主は、私に云った一言を境に、どうも付き合いあぐねているような感じがする。あの、泣きたいんじゃないのか、の一言以来、私が不機嫌な顔しか見せないためだろう。

ただ、それは、その一言が原因というわけではない。

泣くことに象徴される、今の状況が納得できないだけだ。納得、というよりも、自分がそもそもの原因なのはわかっているけれど、それを繰り返しかみしめていると、いつも行き詰まるのだ。

それは自分のせいではなく、自分が置かれた状況、というものがそうさせていることだ。

誰だって恋をして当然の年頃で、夢中でハメをはずことも不思議ではないはずだ。それ以上に、失敗を重ねて当たり前の時期だとも思う。日常生活では、さっきのお菓子作りのように、うまくいかないことの連続だけど、それを乗り越えていって身につける毎日だ。

それがまるで、デッド・エンドの様相を示しているのが、どうも解せないのだ。私がしたことが、そんなに悪いことなんだろうか?

華やかな舞台で喝采を浴びる場所に立っていなければ、許されたことなのに、と思う。そういう別の人生が、きっとパラレルで用意されているはずなのに、と思うと、私は苛立ってしまうのだ。

更に、それがきっと一番、私を情緒不安定にさせているのだけど、それは、この事態を解決する手段が、私の手の中にない、ということだ。

今回の騒動の後始末に、私以外の人間が走り回っている。そのことに申し訳なく思うのと、なにか別のモノに支配されているような居心地の悪さがない交ぜになって、鳩尾の辺りに黒い塊を押し込んだような気分を抱えてしまうのだ。

自分でこの騒動を収拾できたら、結果がどうであれ、納得は出来るだろう。これでは、まるで、判決を待つ犯罪者みたいだ。

でも、事態を収拾って、なんだろう?彼を殴りにいけば、それで済む話なんだろうか?ファンに土下座でもすれば、済む話なんだろうか?それで自分は本当に納得できるのだろうか?

 

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