この部屋の主は、眠い目をしてコーヒーカップを口元に運んだまま、身動き一つしなかった。目はうっすらと開いているけれど、きっとまだ寝て居るんだろうと思う。さっき、シャワーを浴びてすぐに洗面台の上の時計をみたら、五時前だった。

「タッチャン」

奥さんが肩を叩くと、小さく唸って目を開けた。そして、コーヒーに口を付ける。

「まだ眠いんだったら、寝てたら」

あきれたような声で奥さんはそういうけれど、決して突き放してはいない。その微妙な距離感が、一番憧れる。

「いつもは寝てる時間?」

私が訊くと、主は首を振った。

「これから寝る時間だ」

ウソヨ、と横で奥さんが唇の形を作る。

「昨日は夜通し、東京から車を走らせてきたんだ。眠くもなるよ」

その車の助手席に、私は乗せられて本当に夜を徹してドライブした。太陽が昇って、しばらくしてからやっとこの家に着いた。遠くに海が見える分譲マンションの一室に、私は連れてこられたのだ。何処にでもある地方都市の住宅街の一角だったけど、なんとなく、そこから見える風景は懐かしさに溢れていた。

東京とは違う風景、そういうモノを見たのも、久しぶりのような気がする。仕事であちこちに行っているようで、実際に記憶に残るほどなにかを見た記憶がない。何処に行って何をしたか、は覚えていても、街の風景や、人の行き交う姿を思い返すことが出来ない。

 

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