アイドルグループは成功して、全国に名前が知れ渡った。それほど興味のない人でも、名前を聞けば、ああ、と頷くまでになった。やはり顔を知られているのは、トップを飾る六人だけど、二軍の私たちにも、名前のブランドで仕事は回ってきた。

そして、私たちのような目立たないメンバーにも、コアなファンが着いて応援をしてくれるようになった。それもきっとグループの看板が大きくなった御陰だろうとはわかっていても、イヤな気はしなかった。

そうなってくると、二軍にも日が当たり始めて、その中から次に売り出すメンバーがピックアップされるようになってくる。何がどう転ぶかわからない。きっと神様のサイコロは気まぐれなのだろう。

私の名前が書かれた賽の目が上を向いたのは、今年の初め頃だった。少しずつ、私を含めた何人かが単独で仕事をするようになって、いくつかレギュラーももらった頃に、私がソロでCDを出すことが決まった。それはグループ側のマネージメントではなく、私の事務所が主導的に進めていた。もちろんグループのブランドを利用するのだから、最終的な決定権はグループのマネージメントが持っていたが、例えば私のCDのためのスタッフは事務所の方で用意した。

そこで曲を作ることになったのが、この部屋の主だ。

同じ事務所のスタジオ・ミュージシャンで、時々作曲や編曲の仕事をしている。プロデューサーとして名前がクレジットされるのは、私が初めてらしい。四十代のギタリスト、としてそれが早いのか遅いのか私にはわからないけれど、初めて逢った時の印象はあまり冴えなかった。

ぼさぼさの白髪交じりの髪が特に目に付いた。中肉中背、というには頬の辺りやお腹の辺りに丸みが目立っていた。ただ、目が全体に小さく、小型犬を思わせる人なつっこさを感じさせた。悪い人ではないだろうけれど、見た目の野暮ったさが評価を下げているな、と思った。

それにしては身なりだけはしっかりとブランドモノで、着せられている感はたっぷりあったけれど、チョイスは悪くない。

一通りの自己紹介の最後に、結婚している、というのを訊いて納得した。おそらく奥さんの奮闘の結果がこのちぐはぐさなんだろうと思う。この人自身が全く頓着していないモノに、無理矢理目を引かせようとする努力が、どことなく見て取れる。

反射的に子供は?と訊くと、いないよ、もう十年にもなるけど、と云ったきりそれ以上は云わなかった。

顔見せが終わった後のCD発売に向けての作業は、今はいくつかデモを作っている最中で、何曲か試しに唄ってみた程度。まだ本格的に進んでいるとは云えなかったけれど、プロジェクトは確実に前には進んでいた。

 

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