私がソファで横になっているのが、全く見えないかのように、主の奥さんは家の用事に精を出していた。キッチンで食器を洗っていたかと思うと、洗濯物を持って私のそばを通る。ベランダに出て空を気にしていたと思ったら、気がつくとバスルームから出てきたり。

私は目だけでその背中を追っていた。もし、自分が別の道を歩いていたら、あの日あの時、オーデションに応募しなかったら、意外にこの奥さんのように、誰かのために家の仕事で一日が過ぎていくような、そんな人生が待っていたかも知れない。

ただ、それは、今からでも遅くない選択かも知れない。あの彼と付き合っている時に、彼のアパートから深夜家に帰るタクシーの中で、このままずっと彼のそばにいて、なんていう想像をしたことがある。

その時に感じたのは、たまらなく幸せな感触と、ほんのわずかに胸を押さえつける後悔だった。それほど深刻に考えるほどではなかったけれど、人前に出て鮮やかに笑う世界を降りることへの後悔、というよりもったいなさが、私の中に確かにあった。

誰かのためにではなく、自分のために華やかな世界を望んだのだけど、それはいつしか、誰かに見られることへの渇望にすり替わっていた。目の前の一人の者との充足感よりも、たくさんの顔もわからない観客の拍手を恋いこがれる。そういう感情が、自分の中に芽生えたことの方に、私は驚いた。

ただ、降りるなら、まだ遅くない。そして、今が好いチャンスかも知れない。

そう思って、私は頭を振った。あの時は、彼が居たけれど、今は行く場所がない。

なんだ、と思った。私は、今、何処にも行く場所がないのだ。この主の部屋にいて、東京に帰れば自分の部屋がある。だけど、そこからどこかへ、例えば劇場のあるあのショッピングセンターの地下の駐車場とか、あるいは、川のある街の一角にある自分の産まれた家とか、何処も、自分を受け入れてくれ無そうに思えた。

帰る場所はあっても、行く場所がない。そんな簡単なことが、なんでこんなに悲しいんだろう?

こういうのが孤独とか、孤立とか云うのかな?と思う。

 

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