それから僕らは手分けして裏の物置からアンプとキャビネットを運んだ。

その影で、三好さんは、藤木さんに小さく耳打ちして、お墓を出たらそのまま帰ろう、と言った。ここにも戻らず、そしてさっき誘われた店も行かずにおこう、と云う三好さんの言葉に、藤木さんも頷いた。気まずさのせいなのか、遠慮したのかは分からないけれど、僕も賛成だった。

三好さんの車の一番後ろの席を倒すと、広いラゲッジスペースが現れた。そこにキャビネットを置くと、それでも随分と占領してしまう。その隅に、ヘッドアンプと、ベースの入ったケースを押し込む。昨日ドラムを運んできた時に、クッションの代わりに突っ込んでいた毛布が残っていて、それを間に挟んで緩衝材にした。

ドアを閉める間際、ヨシタカ君がベースのケースにそっと手を触れた。形見にもらってください、と申し出たのは彼だったが、やはり別れは名残惜しいのだと思った。小宮家でも、もう小宮さん無しの時間が大きく回り続けている。そのことを納得していても、想いはまだ、蟠りのように胸の片隅を浸食しているのかもしれない。僕らよりも何倍も、きっと血の繋がった弟の方がその収まりきれない想いは強いのだ、と思い知った気がした。

それでも、彼は笑顔を絶やさず、ドアを閉めて三好さんに、それじゃ先導しますから、と言い残して別の駐車場へ向かった。僕らが車を駐めた空き地は来客用で、自家用車専用のガレージが向こうにあるのだ。

ヨシタカ君がいったん門の方へ向かうのを目で追うと、そこには彼の妻と、さっき逢ったばかりの長男がそこにいた。上島さんが気づいて手を振り、続いて三好さんも手を振った。藤木さんは立ち止まって頭を下げ、僕もそれに倣った。

長男は、まだ打ち解けた様子はなく、そろそろ傾き始めた陽の光に目を細めながら、小さな手を振る。彼がいつか、やはり小宮という名を背負うことになるのだろう。彼は自分のおじさんの話をもう聞いたのだろうか?

僕はまた三好さんの横に座った。今度は藤木さんと上島さんが並んですぐ後ろの席に座る。

エンジンをかけて、僕らはヨシタカ君の車が現れるのを待った。振り返ると門にはもう長男の姿はなく、半開きの戸がそのままになっていた。

門から続く生け垣の向こうから、車高の低い車のノーズが見えた。流線型の特徴のあるフロントの正面でにらみをきかすヘッドライト、そして星形のホイール。

僕はその姿を見て思わず声が出た。

「アレ、小宮さんのフェアレディだ」

自分でオールペイントしたという深いグリーンのカラーリングは、お世辞にも綺麗なものとは思えなかったけれど、それが小宮さんの手による、彼の愛車だというのは間違いない。

本当だ、と他の三人も一斉に声を出した。三好さんは惹き寄せられるように、クルマをスタートさせた。

小宮さん達よりも一世代前のフェアレディは、テールランプが角形で、リアウインドウにスポイラーのようなスリットの開いたカバーが付けられていて、なじみのあるものよりも何処か古ぼけて見えた。

三好さんが車をそのテールに着けると、ヨシタカ君が窓から顔を出して、ニヤリと笑うと、着いてきてください、と叫んだ。三好さんはひとつクラクションを鳴らして応えると、ヨシタカ君もクラクションを返した。

ゆっくりと車がスタートするのと同時に、低く呻るような独特のエンジン音が響いてきた。住宅街では忌避されるほど、派手な音がする。明らかに手を入れてあって、それにも小宮さんの汗が染みついているのだ。

懐かしいな、と三好さんが呻るように言う。半分方ゼットのエンジン音にかき消されている。後ろの二人は、唖然とまだ車の後ろを見つめている。

「今でも動くなんて奇跡だな」

三好さんがそういうのに、僕は素直に頷いた。

「ちゃんと手を入れてるんでしょう。あの頃と全然変わりませんよ」

僕はそう応えた。

「おまえもアレには思い入れあるんじゃないか」

不意に後ろから声がして振り向くと、上島さんが身を乗り出していた。

確かに、僕の中で小宮さんは、あのケースに入ったベースと、ハートキーのキャビネットと、そして目の前のゼットとパッケージになって記憶の中にいる。

フュージティブに加入した最初のころ、僕は電車を乗り継いでリハーサルに赴いていた。瀬戸大橋が出来たばかりで随分と様変わりしたJRで高松まで行き、歩いて楽器屋のスタジオに向かった。大学の部室でやる時には、更に琴電に乗り継がなければならなかった。

高校生に電車賃は結構な負担だったけれど、それ以外僕には交通手段がなかった。

それに手を差し伸べてくれたのが、小宮さんだった。小宮さんは高松市内に部屋を借りていたけれど、週に一度は実家に帰っていた。そのタイミングにリハーサルが重なると、帰り道は小宮さんの車に便乗させてもらった。

それがいつの間にかリハーサルに行く時も同乗させてくれるようになり、僕らは待ち合わせて赴くようになった。ガソリン代の半分を僕が負担することになっていたけれど、あまり僕と一緒にいる時にガソリンを入れたことはなく、結局小宮さんに甘えてしまっていた。

エンジンがあるものが好きなんだよ、とよく言っていた。だから漁船に乗るんだ、という冗談めいた言い様が、半ば口癖だった。ベースを触っていない時は、いつも車を弄っている、というのは正直な告白で、時々は帰り道、深夜の出来たばかりのまだバイパスと呼ばれていた金山トンネルへ上っていく直線道路で、弄りすぎのゼットのエンジンが悲鳴を上げたこともあった。

運転するのが好きなのか、車を弄るのが好きなのか、ハッキリと聞いたことはないけれど、僕を乗せている時はわりと安全運転で、車の中ではアイアン・メイデンばかり聴いていた。バンドや音楽の話もしたけれど、何故か車中では、クルマの話ばかりしていた。

免許のなかった僕はだいたいが聞き役だったけれど、クルマのことに関しては小宮さんは饒舌で、その話し相手として僕を適役に思っていてくれたのかもしれない。小宮さんに彼女がいないことはなかったけれど、話が通じないんだよ、クルマに関しては、と愚痴っていて、だから聞き役に徹する僕はちょうど良かったのだろう。

そして土曜の深夜が帰り道に重なると、小宮さんはいつもソワソワしていた。普段安全運転のゼットがいくらかスピードを上げて国道を走っていく。明らかに昂揚していて、マニアックな話題を終始喋りまくっていた。

向かうのは番の州で、あの頃そこではゼロヨンと呼ばれるドラッグレースが、毎週開催されていたのだ。

もちろん非合法だけど、土曜の深夜に観客は多かった。グリーンのゼットを覚えている者も結構居て、小宮さんの知り合いも何人かクルマを出していた。

片側二車線のまっすぐな道路は、当時国道か番の州にしかなかった。普段はトラックが行き来する道路の中央にはグリーンベルトがあって、左右は無骨な工場のプラントが迫っていた。そこから伸びるパイプがいくつか道路を跨いでいる。オレンジ色の街灯が点々と灯っていて、そこにプラントからの照明が重なって、路上は結構明るく映えていた。

ちょうど横断歩道があって、そこがスタートラインになっていた。車が二台並ぶと、必ず中央分離帯に女の子が立って、スタートの合図をした。

僕を乗せたまま小宮さんはフルスロットルでその直線道路を駆け抜けた。初めてそこに連れて行かれた時は、その加速にただただ圧倒されたけれど、不思議と恐怖は感じなかった。それよりは、僕が降りて小宮さん一人が走る時の方が、不安を感じた。そのままどこかへ飛んでいって消えてしまうような、そんな予感が時々僕を苛んだのだ。

ゼットが吐き出すエンジン音は、普段聴く小宮さんのベースと同じ硬い芯の通った音をしていて、いくらか低音がクッキリと輪郭を持って呻っていた。信号のある交差点のひとつ手前の中央分離帯が切れた所がゴールで、そこまで走り去っていくゼットを、僕はずっと目で追いかけていた。その時に駆け抜けていくエンジン音はずっと耳に残って、翌日一日、頭に響いていたこともあった。

フュージティブのメンバーで、最も多く小宮さんのゼットに乗ったことのあるのが僕だったのは間違いない。最後の一年ほどは、ほとんどリハーサルの度に待ち合わせて一緒に行き、一緒に帰ってきた。

最後のライブの時も、帰りは小宮さんに送ってもらった。みんなもう卒業が決まっていて、バンドの行く末は何となく見えていたけれど、振り返ればその日が最後だった、という終わり方だった。だから、何を話したのか良く覚えていない。

二人ともライブの後だったから喉が渇いていて、金山トンネルへ上っていく手前の自動販売機で、僕はコーラをおごってもらったのだけ覚えている。エンジンを点けたままのゼットが低く呻っている横で、どれか選べよ、と小銭を入れている小宮さんの姿が頭の中に残っている。ゼットはサイドブレーキが甘く、傾斜していると時々、ゆっくりと後退することがあったので、それを気にして何度も小宮さんは後ろを振り返っていた。

自動販売機の明かりにクッキリと陰影の付いた端整な顔立ちが、いつまでも僕のなかに刻まれている。その時はそれが最後になるなんて思わなかった。おそらく小宮さんもそうだっただろう。

それから数ヶ月して、小宮さんの訃報を聞いた。

その時から考えてももう二十数年が経っている。小宮さんの記憶が、もう薄れ始めているにもかかわらず、あのゼットのエンジン音はあの頃のままの唸りを上げているのに、僕はなかなか納得が出来なかった。信じられない、という想いを通り越して、そんなことあるはず無い、と思っていた。

でも、現実に目の前で、窮屈そうな細い道を、ゆっくりとゼットは走っていた。三好さんの車に乗っていると、明らかに車高の違いが際立っていて、僕らは見下ろすようにゼットを見つめていた。

「小宮の音だなぁ」

不意に後ろで藤木さんの声がした。三好さんが、そうだな、とつぶやき、そしてニヤリと笑った。

 

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