コーヒーを飲んでいると、ほんのりと香ばしい、いい匂いがしてきた。キッチンに立った奥さんの後ろ姿にそのかぐわしい香りが重なる。

「河合屋のリンゴ・パイだね」

私が云うと、この部屋の主は、視線だけを私に向けた。かわりにキッチンの奥さんが、あら、よくわかったわね、と朗らかな声を上げた。金沢から直送よ、と笑いながら、皿の上に焼き菓子を載せて、奥さんが戻ってきた。香ばしい香りにふさわしい、ぱりっとした生地が食欲をかき立てた。

いただきます、といって私は手を伸ばした。すると、主が鼻で笑う。

かまわず、私は一口サイズに切り分けられたリンゴ・パイを口に運ぶ。

「好く食うな。まぁ、食べないよりマシだけど」

呆れたようにそういいながら、主はコーヒーをすすった。

あなたも食べたら、と奥さんは主に勧めるが、首を振る。いつも朝食は食べないだろ、と吐き捨てる。イイじゃない、とずいぶんとトゲ立った調子の台詞を、奥さんはこともなげに受け流した。

そういえば、こういうありふれた風景を見るのは、初めてだな、と思う。

 

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