ドラムのヤツの妹って覚えているか?と三好さんはヨシタカ君に尋ねた。

「ああ、覚えてますよ、F1のテーマソングをユキナリ・バンドがやった時、サックスか何かを吹いていた女の子ですよね」

そうそう、と三好さんは頷く。

「今回のユキナリ・バンドのゲストはあの子なんだよ」

ああ、とヨシタカ君は頷く。

「でも、彼女、確か海外でクラシックのコンクールで賞をとったでしょう?高校を卒業してすぐに留学して」

そうなんだよ、と上島さんが引き継ぐ。

ユキナリ・バンドと再会した時、引退した元ドラマーがその話を僕らに告げた。ちょうどコンサートツアーでこっちに帰っているから、話をしたらOKをもらえた、ということで、またライブに一つ花を添えることになったのだ。

ドラマーの妹は、ステージにゲストで出演した時は、僕よりも年下でまだ中学生だった。サックスは学校の部活で吹奏楽をやっていた程度だったはずだ。僕の妹の通った学校に音楽科があってそこに進学を希望している、と話していた。

確かに腕利き揃いのユキナリ・バンドの中にあってコピーではあったけれど、情感豊かなメロディーを奏でていて、不思議と僕は胸がわくわくしたのを覚えている。ステージを一緒にしたのは、一度か二度だけど、彼女の音と存在はしっかりと僕の中に刻まれていた。

彼女がヨーロッパのコンクールで最優秀賞みたいなモノをとったニュースは、僕は名古屋にいる頃に新聞で読んだ。彼女は写真付きでわりと大きな記事になっていたけれど、ユキナリ・バンドのあの女の子と同一人物だとはすぐには結びつかなかった。出身高校が略歴の中に書かれてあって、それが妹と同じで、そこから記憶を辿ってやっと思い至ったのだ。

真っ赤なドレスを身にまとって、ソプラノ・サキソフォンを抱えた彼女は別人に見えたけれど、じっくり写真を見返すと、面影が残っていた。昔はもっとぽっちゃりとしていて、でもどこか大人びた雰囲気を持った少女だった。

「おまえ、彼女狙っていたんだよな」

三好さんにそう、話題を振られて、僕は慌てて否定した。

「でも一度、お好み焼き食ったの覚えているだろ?あの時、随分仲良かったじゃないか」

「アレは、三好さんと悦子さんと、あと藤木さんと行成さんの所のドラマーと、みんなカップルだったから僕らがあぶれただけですよ」

そうだったっけ?と三好さんは藤木さんを見やった。覚えてないな、と藤木さんは応えた。

「アレは何の集まりだったっけ?トキワ街のお好み焼き屋だったよな」

そのお好み焼きは、僕が今、一号と路上で弾き語りをしている場所のすぐ近くにあった。スナックのマスターに請われて始めた客寄せの路上ライブだけど、もう数年続いている。冬の真っ最中を除いて毎週金曜日に通っているけれど、毎回そのお好み焼き屋の前を通る。

そして、通る度に彼女のことを思い出していた。

誰かのライブを見に行った帰りだったと記憶している。商店街のYAMAHAの上にライブスペースがあって、そこがステージだった。ライブの内容は良く覚えていないけれど、確かラジオか何かの公開録音を兼ねていて、観客は多かった。

ライブが終わった後、ご飯を食べようということになってそのお好み焼き屋に向かった。二人掛けのテーブルしか空いていなくて、僕らはカップルに別れてそれぞれ離れて座ることになった。

藤木さんには恵子さんがいて、三好さんは悦子さんと付き合い始めたばかりだった。ユキナリ・バンドのドラマーは妹とショートカットに丸い眼鏡をかけた恋人を連れていて、結局カップルという単位になると、一人で来ていた僕とドラマーの妹が一緒のテーブルとなった。

ライブで一度顔を合わせているけれど、ちゃんと話したのはその時が初めてで、お互い年上のバンドに混ざっているという共通点から、意外に話は弾んだ。すぐに彼女は打ち解けて中学校の吹奏楽部の愚痴と、将来の進路を僕に話した。彼女の進学しようと希望していた学校に、僕の妹が通っている、という話をすると、目を輝かせて紹介してくださいよ、先輩、と言った。

それから僕はずっと先輩、と何故か呼ばれて、そういう存在は彼女だけだったので、なんだか居心地の悪い、でも不思議と心を揺さぶられるような、複雑な感情に満たされたのだった。

お好み焼きを食べ終わって、何か思い出したように、彼女は僕にこう言った。

「私、先輩のギターの音、嫌いじゃないですよ。ぎごちないけど、素直でステキ」

僕はドキリとした。ステキと女の子に告白されたのは、きっとその時が初めてだったはず。そんなことはお構いなしに、彼女はフフフと笑って、すぐに話題は別の方へ飛んでいった。

あの時、三好さんが言うような下心がなかったわけではないけれど、僕はちょうど初体験を失敗に終わらせてしまった後遺症で、女の子に対して奥手になっていた。それがなくても、やっぱり相手が中学生というのには、何かイケナイモノを感じていた。

でも、胸のトキメキだけは、いつまでも僕の心を振るわせていて、帰りの電車の中でもずっと、ステキの三文字を僕は繰り返し思い出していたのだった。

結局、その日が二人が最も近づいた瞬間で、後はほとんど接触はなかった。自然とそれは思い出にすり替わり、淡い下心も多くの経験に上塗りされて霞んでしまった。それでも何故か、あの日のトキメキは、そのお好み焼き屋の前を通る度に思い出すのだ。

「ゲスト、って表示しなくて良いんですか?

ヨシタカ君はさすがにそういう商売っ気のあることには敏感だ。確かに、そのポスターに書かれているバンドなど足元にも及ばない、華にはなるはずだ。

「サプライズだよ、そういう仕掛けがいくつかあるから」

藤木さんは得意げにそう喋ったが、僕を含めた他の三人は、慌てて彼を見た。あの国民的アイドルのことを喋るんじゃないか、と一瞬思ったのだ。自分で箝口令を敷いていて、自分で破る、そういう失態は藤木さんには無縁なはずだけれど、無いわけではなかった。

僕らの視線に気づいたのか、少し不機嫌な顔をしてから、当然、とでも言いたげに口をとがらせて、見てのお楽しみ、とヨシタカ君を見ていった。

「とりあえず、何枚か、貼っといてくれよ」

上島さんがそう言うと、もちろんです、と彼は晴れやかな笑顔を見せた。そして早速、手にしていた一枚を掲げて、入り口の方に向かった。

入り口を入ると厨房が見えていて、その上下に既に何枚かのポスターが貼られていた。上には演歌の歌手のポスターが数枚並んでいて、下には地元の春祭りと何かの催し物の告示ポスターがあった。目立つのはやはり上の方が見栄えが良く、ヨシタカ君はそこを指さして僕らに確認した。

どうせなら両方貼ってくれよ、と藤木さんが言って、もう一枚手に取ると座敷を降りて厨房の方へと歩いて行った。ちょうどその反対側、入り口の上の方に件の妖怪もどきのイラストがあった。

なんだアレ?と三好さんが指を差す。表、見なかったですか?と僕が訪ねると、あったの?と訊き返された。

「この店の、オリジナルキャラクターらしいですよ。妖怪うどん啜りって云うらしいです」

僕が説明すると、ああ、今は妖怪が流行だからな、と三好さんは言った。

「ウチも、息子が夢中になっているよ。俺は良く分からないけど、レアなメダルが欲しいとか、ヤツの友達が来るとその話ばっかりで」

去年のクリスマスも大変だっただろ?と横から上島さんが言うと、三好さんはうんざりしたように頷いた。

「悦ちゃんがそういうのに厳しいんだよ。買ってやらないわけじゃないけど、ゲームとかも周りはみんな携帯のゲーム機を持っているのを、家のリビングのテレビに繋いでいるヤツしか使わせないんだ。だから、その妖怪のヤツも、ちょっと友達とは話題がずれるんだよ」

まだ小さいからでしょ?と僕が言う。

「小さいからって侮れないんだぜ、小学校低学年でも、女の子なんておしゃれして塾とか来るんだぜ。オレたちの時代とは、まったく別の世界だよ」

それから僕らの話題は、キン肉マン消しゴムの話になった。いつの時代も、そういう子供を夢中にさせるアイテムがある、と上島さんが言い始めてひとしきり盛り上がった。

その間中、僕はぼんやりと妹の一人娘のことを思い出していた。僕が覚えているのはまだ本当に幼い、保育園の制服を着て歩き回っている、そんな姿だ。それ以降時が経って、どんな風に成長しているのか、想像が付かない。想像しようとして、いつの間にか妹の姿になってしまう。ランドセルを背負って黄色い帽子を被る少女の姿は、僕が覚えている妹の姿だ。年格好は同じなのに、ただの想像でも違和感を感じる。

生活の一部、それ以上にその幼い彼女が中心で家族が回っていたような存在が、いつの間にか記憶の中で曖昧になりつつある。僕はそのことが悲しくて仕方が無い。

妹はそのことを見越して、あんな風に変わってしまったのだろうか?

藤木さんが戻ってきた。ヨシタカ君とチケットの話をしていた。来週には印刷が出来上がる、と藤木さんが言うと、そうなの?と上島さんの方が訊いた。まだ云ってなかったか?と恍ける。

「ウチでもいろんな所で声かけますから、いくらか預かっても良いですよ」

ありがとう、と藤木さんは彼の申し出にそう云ったが、それ以上具体的に話そうとはしなかった。昔からそうだが、無理にチケットを売りさばこうとせずとも、フュージティブなら大丈夫、という自信だけは藤木さんはまったく揺るぎがなかった。チケットの売り上げで出演順が決まっていたあの頃でさえ、ウチはトリを任されてている、という前提でいつもステージ構成を考えていた。

実際それは結構な確率で思い通りの結果にはなったのだが、時々はセイビアンに譲ることもあった。それでも、今回は特別、と云って意に介さなかった。

藤木さんの自信は、そのまま彼の音楽を信頼するヴォルテージの高さと同義だった。自分の血をステージや演奏する曲に色濃く行き渡らせれば渡らせるほど、その自信は強く強固になるのだ。

それほどまでの自信を、僕は尊敬している。おそらく、他のみんなもそうだろう。

そして、歳を重ねても、その自信は揺らがない。そのことを、ヨシタカ君も思い出したはずだ。チケットの話はそれで終わり、ちょうどそれを機会に、僕らも退散することになった。

 

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