僕らはゼットに導かれるまま、またあの最初に立ち寄った工場のところまで戻って、更に観音寺の市街地方面へ進んでいった。半ばまで行った所で、ここに来る時に通り過ぎた真新しいうどん屋の光景をぼんやりと思い出した。案の定ゼットはその駐車場に入っていった。

そこに辿り着くまで、運転席の藤木さんはなんだか不機嫌だった。藤木さんは昔から、自分の思い通りにいかないことに直面すると、すぐに顔に出る。再会してその癖も随分和らいだかと思ったけれど、このライブの話が盛り上がって頻繁に逢うようになると、少なくとも僕らの間では平気で感情を顔に出すようになっていた。

その不機嫌さが、どれをトリガーにして引き起こされたのかは良く分からなかったけれど、結構うるさい音をがなり立てて進むゼットの後ろに着くこと自体、あまり気が進まないようだった。それが小宮さんの形見であることは、今はどうでも好いようで、元々藤木さんはクルマにあまり興味が無い。だからなのか、三好さんの車を運転するのも、あまりしっくりいってないようだ。

そういえば、今三好さんの車に乗っている男三人の愛車は、皆同じ年式の、同じ車種だ。偶々、僕と藤木さんの車が同じだったのを、上島さんがおもしろがって中古車を探し回って三台揃えたのだ。僕も藤木さんもミッション車だったので、探すのに骨が折れたそうだ。でも、同じバンドの二人のギタリストが、クラッチを踏まないと運転する気にならない、というのは、やっぱり師弟関係なのかな、と真剣な顔をして上島さんは僕らに云った。

三好さんの車は、オートマチックでシフトレバーはセンターパネルから生えているように伸びていた。高級感を醸し出している割に結構ちゃちい、と持ち主の不在を好いことに藤木さんは愚痴った。その愚痴は、いつの間にか小宮さんの家の話になった。

正確には、小宮さんの父親が、どうも来年の夏辺りに出馬するらしい、という話だ。小宮さんの父親は地元の名士だけれど、僕らには小宮さんの父親、という以外に何の繋がりもない。顔を合わせたのも、葬式の時ぐらいだ。だから、それを愚痴というのは多少言い過ぎだが、しかし藤木さんの口調は、毒気を含んで辛辣だった。

そういえば、フュージティブが現役のころ、藤木さんの祖父が選挙に打って出る、というような話があったのを思い出した。

小宮さんほどではないけれど、藤木さんの一族も東さぬきの方では結構名が知れている。いわゆる大規模農家で、時代の波を先取りしていち早く法人化を成し遂げたとかで、その頃の新聞に載っていた。当時の僕は高校生で、あまり良く分からなかったけれど。

その手続きやら、行政との折衝とか、そういうことに思うところがあったのだろう、藤木さんの祖父を国会に送り込もう、と盛り上がっていたのが、ちょうど卒業間近のころだった。バブルの末期で未だ経済は過熱していて、いろんな価値観が変貌を遂げようとしていた。政治の世界も新しい風が吹きかけていたのだ。

その波に乗ろうと思ったのかどうかは分からないけれど、かなり具体的な話が進んでいたようだ。地元の政治家とも繋がりがあったらしくて、どこかの公認が、なんて話が漏れ聞こえていた。

藤木さんの父親は、その一家の次男で、更に藤木さん自身も次男だった。跡取りがどうとか、家業を継ぐとかいう事情から最も遠いところにいたのだけど、何故か藤木さんはその出馬話に消極的だった。そういう話を耳聡く嗅ぎ付けるのが上島さんだったけれど、その話題を振るとくだらない、と一蹴された。

一度だけ、何かの機会に、大好きだったおじいちゃんが政治家なんて、と呟いたのを聞いた。その後やっぱり吐き捨てるように、くだらない、と云ったのを良く覚えている。その後、出馬話は立ち消えになってしまった。

自分の経験からなのか、それ以前から何か思うところがあるのか、やはり藤木さんは、小宮さんの父親が政治家になることにも否定的だった。ネットの掲示板で見たことのある程度だったけれど、政治の世界に対する嫌悪感を、藤木さんは並べ立てた。

そして最期にこう言った。

「今のオレたちの世代は、銀河英雄伝説で国家を語り、パトレイバー2で安全保障を考えているんだぜ。そういう奴らが一票を投じているってことを知らない奴らが、いくら政治家になっても、俺は信用おけないね」

偏見か、あるいはとばっちりだ、と云いたくなったけれど、僕は黙っていた。すると後ろのシートから上島さんが身を乗り出してきた。

「それでテロのやり方を攻殻機動隊で学ぶんだろ?ああいう世界がきっと来るって」

押井守が未来を牛耳っている、と云いたいのだろうか?

藤木さんは、一瞬笑みを浮かべて、そうそうと頷いた。

「新井素子が現れるってな」

藤木さんの言葉に、僕は頷きそうになって一瞬の違和感に戸惑った。

すると、シートの間から藤木さんの顔を覗き込むようにして上島さんがまた声を出した。

「新井?

新井?と僕も繰り返す。藤木さんは一瞬、自分言葉を飲み込んで、そして珍しく、ひどく動揺したように喉の奥で呻った。

「草薙だろ」

呆れたように背中をシートに倒れ込ませながら、上島さんが言った。

僕は思わず軽く吹き出してしまった。藤木さんはそれを横目でチラリと睨む。

取り繕うように、新井素子って聞いたことありますよ、と僕は言った。

「新井素子は作家だよ、ピンク・フロイドの曲のタイトルと同じ小説を書いた人だよ」

鼻で笑いながら上島さんが説明した。しかし、僕はその作家を知らなかった。

でも、藤木さんには通じたみたいで、そうか、と呟くと、やっと自分の言葉にニヤリと笑った。

そんなことを話しているウチに、ぼくらはうどん屋に着いていた。

 

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