店舗は良くある細長いプレハブのような建物で、その倍以上ある駐車場の隅にポツンとあった。プレハブの上には大きく、セルフうどん、と書かれた看板があって、その横になんだか良く分からないイラストが描かれてあった。今流行の妖怪のキャラクターによく似ているけれど、微妙に違っていて、それがうどん鉢を持っている。そこからうどんが伸びてそのままキャラクターの口に繋がっていた。

店名はなく、店の入り口の暖簾にも、セルフ、という文字しか掲げられていない。しかし、その何かに似ているようで似ていないキャラクターは彼方此方に描かれてあって、不思議と目立っていた。

案の定、車を降りた藤木さんも上島さんも看板を見上げて訝しげな顔をしている。降りる前に、やっぱりうどんかよ、といった台詞はもう忘れていた。

そこにゼットの助手席から降りてきたヨシタカ君が駆け寄ってきた。三好さんはまだ運転席にいて、ハンドルを撫でたり、ダッシュボードに手を当てたりしているのが見えた。

「最近オープンしたばかりなんで恐縮ですけど、どうぞ試食していってください」

申し訳なさそうな台詞だけど、顔には笑みが浮かんでいて、それは営業用というより、表には出さないしっかりとした自信というようなモノをしっかりと滲ませていた。

それよりもアレって、と云いながら堪えきれずに上島さんは看板を指さした。

「ウチのキャラクターですよ、何れはチェーンで県内に店舗を広げていくつもりなので、ランドマークになるように」

店の名前を表に出さず、あのキャラクターの、で認知されたいらしい。

「一応、妖怪うどんすすり、っていう名前もあるんですよ」

妖怪、と聞いて上島さんは吹き出し、藤木さんは複雑な表情をした。

「今、妖怪とか流行っているでしょ?

どこまで本気なのか、分かっていてやっているのか、僕らはそれ以上訊くのを止めて、店に入った。

暖簾をくぐると、目の前が厨房で、セルフらしく湯気の立つ大きな釜が二つ、すぐに見えてきた。僕らの先をヨシタカ君が入っていくと、お疲れ様です、と威勢のいい声が厨房の彼方此方から上がった。真剣な表情になった彼は素早く店の中を視線で一巡して、すぐに僕らの方を振り返ると、笑顔を取り戻した。

「お総菜の小宮ですから、ウチは天ぷらが美味しいんですよ」

そのために敢えて競争の激しいセルフにしたんです、と僕らに説明する。僕は普段、セルフのうどん屋に入ると、油揚げを乗せるか、卵を一つ落とすかのどちらかだ。天ぷらは滅多に乗せないのだけど、今日は乗せなくてはいけないようだ。

結局、云われるまま僕らは「かけの大」を注文して、僕はタコ天を乗せた。上島さんはかき揚げとちくわを乗せ、藤木さんはやはりちくわとコロッケを乗せた。後から入ってきた三好さんは、藤木さんのコロッケを見て、なんだそれ、とあからさまに嫌な顔をしたけれど、結局自分もコロッケを別の皿に乗せた。

厨房の両側が簡素な長机と椅子が並べてある食堂になっていて、その片方の奥にはとってつけたような座敷があった。三つほど座卓があってそれぞれを仕切るモノは何もない。座布団が無造作に敷かれてあるだけだ。

ちょうどそこの座卓の一つを小さな子供を連れた家族が占領していた。小学生ぐらいの男の子とまだ小さな女の子が、正座をしてうどんを啜っていた。父親は良く太っていて派手なセーターを身につけ、色の付いた眼鏡をかけていた。母親の方は、長い髪を所々茶色に染めていて、目を疑いたくなるほど細い。その家族が、やけに静かにうどんを啜っていた。会話はない。唯一母親が時折、女の子の方が飛び散らせたうどんのつゆを、几帳面にふきんで拭いていた。

僕らはその家族との間に机一つ空けて座り込んだ。僕はうどんには何もかけないが、上島さんはめいっぱい天かすを振りかけ、そこに手回しのゴマスリエースですりゴマをまためいっぱいゴリゴリやる。

藤木さんは七味をかけて、三好さんに怒られた。うどんの味がしなくなるだろ、と半ば馬鹿にするように注意するのは、フュージティブのメンバーでうどん屋に行った時の定番の台詞だ。今日は、変わってねぇな、の一言が加わる。

かまわずうどんを啜り出すと、男四人、無言で一心不乱に集中する。そこへ、いくつかの天ぷらを載せた皿をもったヨシタカ君がやってきて、これも良かったら、と云って座敷に上がり込んできた。

味はどうですか、と聞かれると、ああ好いんじゃない、と曖昧に上島さんが応えた。旨いよ、と三好さんが同意したが、藤木さんは頷いただけで、何も言わなかった。僕は天ぷらの一つを摘まみながら、バラエティーに富んでいるね、と云うと、そうです、それがここの「売り」なんですよ、とヨシタカ君はホッとしたように笑った。

実際うどんの味は平均的で、コレといった特徴も無い代わりにマズくもなかった。経験上、うどん屋というのはそんなモノで、最初の内はまだ味が熟れていないのが普通だ。そのうちに、ここはこれ、というモノが光り出してきて、やっと行列が出来るほどの店になる。それが、彼の思惑通り天ぷらに落ち着くかどうかは分からない。でも、その試行錯誤が、おそらくは経営の醍醐味なんだろう。

うどん屋は回転率でやっていくようなモノで、特に昼の食事時にどれだけ人を集められるかにかかっている。最近は観光客を相手に利益を見込んでいるところもあるけど、多くの地元に密着したうどん屋は、昼時の集客だよりだ。うどんというモノは、回転率という意味では最適の食べ物だ。

だから、うどん鉢の底が見えるまで汁を啜っても、あっという間に食べ終わる。一心不乱にうどんを啜り、まだ冷めないうどん汁を啜って一汗掻く。まるでスポーツの後のような爽快感が、実はうどんの醍醐味かもしれない、と僕は思う。汗が引くまで、ぼんやりと辺りを見回したり、所在なげに新聞や手元のスマホに手を伸ばす、そういう隙間のような時間が、僕は嫌いではない。

男四人にそれほど差は無く、四人が四人とも、汁まで平らげて、まったりとした時間を迎えた。僕はそこでやっと、自分たちのすぐ上に大漁旗が飾られているの気づいた。天井に吊られ、広げられている大きな布には、誇張した飛沫を上げる波の絵を背景に大漁、と筆で殴り書きしたような文字が浮かんでいる。白く縁取られた文字は、豪快で威勢の良さを僕らに訴えかけていた。

よく見ると、隅の方には所々、何かで汚れたような灼けたような跡があった。旗の周囲の飾りにもほころびが見られる。おそらくは実際に使われたモノをここに飾ったのだろう。瀬戸内海の漁港に近い土地柄ならではだ。

ふとそれが、小宮さんが乗っていた漁船の旗だろう、という気がした。僕はストレートに旗を指さしヨシタカ君にそのことを尋ねた。彼はそうですよ、とあっさりと応えた。その会話で、上島さん達他の三人も天井を見上げる。

「おじいちゃんの漁船のモノですよ、ゆくゆくはアニキが継いでいたんでしょうね」

でも、と彼は天井から視線を外した。

「ウチはもう網元からは手を引いて、海の仕事は他の人に譲ったんです。もっぱら丘の仕事がメインですから」

漁師自体なり手が少なくて、と付け加えたきり、彼はそれ以上何も言わなかった。沈黙が僕らの中に落ちてきて、代わりに周囲の喧噪がなだれ込んでくる。厨房からの食器同士が当たる音や、水が床を撥ねる音。僕もいつの間にか、天井から視線を外して音のする方を見やる。

例の家族が座敷を離れようとしていた。父親がまとめてトレイに乗せた食器を持って先に厨房の隅へと歩いて行った。母親が、子供の靴を履かせている。男の子は苦労しながらも自分でこなしたが、女の子は上手くいかない。それを甲斐甲斐しく母親が介添えしてやる。向こうから食器を片付け終えた父親が、行くぞ、と声をかけて、男の子は先に父親の元へかけていく。

僕は彼らが店を出て行くところを最後まで目で追った。普通の家族の風景が、何故か懐かしく感じる。僕は小さいころ、家族でうどん屋に行った記憶は無い。外食自体の思い出がそもそも少なかった。外食する時は、特別な時で、僕も妹もおめかしをしていた気がする。回転テーブルのある中華料理店に行ったことは良く覚えていて、僕も妹もその回るテーブルが面白くて、ぐるぐるやっていた。勢い余って唐揚げの皿が落ちて、母親に怒られた。

それでも、もう中学生のころには、土曜日の昼と云えばうどん屋で、学校の帰りにプレハブみたいなセルフのうどん屋に入っていた。いつの間にか、セルフの流儀を覚え、当たり前にうどんを啜っていた。僕らの街にはファーストフードというと丸亀の駅前のダイエーにしかなく、でも、うどん屋という気軽な食べ物があったから、何も不自由はしなかった。

のどかな時代だったと思う。

今は外食も、食卓の延長みたいな気がする。だから、そこに訪れる家族の風景に懐かしさを感じるのだろうか。

自分自身の家族の風景は、やがて妹の一人娘がいた頃の思い出に浸食される。妹がその娘を連れて外食に出かけるのも見たことがない。やはり自分の原風景がそうさせたのだろうか。妹は、まだ小さいその娘のスプーンの持ち方や、食器の扱いにはものすごく厳しくて、いっしょに食卓を囲んでいた僕や一号も、一緒になって箸の持ち方を矯正された。幼いその娘は、時々厳しさに音を上げて思い切り泣いた。

先日妹が里芋の煮っ転がしを、箸を突き刺してつまみ食いしているのを見た。あの母親の姿を、七夕という名前の娘が見たらどう思うだろう。そう思った。月日は流れて人を変えていくのだ。

うどん屋を出て行く家族の背中を見ながら、七夕のことを思い出しかけていたら、不意に大沼、と藤木さんに声をかけられた。

「車にポスター積んでいたの、取ってきてくれないか?

そう云って三好さんの車のキーを僕に向かって放り投げた。何で僕が、と云っても仕方が無いので、頷いてそのまま座敷を降りた。さっき家族の出て行った扉から駐車場に出て行く。傾いた陽が、海の方から遮る物無く、広い駐車場全体に射し込んでいた。茜色に染まる一歩手間で、冬の終わりに潜んだ仄かな暖かさを、まんべんなく押し広げている。

そこに潮の香りが混じっているのに気づいて、僕はしばし足を止めた。今年の冬は早く終わりそうな、そんな気がその時した。

 

前へ   次へ