを持った男が、前を向いた。

主だった。今よりもずっと細身で、長髪。

なんだ、昔のライブか、と思って私は興味が薄れる。主が座るオフィスチェアの背もたれにかけていた手を緩めて、視線を本棚に戻そうとする。

すると、キーボードの音が鳴り始めて、照明が暗くなる。フットライトだけになると、画面の端からまた一人、ステージの中央に歩み出てきた。

キーボードの前奏はずいぶんと長かった。歓声が徐々に高まるのは、観客がこれから始まることを知っているからだろう。

キーボードが最後の音を伸ばしている間に、ドラムのシンバル・ロールが重なる。ドンッ、と一発重い打撃音がした途端に、歪んだギターがリフを弾き始めた。テンポが速く、低音が異常なほどに響いている。あまり聞いたことのない音に、私は思わずモニターに魅入った。

ステージ上の演奏者はみな、なぜかうつむいている。それが演奏のためではないのは一目瞭然で、うつむいた頭を激しく上下に動かしている。いわゆるヘッドバンキング、しているのだ。

これは、と思っているウチに、案の定、音程もはっきりしない喉をつぶしたようなボーカルが始まった。これが歌なのだろうか、という疑問よりも、私の目を惹いたのは、それが女性だったことだ。ゴシックとか、ゴス・ロリとか、いわれる黒地に白のレースがふんだんに巻かれた衣装を着ていて、派手な隈取りのような化粧をして、長い髪を振り乱して唄っているのは、紛れもない女性だった。

攻撃的な音よりも、その超然としたボーカルの立ち姿に私は釘付けになった。あっけにとられたまま、時間が過ぎた。

「これ、誰かわかるか?」

と主が指さしたのは、画面中央の、まさに女性ボーカルの姿だった。

ただ、その問いにすぐにピンと来た。

「さっきのピアニストの話もそうだけど、これもあいつがいる時には見せられないからな」

「奥さんの黒歴史?」

まぁ、そんな所だ、といって主は声を出して笑った。それにかぶるように、いっそう過激につぶれた声が重なる。時折ハイトーンでボーカルらしいフレーズもあるが、ほとんどがもう叫び声と云っていいモノだった。

それにしても、今さっきまで台所で紅茶を入れていた姿と、この声がなかなか重ならない。濃い化粧をしていても、顔かたちは面影がある。でも、声だけは、全く今と繋がらない。

「この数年後に、ボーカリストは地元のローカルテレビで天気予報とか読むようになるんだぜ。本当に、世の中未来のことはわからないものだよ」

主もずいぶん痩せているね、というと、うるさい、と返ってきた。

結局、その歌を一曲丸ごと聴いた。それで、映像が終了して、元のサイトの表示に戻った。

 

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